第3の居場所(サードプレイス)?

 

「家庭(ファーストプレイス)」、「職場や学校(セカンドプレイス)」

 

とするなら、第3番目の場として、あなたは何か居場所を持っていますか?

 

そこは、自由でリラックスした雰囲気の中で生まれる対話があり、良好な人間関係を生みだす重要な空間であればなおのこと良い。

 

なぜ、こんなことを考えたかというと、公共団体や会社組織における、談合や癒着などのコンプライアンスに関する新聞記事を読んだからである。

 

なぜ、一般常識で誰でもわかることがわからなくなるのか?

 

仮にも、公共団体や会社組織で一定以上の役職につく人が、なぜ判断を誤るのか?

 

なぜ、赤信号みんなで渡れば恐くないと思うのだろうか?

 

「職場(セカンドプレイス)」の人間関係にどっぷり浸かりすぎているからではないだろうか。

 

仕事も一緒、ゴルフをするなら、ゴルフも一緒、酒を飲むのも一緒、いつも一緒。

 

そのうち、自分たちの考えていることが世界のすべてのように思い込んでしまう。

 

自分たちの常識が世界を動かしているように勘違いしてしまう。

 

しかし、そのような狭い範囲の付き合いから生まれた常識は、世間の非常識である。

 

自分たちの常識が世界を動かしていると思い上がるから、平気で非常識なことを言って、悪びれる様子も見せない。

 

恐らく、そのような人たちは、第3の居場所を持っていない。

 

自由でリラックスした雰囲気の中で生まれる対話や、自分の役割を離れた良好な人間関係を持っていないだろう。

 

これは、自己認識に繋がるのだが、自分の仕事の役割=自分自身と勘違いしているから、仕事の役割以外の付き合いをしていないのだ。

 

考えてみれば、コーチングの場もまた、「第3の居場所(サードプレイス)」といえるかもしれない。「職場」でもなく「家庭」でもない居場所である。

 

コーチングの場では、クライアントとコーチは「対等」で、そして、自由でリラックスして、コーチからの「問い」を中心とした「対話」が行なわれます。

 

まさに、第3の居場所となる。

 

コーチングは、未来を出現させるプロセスでもあるが、それ以上に居場所をつくる意味もあるのだ。

 

公共団体や会社組織における、談合や癒着などのコンプライアンスに関する新聞記事を読んでふと気がついた。