サッカーなどのチームスポーツを見ていると

ここぞという時に猛烈なスピードで走りこんで

シュートを決める選手がいる。

猛烈なスピードで走りこんでいるからと言っても

その選手がいつもがむしゃらに走っているわけではない。

ボールと関係ないときには、歩いている時もあるし

ゆっくり走りながら、次の行動のため自分のポジショニングを

確認している時もある。


猛烈なスピードで走りこんでいる状態を「緊張」とするなら

歩いたりしている状態は「弛緩」と言えるだろう。


「弛緩」の状態があるから「緊張」の場面が光るのだと思う。


野球のバッティングにおいては、ボールを打つ瞬間「インパクトの瞬間にグリップを強く握るんだ!」と言われる。

バットを振る時は力を抜いていて(弛緩)、ボールを打つ瞬間に力を込める(緊張)というわけだ。


人間は長時間、集中することはできない。休憩が必要となる。

集中を「緊張」とするなら、休憩は「弛緩」である。


こんなことをつらつらと考えていると

人生はすべからく「緊張」と「弛緩」のバランスなんだろうと思えてくる。

「緊張」したらそれをうまく解放する必要がある。

うまく解放する「弛緩」するからこそ、次の「緊張」につながる。

それでは、何のために「緊張」と「弛緩」が必要になるのだろう。

サッカーでは、得点をあげ、試合に勝つため。

野球のバッティングでは、ヒットを打つため。


何のためにが明確であればあるほど、「緊張」と「弛緩」のバランスがとれてくる。


「なんか力が入らないんだよな~。」

「なんか面白いことないかな~。」

と思う時、

そんな時は、何のためにという目的を考えてみるといい。


「なんの制約もなかったら本当はどうしたい?」

「何をしてもうまく行くとしたら、何がしたい?」