昔、組織の方針書をまとめる仕事をした経験がある。その時にいつも感じていたことがある。

「全体」は必ず「部分」に分解できるが、「部分」をいくら集めても決して「全体」にはならない。

つまり、組織の戦略(全体)は、必ず戦術(部分)として分解できるということだ。

全ては、戦略にもとづくものである。

組織の戦略というものは、論理的に説明できないと私は思っている。

なぜなら、組織の戦略は意思であるから。

その戦略を達成させるための手段は、論理的に説明できるし、説明できないといけない。

それなのに、一般的に組織の戦略を決定する時には、まず、各部署からの戦術を集める。

その戦術を揃えたら、自動的に戦略ができると思っている。

ここは、大きな間違いである。

この流れで決めた戦略は必ず達成しない。

各部署から提出される戦術は、近視眼的というか、過去の事例や前例から、達成可能なことしか提出されない。

この近視眼的なことをどれだけ揃えても、組織にイノベーションは起きない。

目先だけを見ているうちに、気づけば何をしているのかを見失うのだ。

木を見て森を見ず。

爪で拾って箕(み)でこぼす。

細部に関心を奪われるがあまり、肝心の全体にほころびが生まれるのだ。


これは、個人においてもあてはまる。

本当はどうしたいのか?

「できる、できない。」からの発想ではなく、自由な発想からはじめないといけない。

例えば、Aというセミナーに参加して、Bという技術を身につけて、Cという資格をとる。

なんていうことをいくら繰り返しても「あなたは何者なの?」という質問には「…。」答えられないのだ。

「あなたは何者なの?」

これに対する答えが「全体」であり、


そして「何ができるの?」

これに対する答えが「部分」である。