よっつ、突然右目の表面の毛細血管が切れて、目の白目の一部が真っ赤になりました。
朝、家を出るときはなにもなかったのに、会社に着いてトイレで鏡を見て、
腰を抜かすかと思いましたよ
こんな感じ
でも一々うろたえたり嘆き悲しんだりしない練習をしていたので、
ただただ「目が真っ赤になっていてびっくりした」という思いにだけ集中して、
自我ちゃんがそこから何か評価したり、心配したり、原因をさぐろうとしたりするのをおさえて、
「びっくりした」という思いにだけ浸っていました。
そうすると自然と落ち着いて、『大丈夫、これは一時的なものだ』
という思いが湧きあがってきました。
この方法はとても有効なので、みなさんもお試しください。
感情が湧き上がる、ということは、【浄化したいから】湧き上がるにすぎません。
ここで原因を無理からさがしだしたりすると、自我ちゃんがそこで満足してしまうので、
浄化までには至らないのです。
ただ、湧いてきた思いにだけ浸ってくださいね。(5分くらいで大丈夫です)
そうすることでその思いにのみ焦点が当たり、そこに光が当たるのです。(=これが浄化です)
(このことは、またの機会にじっくり触れたいと思いますが…。)
そして症状が起こったところに「ありがとう」と声をかけ、
手をかざして、ピンクゴールドの光が降り注いでいるイメージワークをしました。
席にもどって、周りの人たちにも「どうしたん?」などとびっくりされましたが、そのうちの何人かが
「わたしもなったことあるある。それな、目の表面の血管が切れただけやし、一週間くらいで治るで」
「原因はないけど、それ、誰でもなるねん。鼻血が出たようなものやで」
とすぐさま教えてくれてました。
一応医務室でも診てもらったのですが、看護士さんにも
「ああそれ、誰でもなるねん。一週間で治るわ」と軽々と言ってもらいました。
でも非常に驚いて顔をしかめて「いや~ん、どうしたん」と言いながら、
「ほんまに治るの?」「なんでそんなんなったん?」
「ほんまにひどいな…」などと言う人も数人おり、よっつはまたひとつ勉強になりましたよ。
顔をしかめてしまった人たちに、もちろん悪気はありません。
ただ心配してくれたのと、自分に経験がないこと、
つまり未知との遭遇だったから単純にびびったのでしょう。
人は自分のキャパにないものに遭遇すると、うろたえる傾向があります。
ホラー映画ばりに白目を真っ赤に染めた私を見て、
1、 笑顔で「私も経験したことある!スグに治るよ!」と言ってくれた人
2、 そういう経験もないのに、さして驚かず「すぐ治るやろ、大丈夫大丈夫」と言ってくれた人
3、 ぎょっとした顔で驚き、顔をしかめて哀れみ、心配してくれた人
どの応対なら、その人の心に灯がともるでしょうか
少し想像すれば誰でも分かりますよね。
実は、心配というのは一見思いやりのある行為に見えますが、
相手を信頼していないところから発生しているといわれています。
心配するより、心を配って!
心配するより、信頼して!
「私は大丈夫なのに、そんなに心配されたら心外だなぁ」と感じた経験はありませんか?
今回の件でも、会うたびに「すごい赤いよな」「ほんまに治るの?」「大丈夫なん?」と何回も聞かれ、
正直、それって心配してるように見せかけて、全然思いやりない言動やん、って思いました。
高校生のときにも、ものもらいになり目を腫らせて学校に行ったことがあります。
そのとき、まるで疫病にかかった人を見るかのような目つきで、哀れみながら、
「いや~ん、ひど~いなぁ。伝染るから近づかんとこ」
と言ったクラスメイトのおびえた顔を今でも覚えています。
その時に「わたしは絶対にものもらいになった人を見ても、
こんな態度はとらないでおこう」と誓いました(笑)
経験するということは素晴らしいことですね。
自分が経験すると、キャパが広がるのです。
傷みが分かるから、優しくなれる、包容力が出てくるのです
よっつは今回、目の毛細血管が切れる、という体験を経て、今後目が真っ赤に染まった人を見ても、
まったく動じなくなったことは間違いありません
以前にLIBのエッセイ(今は一時的に見れません、ごめんなさい)に書いたことがあるのですが、
ニュースで【魚鱗症の子供たち】という特集を見たことがあります。
体の皮膚が魚の鱗のようになってしまう症状です。
見た目にもぎょっとするものなので、こういう病気がある、ということを知らない人の好奇の目、
哀れむような目に傷ついている、という内容でした。
また見た目だけで「伝染るのではないか」とおびえて近づかない人が多い、ということでした。
今回わたしも、たかだか一週間で治ると分かっている症状ではあっても、
ぎょっとされると多少は傷つきました。
(もっと人の評価を気にしなくなると、そういうことで傷つくこともなくなるとは思いますが…)
ハンディキャップを抱えている方たちは、日々そういう心無い目線に傷ついています。
一瞬の「哀れんだぎょっとした表情」を絶対に見逃しません。
それは治らない症状であればあるほど、深く深く心に突き刺さるのではないでしょうか。
自分にないものだからといって、哀れまない、驚かない、同情しない。
病気だってハンディキャップだって、それは個性の一部だと考えたらどうでしょう。
そこに不幸はないのです。
不幸だと思うのは、その人が感じている世界観です。
幸不幸は環境とはまったく関係なく、ただただその人の心がそう感じているだけのこと。
わたしは、まったく環境が変わっていないのに、思い方を変えるだけで
一瞬にして幸福感に包まれた人たちを何人も見てきました
人様を見て、勝手に「可哀想」だと決め付けたくない。
それと同時に自分のことも決して哀れみたくない。
これは昔からわたしが感じていることです。
経験がなかったとしても、心のキャパシティの大きい人は、
何事にも動じないし、むやみに同情したりしないと思います。
上記の2の反応の人たちがそうです。
何も見ても、何を聞いても、
「そういうこともあるよね~」と軽く流せるようになります。
それは心が冷たいわけではなく、受け皿が大きいのだと思います。
許容量が大きくなるとテレビのニュースなどを見ても、めったやたらと過剰反応
しなくなることでも分かります。
昔、「同情するなら金をくれ!」というのが流行りましたよね。
同情するなら祈りを。
同情するなら思いやりを。
同情する前に想像を。
よっつ的には、こんな感じでしょうか。
今回も目が血目になるという経験で、色々気付きました。
今もまだ少し血走っていますが、日に日に元の白目に戻っていくので嬉しいです
白目が白いということですら、当たり前ではなかったのですね。
私のすべての細胞がきっちり仕事してくれているから、白目は白く、黒目は黒いんですね。
本当に感謝です
今日は節分ですね
北北西を向いて、無言で太巻き食べましょう!!
そして明日からが正真正銘の2007年亥年ですよ。
今年の亥年は600年に一度のすごい年らしいのです
なんでも金運がすごいらしいです
わたしの母がそう言ってましたが、とてもあやふやだったので調べました(笑)
↓
金運と言えば、トイレ掃除。
益々励みましょう!!
たくさんの福がみなさんに舞い込みますように。
いいえ、たくさんの福がそこにあることにみんなみんな気付きますように
前回の記事「愛と感謝はさくらんぼ」のコメント欄
でkayoちゃんという
よっつのスピリチュアル・サロンにも来てくれた女の子が、小林正観さんの講演会のシェアしてくれました。
とても素晴らしいレポートです。
kayoちゃん、ありがとう
みなさんも是非是非読んでくださいね