先日、奈良公園に行きました。
そこで鹿を見て思ったことがあります
公園の池の淵のベンチに腰掛けて涼んでいたとき、池の真ん中の中洲に一頭だけ取り残されている(ように見えた)鹿がいました。
中洲は孤立して池の真ん中にあり、こっち側と中洲をつなぐ橋も道もまったく見当たりません。
鹿はそこで一心不乱に草を食べていたんですけど、わたしはこの鹿は中洲から出られないんじゃないか…と見ていて気が気じゃありませんでした。
でも鹿は自分の帰り道など気にする様子もなく(当たり前だけど)、ただただ草を食みつづけるだけ。
そこには不安感も恐れも将来への憂いも何もなく、【今ここを生きている!】という感じだったのです。
鹿やから当たり前やん!と言われればそれまでなんですけど、私はそこに「あるがままに今ここに」の原点を見たような気がしました。
これが私だったら、ちゃんと帰れるかどうかが気になって気になって、せっかくある豊富な草を美味しく食べることができないし、今を十分に生きることができない、と思いました。
以前、日経新聞に『高齢の犬が増えつつある』、という記事が載っていました。
そこには、
「犬は人間のように将来を憂うことも現状を不安に思う気持ちもなく、もう年だから、などと人生を制限する考えもないので、人間に比べてとても穏やかで安らかに生き抜くことができます。」
と書いてありました。
これまた当たり前のことだけど、確かにそうだなぁ、と納得しました。
親が子供を見て、「こんなんじゃこの子の将来が不安だ」と思い、心配ばかりしてしまう気持ちも分かります。
それはまるで私が奈良公園の鹿を勝手に心配していた様に似ています。
ちなみに、その鹿は草を十分に食べ終わると、さっさと池の浅瀬を歩き渡って帰っていきました
自分のことでも人のことでも、すぐに心配して不安になってしまう傾向が人にはあります。
不安や心配も味わいたくてこの世にやってきたわけではありますが、やはりここは自分が楽に生きるためにも、それらすべてを【信頼】に変えていきたいなぁ、と思いました。
自分を信じるわけですから、【自信】にもつながりますよね
もっと違う上級な捉え方をするならば、目の前に起こったことに評価や色眼鏡を入れずにただ淡々と受け止めるだけ。
これが出来れば「楽に生きよう!」と肩に力を入れることもなく、飄々と淡々と生きていけるのでしょう
犬も鹿も「楽に生きよう」と思ってああいう生き方をしているわけではありません。
ただ判断なしに、受け入れているだけです。
人間は感情の動物。
感情的に生きたい人は大いに感情的に生きればいいと思います。
よっつは、嬉しいことや喜ばしいことは【感情的に生きて】、マイナス感情は【淡々と受け入れ流し型】を目指します。
これぞミクスチャーな今時な生き方だと思いませんか?
犬に学び、鹿に学ぶ。
そして自分に活かす。
これだから人生おもしろいですね
【今日の一言コーナー】
ぐるぐるさん に頂きました。
ぐるぐるさんにしては真面目なお言葉ですね。
でも最後の「よ」を掛けているあたりは、見逃せません
ぐるぐるさん、いつもありがとうございます
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