人間は「万物の霊長」である。
誰もが小学生のときに一度は習ったと思います。
万物は分かる、と。でも「霊長」ってなんなのさ?って思いませんでしたか?
今になってそこに「霊」がつく意味がようやく分かったような気がします。
「霊」とはスピリットということ。そう、私たちは魂の存在なのです
人は肉体だけの存在じゃない、ということを私たちはこんなに早くから学んでいたのに、多くの人が見過ごしていたような気がします。
何かあれば「科学的な証明」を求め、五感は大切にするけど第六感はセンシティブな女性特有なものだと決め付け、誰もが勝ち負けにこだわり、抜きん出ることのみに情熱を傾けた時代。
ほんの5,6年くらい前までは、それが常識だったのです。
今でもその常識という枠の中で生きている人はたくさんいます。
でももうすぐ、こっち側の住人のほうが多くなりますよ
スピリチュアルをみんなが思い出し(魂は本来知っていたので、思い出したに過ぎないのです)
、確認しはじめたここ何年間…。
本屋さんに行くと、昔のような宗教といっしょくたにされた貧相なコーナーではなく、おすすめコーナーあたりに色とりどりのスピ系本が平積みされています。
今時、幸せの法則を知らない人はいないんじゃないか?って思わせるくらい。
昔流行ったポジテティブ・シンキングとは段違いの深遠さで、それらの宇宙真理は私たちに魂本来の約束を思い出させ、肉体という衣をまとったヨチヨチ歩きの私たちを導いてくれました。
でもね、頭ではその方法は分かったよ。
実際やってるけど上手くいかないんだよ
やればやるほど、実生活とスピリチュアルの狭間に挟まれて苦しいよ!助けてーーーー!!!
って叫んでる人・・・・・・・・・いっぱいいますよね。
そういう人たちに言いたいのです。
一度、スピリチュアルという概念から離れてください。
どんな道を歩くにしても、どっちにしろ私たちは光になる方向にしか歩けないのです。
そもそもわたしたちは光なのですから。
だから あわてず・あせらず・あきらめず (これを3Aと呼んでます)
ただ、歩き続けるだけ。(これで4Aよ)
もうどこで書いたのかも忘れたけど、しつこくまた書きますね。
本当に大切なことのほとんどは幼い頃に習ったこと。
笑顔でいようね。
嬉しかったら「ありがとう」、反省したら「ごめんね」と言おうよ。
みんなに優しくしましょうね。
動物、植物、物、すべてのものに思いやりをもって、大切に接しましょう。
何でも一生懸命やりましょう。
食べ物も水も大切にしましょう。
キレイな言葉を使いましょう。
相手の立場になって考えましょう。されたら嫌なことはしないでおこうね、言わないでおこうよ。
そして、これを教えてもらった人は少ないかもしれませんが、最も大切なことは…
自分を愛しましょう です。
でも、これができない人が本当に多いのです。
罪悪感や劣等感、自己嫌悪などの感情をもてあましています。
それは過去生での浄化されていない傷ついたエネルギーのせいであったり、幼いときのトラウマであったり色々だと思います。
そういう人は、傷ついたとき人一倍矢が深く突き刺さります
あなたが今しなきゃいけないのは、突き刺さった矢を見つめ流れる血の感触に絶望し、「ほらね、やっぱり私が悪いんでしょ?」と諦めることではありません。
なんでこの矢は私に刺さったのか、とその原因追求のため過去に遡ることでもありません。
出来るだけ素早くその矢を抜きとり、今後こういうことが起こらないために今何が出来るのか?と前を向くことです。
一番良いのは、そのようなことが起こった瞬間に「ありがとございます、感謝します。」と声に出して言うこと。
そしたらその事象はそこで打ち止めです。
そこで愚痴ったり自分を責めると、また同じことが必ず起こります。
信じられますか?
これは宇宙の法則なのだから、「どうしてなの?」と言われても困るのです。
斎藤一人さんは不思議というのは「どうしてなのか思考しない、議論しないこと、漢字を見たら分かるだろ?」と言ってます。
ただ「そういうものなのか」と受け入れる素直さが必要なのです。
とりあえず「感謝する人生」 を選んでみて、なんでもかんでも「ありがとう」と言い続けてみては如何でしょう。
バカみたいに「ありがとう」と言い続けること。これは実際はバカではなく一番賢い選択なのです。
でも、きっとイヤになるときが来ます。
「もういいや、ありがとうって言い続けたところであたしゃちっとも変わらんよ。もういい、やめたやめた!」
でもそう思う頃には「ありがとう」が定着してしまっているから、あら不思議
もういいよ、と思っても、心が勝手に「有難く」思ってしまうのです
すると、自分のことも少しは好きになっているはずよ
そして次に「人に喜ばれる人生」 を並行して選択してもらいたいのです。
『喜ばれて嬉しい!』という感情を持つのは人間だけだそうです。
確かに動物にはそういう感情ありませんよね。
喜ばれることに喜びを感じれる喜び。
ちょっとくどくなりましたが、そんな素晴らしい特性をすべての人間に与えてくださった神様ってなんて粋なんでしょう
よく「わたし、人に物をプレゼントするのが好きなのよ」って言う人いますよね。
それはどうして好きなのか、というと、人の喜んだ顔を見るのが嬉しいからですよね。
だから、物をあげるのは一年に一回くらいにしておいて、日々、心をあげたらいいのです。
たとえば、私はこうやって文章を書いています。それを読んでくれた友達たちが「すごい良いこと書いてあったし、励みになったわ。ありがとう」とかメールくれたり言ってくれたりコメント書いてくれたりします。
それって私はすごく嬉しい。
もうそれだけでその人は喜ばれる存在を選択しているのです。
喜ばれる存在になるなんて簡単なことです。
自分が「いいな」って思ったことを本人に素直に伝えるだけ。
でも悔しくて伝えれない人、恥ずかしくて伝えれない人が世の中にはいっぱいいるんですね。
心の中では思ってるけど、言うほどのことじゃないから言わなかった、誰かが言ったとき「わたしも実はそう思ってたんだ」って言う人、思ってたんだったら言ったらよかったのよ。
素敵な服を着ている友達がいたら、褒めましょう。
それだけで相手は嬉しいからです。
家でだって「お母さん、今日のご飯も美味しかったよ、ありがとう」
「あなた、今日もお疲れ様でした。ありがとう」
これだけで喜ばれるのです。
これからは、どんどん伝えていく人になってみませんか?
そのうち、みんながあなたの言葉を待ち望むようになりますよ。
あとは、やってきた頼まれごとをこなしていく。ただ淡々と。
そうこうするうちに、もっと自分のことを認めれるようになってきます
「どうして?」と問わずにただやり続けてみてください。
それでも改善しない人は、少し言いにくいのですが、もしかしたら悲劇のヒロイン志向である可能性が高いです。
そのココロは、そっちのほうが人にかまってもらえる、と無意識に思っているからです。
幸せになるには覚悟がいるのです。
化粧品のCMで深キョンも言ってましたよね。
一番簡単なのは、「しんどい、私は不幸だ、○○のせいでこうなった」とだらだら言い続けることです。
思ってることそのまま言うほど楽なことはないからです。
なんの努力もせずに言えますよね。
逆に、どんなにしんどくても口角をキュッと上げて、笑顔で人のことを褒めて、何にでも「ありがとう」と言って頼まれごとをこなしていくのは、実はとてもしんどいことなのです。
でもどっちの生き方を選びたいかは、一目瞭然。
覚悟をきめてください。
幸せになる、という覚悟をです。
その覚悟がないから苦しむのです。
覚悟を決めて、まずは「自分」という根をしっかり張って、オンリーワンの花を咲かせましょうね。
でも実は地中の根はすべての花とつながっているのですみんないっしょよ
しじょうに長くなってしまいました。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます感謝します