オーラの泉 の須藤元気、すごくおもしろかった。
みなさん、見ましたか?
彼は相当スピリチュアル系の本を読んでるね~。
会社でも須藤元気の話をみんながしていました(よっつはその時まだ見てなかったけど)。
みんなが「すごい不思議系の人やったし、びっくりしたわ~」と話していました。
否定的な感じではなく、興味津々といった感じ。
わたしが「録画してるよ」と言うと、見ていなかった人にも「貸して!」と言われました。
ああ、広がるスピリチュアルの輪
あそこまで深い話を格闘家として名が知れている人がテレビでしてくれると、世の中への影響も大きい。
それ系の話は胡散臭いと思っていた人でも、言う人が違えば信じるきっかけにもつながるから、よっつ的には非常にありがたかったわ。
須藤元気が守護霊とコンタクトをとる、と何回か言っていたけど、私は瞑想はあんまりしないけど、紙に書くことは本当に困ったときはします。
そのやり方は、まず神様への質問を書く、自分の思いなども書いて書いて書きまくる。感情的に書きまくる、そして最後に「神様、今回の学びは何なのですか?」「一体どうしてこんなことが起こったのか教えてください!!」と書く。
すると、自分の心の中になんとなく浮かんでくるものがあるはず。
浮かんでこなくても勝手に手が動いて答えを書いてくれます。
この間の詩 にも丁度書いたけど、答えはふと目にした本や、テレビ、音楽、人との会話、ネットや人のブログを通して出ています。
自分はそういった能力はないから無理、と誰でも思ってしまうと思います。
でも全員、ただの一人の漏れもなく、人類全員が本当はそういう能力をちゃんと持っていますよ。
だって、どんな人にでも守ってくださっている方がついているんだもん
その方たちは、わたしたちのことが可愛くて仕方がないの。
そして霊的に幸せな方向へ導きたくて仕方がないの。
いつだって「こっちだよ、こっちに来るんだよ」とメッセージを発信しつづけてくれているのです。
ありがたいですよね
霊能者とか占い師に頼るのも、たまにはいいけど、本当は私たちの中にちゃんと答えがあると思うのです。
(ほとんどの霊能者や占い師はよっつから見たらまがいものだしね~)
自分の中の答えを見ようとするかしないかを決めるのは、私たち自身なのだと思います。
だって、、、私たちは神の一部。
私たち自身の中に宇宙があるんだからキラキラ★
それからね、天使も過去生も波動もオーラも、とても大切ではあるけれど、一番大切なのは、今ここに生きているということです。
本当の意味でのスピリチュアルを知ると、自ずと霊的なものばかりに偏らず、物質界を通して地に足をしっかりつけて成長していくようになります。
山にこもる必要はありません。お遍路に出る必要もありません。瞑想し続ける必要もありません。
修行なんてまったく必要ありません。透視も霊視もチャネリングも必要ではありません。
そういう本ばかり読み漁る必要もないのです。
悪いと言っているんでないですよー。ただそればかりに偏るのはしんどい、ということです。
人としゃべって、おもしろいテレビ見たり、オシャレしたりして、ガハハと大笑いしている時間こそが大切なのです。
それこそに真のスピリチュアリズムが潜んでいるんじゃないかな。
すべてのものの根底にスピリチュアルが流れている、といった感じでしょうか。
何にでもいえることだけど、バランスが大切なんですよね~
わたしたちは、人とかかわることでしか成長できない部分があります。
愛も憎しみも一人では経験できませんよね。
だから、人とのかかわり合いを大切にして、今、目の前にあることに力を出し切ること。
人とのかかわりを通して、喜怒哀楽、愛憎、感動をありのままに感じて経験すること。
これこそが人として生まれた醍醐味だと思います
須藤元気も「空気のように楽に人とかかわり合えるようになったら卒業です」と江原さんに言われていましたよね。
彼はとてもストイックで哲学的なことに傾倒する魂のくせがありました。
それはそれで素晴らしいことなのですが、でも今回の人生の目的は、人とできるだけかかわって、慈悲の心を養うことみたいです。
「そろそろ東京を出て、山に篭ろうかと思っていましたが、しばらくやめておきます」と言っていました。
最後に「ありがとう」は魔法の言葉です。
心がこもってなくとも、とりあえず言い続けましょう。
須藤元気も言ってましたが、プロセスを逆転させるのです。
言い続けることで、そういう心にもっていくのです
こういう方法があって良かったよね。心がこもるのを待っていたら、一生かかっても難しいよ、と一人さんも言ってます