8月にはいり、広島、長崎の原爆投下の日が過ぎました。

私の幼い頃は夏休みの登校日となっており、平和学習が行われ、黙祷を捧げていたのを思い出します。
福岡はいま登校日もないし、子供達は原爆投下の時間など気にすることなく遊んでいます。

私は長崎県は佐世保の生まれです。
昭和一桁生まれの父は佐世保で生まれ育ち、海沿いの高台に住んでいましたが、その日はキノコ雲を見たといいます。

普段は海や空を眺めていると軍が

「スパイだ」

と言って駆け付けたそうです。
そんな時代にどんな思いで空を見上げていたのでしょう

その時佐世保は火の海にはならなかったから何が起きたのかはさっぱり見当がつかなかったでしょうし、まさに世界の誰も体験しない未曾有の事態だったのですから。


私自身、平和学習は苦手でしたが、大人になり鹿児島の知覧町や沖縄の戦没者記念碑を訪れて、さらに悲しい気持ちになった事を思い出します。

特効前の家族への手紙や、圧倒的な数の戦没者一人一人の芳名など、具体的に見てしまうと胸が苦しくなります


長崎や広島は今もきちんと黙祷を捧げ、平和を祈り続けています。
先日ラジオでこんな話をききました。

「原爆を経験した父は平和公園にいくと、あの日の事を思い出すから、決して行こうとしない」


という視聴者からの投稿でした。

経験は消えない。
でも、そんな話をできる人々は年々少なくなり、そんな事があった事すら忘れられていくんですね

それは平和という事なので、きっと悪い事ではないはずですもんね

この度の地震で被災された方々には、深くお見舞い申し上げます。

長崎、広島は100年草木も生えないと言われていたようですが、50年経つ前には普通に生活できていたように思います。
決して楽ではなく長い道のりですが、一日も早い東日本の復興を信じたいと思います。