仮谷克之さん
聞こえてますか?
1999年僕がアミューズを辞め、中国に帰る直前、初めてお会いして作っていただいた仮谷さん作曲のこのデモ音源。
僕の大大大のお気に入りです。
2016年セカンドアルバムに収録したいとお願いしたら、既に他のアーティストに提供しちゃったと聞いて、本当に残念でした。
そのこともあって、この音源は僕にとって、仮谷さんからいただいた最高の宝物です。
あれから26年!
仮谷さんがもうこの世に居ないなんて、未だに信じられません。
訃報を聞いた時、アコスティックライブとジョイントライブ準備で忙しくしていたおかげで、自分の気持ちを冷静に保てていたように思います。
この悲しい気持ちを奥深くにしまい、フタをすることができました。
今2つのライブが終わり、やっと落ち着いて仮谷さんとの思い出に浸り、仮谷さんへの想いをここに書く事ができました。
1999年、和佐田達彦さんプロデュースの元で、デモテープを作ることになり、そこで和佐田さんのご紹介で初めて仮谷さんとお会いしました。デモ音源作りが終わり、僕は帰国しました。
2014年僕が劇団四季を退団してから、Facebook経由で、15年ぶりに仮谷さんと再会し、それから僕のライブ&アルバム制作には欠かさない唯一無二の存在となってくださいました。
アルバムやライブDVDの制作、もし仮谷さんがいらっしゃらなかったら、作品の数々は生まれてこなかったでしょう。
レコーディングエンジニアとして、作曲家として、アレンジャーとして、ミキシングエンジニアとして、もう全てをハイレベルにこなせる仮谷さんは本当に凄くて偉大でした。
特にセルフプロデュースのセカンドアルバムの制作中、挫けそうになり、作るのを辞めようかなと凹んだ時、いつも寄り添ってくださって、「李涛良くやってるよ!うまいよ!俺はどんな時でも、いつでも李涛を応援してるから、頑張って!」と心強い励ましの言葉を何度も何度もかけてくれました。その言葉があったからこそ、最後までやり遂げることができました。
2018年年末のライブでご一緒した後、しばらくライブ活動を中止することになり、またコロナの3年間もあり、仮谷さんと再びご一緒できたのは5年後の2023年12月21日のクリスマスライブでした。
そのライブのリハで久しぶりにお会いした仮谷さんはかなり憔悴していました。聞いてみたら、ここ最近体調がものすごく良くなくて、これから胃カメラと大腸カメラの検査を初めて受けると。
胃カメラと大腸カメラの経験者として、僕は胃カメラを飲む時、めちゃくちゃ苦しいから、絶対全身麻酔した方がいいですよと仮谷さんに提案したら、マジか!とほんの少し怯えていらっしゃいましたが、胃カメラの検査を受けた後のリハで、李涛に驚かされたけど、全身麻酔しなくても、全然苦じゃなかったよと言いながら、微笑んでいたお顔、未だに鮮明に覚えています。
ライブ当日の本番リハ終了後から、本番までの間、仮谷さんはものすごくつらそうで、用意させていただいたお弁当も食べていらっしゃらなかったので、本番は座って演奏してくださいと言ったら、
「いや、大丈夫よ!
ベースを弾いてる時全然しんどくないから」と。
この時の仮谷さんがもう尊すぎて、僕は何も言えなくなりました。
心配していた本番では、仮谷さんは終始立ったまま、しんどさを微塵も感じさせず、最高なパフォーマンスを披露してくださいました。
このことを思い出すたびに泣けてきます。
本番終了後、検査結果を聞いたら、
あんまりよくないみたいだけど、大丈夫とおっしゃっていました。
今振り返ってみれば、この頃には辛い状態だっただろうに僕に心配をかけまいとしてくださったのだろうなと思います。
年が明けて新年の挨拶をラインしたら、実は体調が良くなくて、自分で救急車を呼んで、今生まれて初めて入院した。ベットが快適すぎて楽チン。入院後は飲み水以外だめなので、入院前の朝マック食べて以来、何も食べてない。腹減ったと仮谷さんらしいお茶目な返事がありました。
仮谷さんの還暦のお祝いをメールで送った時は、「ありがとう。60歳までベース弾いていられることができました。笑」と
2月に里帰りの中国から戻り、連絡をしたら、ずっと既読にならず…もしかして…と最悪なことを想定し覚悟しました。共通の友人から訃報を聞いた時のショックはやはりものすごく大きかった…
仮谷さん!
なんで?なんで?
まだ早すぎますよ!
会いたい!
と何度も声を出して言いました。
安置所での面会の予約がいっぱいで、面会ができず、またお葬式は家族のみということでしたので、もう2度と会えないと諦めかけていたところ、火葬の直前にほんの少しお会いすることができると連絡がありました。これも仮谷さんが僕に送ったお贈り物かな。めちゃくちゃ悲しいはずなのに、会えることに喜びを感じました。
安らかに眠っている仮谷さんと色んな話をしました。
そして安置所を出て、真っ青な空に向かってまたねと仮谷さんに言いました。
仮谷さん!
あなたの存在が僕にとっての宝物ですから、今あなたがここに存在していないなんて、やはり悲しすぎます。寂しすぎます…
仮谷さん!
今まで本当に本当にありがとうございました。
ゆっくり眠ってください。