東京45年【75-2】自由ヶ丘 | 東京45年

東京45年

好きな事、好きな人

東京45年【75-2】自由ヶ丘

 

 

 

1985年 冬、25才、東京
 

 

瞬時の答えが目の前に出て来た。

 

 

 

『だって、学問は“義務”を負わされて、“真実”や“真理”を追っ掛けているんでしょ?

 

科学もそれは含まれるけど。。。

 

“義務”と“正義”は相対して、“真理”と“客観”が相対するんじゃないかしら?』

 

 

『そうか?。。。』と俺はパエリアを食べながら考えた。

 

 

『。。。そうか!だからガリレオやコペルニクスやプトレマイオスが思い浮かんだんだ!』と俺は叫んだ。

 

 

『何?どうしたのよ?いきなり』

 

 

『科学に必要なのは“正義感”だよ!

 

あー、スッキリした。ホント、スッキリした。

 

ありがとう、玲!!!さすが俺の嫁さんだ!!!最高の嫁さんだ!!!玲は賢いな!!!

 

いやあ、さすがだよ。

 

玲!!!愛してる!!!』と俺は言った。

 

 

『何がどうなったの?』

 

 

『いやあ。。。。教授に質問された時に思い浮かんだのは、ガリレオやコペルニクスやプトレマイオスが思い浮かんだんだ。

 

何でそれが浮かんだのか分からなかったけど。。。

 

古代ローマ時代に、西暦100年くらいにプトレマイオスは“天動説”をその著書に記した。

 

それ以来、地球の回りを太陽や惑星が回っているって事になっていた。

 

それが13世紀になって、コペルニクスが“地動説”を唱えただろう?

 

彼は、自分が生きている間にその著書を出版しなかった。

 

それは聖書に書かれている事と全く逆の事だったから、その影響を恐れた。

 

その後、15世紀にガリレオが“地動説”を主張して宗教裁判にかけられた。

 

それも当時のローマ教皇庁によって2度も裁判にかけられた。

 

それでもガリレオは“天動説”を否定した。

 

一度目はローマを追放されて、2度目は頑固に聖書を否定したから投獄されて、獄中で死んだ。

 

それでもガリレオは科学に裏打ちされた地動説を守った。

 

“それでも地球は回っている”と名言を残した』

 

 

 

『分かった様な分からない様な感じだわ』と玲が言った。

 

 

『つまり、科学者は何があっても自分の論拠を曲げちゃいけないって事さ。

 

持論が間違っているかどうかも自分で証明しなきゃいけないしね』

 

 

『だから、それはさっき私が言った事じゃない』と玲。

 

 

『ああ、そうだよ。玲のお陰でスッキリしたよ。これで進める気がするよ』

 

 

『わかったから。早くご飯を食べて』と玲。

 

 

『ああ、そうするよ。ところでこの米のご飯は何て言うんだっけ?』

 

 

『パエリアよ。スペインのピラフね』

 

 

『パエリアか。その名前初めて聞いたよ。

 

スペインに行った時に食ったかな?それにしても美味いな。これ』

 

 

俺は生まれて初めてパエリアという言葉を聞いた。アリオリソースも初めて味わった。

 

 

スペインのドロミテを登りに行った時にいろんなスペイン料理を食べたはずだが、一切名前は覚えていなかった。美味ければ何でも良かった。

 

 

思えば玲は俺にいろんな料理を食べさせた。

 

 

聞いた事も見た事も無い料理ばかりだった。

 

 

元々、俺も料理は好きだったので、時間がある時には手伝って作り方を教わった。

 

 

俺は、母親が忙しく働いていたので、幼稚園の頃に卵焼きや目玉焼き、スクランブルエッグは出来る様になっていた。

 

 

ゆで卵は水から茹でるとカラが剥き易くなる事も、新鮮な卵ほど剥きにくい事も自然と覚えた。

 

 

さらに、小学校低学年にはチャーハンやカレーは1人で作っていた。

 

 

だが、俺の場合は自分の好きな味を見つけるとそればっかりだったが、玲の味はいろいろな味があった。

 

 

料理は作る人によって味に偏りが出てくる。素人ならば尚更だろう。

 

 

だが、玲の味は多種多様で、同じ料理でも違う味付けをして、違う料理に仕上げていた。

 

 

料理によっては、塩加減だけで違う料理に変貌させた。

 

 

その臨機応変さはさることながら、その発想力が素晴らしかった。

 

 

俺はセロリや香草類が苦手だったが、それを味付けと他の食材を組み合わせて、とても食べ易くしていた。

 

 

そもそも、その頃香草類や香辛料は未だスパーでそれほど売られていなかったのに、玲は手に入れていた。

 

 

お母さんに紹介して貰って、アメ横や築地から送って貰っていて、新鮮な物や珍しい食材を安く買っている様だった。