東京45年【63-1】早稲田
1985年 初冬の頃11月半ば、25才、早稲田
『ところで、君は何処の山に行ったのかね?』と先生に行った国を訊ねられた。
『あっちこっちです。行った山は、フランス、スイス、ドイツ、イギリス、イタリア、スペイン、アラスカ、ナイジェリア、ケニア、アルゼンチン、ペルー、チリ、ブータン、ネパール、パキスタン、インド、カナダ、中国のラサ、台湾、マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド、海外はそんな所ですかね。他にもあったと思いますが』
『全部、山だけですか?』
『ラサだけは違います。それ以外にも、山に行きすがら通った国もあります』
『ほう、例えば?』
『アルジェリア、エジプト、チュニジア、ブラジル、リヒテンシュタイン、トルコ、ギリシャ。。。。。南米とアフリカはパスポートを見せずに出たり入ったりしていたので、何処の国に入ったのか、ハッキリしません。それから。。。済みません、あとは忘れましたが、多分80から90ヶ国だと思います』
『何れにしても、よく行かれましたね。ところで、君はいろんな所の石や砂を持ち帰ったと聞いたが、本当かね?』
『はい、検疫は何も受けていないので。。。内緒にして下さい』
『それは十分に分かっています。
実は、鉱物物理化学を研究している人間が早稲田に着任したのです。
元々、早稲田出身で、サークルの後輩なんですが、何とも風変わりな奴なんです。
そして、他方で、君が世界各国の石や砂を持っているとの話を聞いて、彼に話したら、是非譲ってくれないかとお願いして貰いたいと頼まれたんです。
実は教学課に君が来たら私を訪ねるようにと伝えたのは、それをお願いしたかったのです』と花田教授は言った。
やっと、俺は教授に呼ばれた訳が分かってスッキリした。
『早稲田出身の方の何かに役立つのなら良いですよ。
但し、全部は勘弁して下さいね。
想い出の品ですから。
それから、お渡しする代わりにその先生にお願いがあるんですが。。。』
『何だね?お願いって言うのは』
『その“鉱物物理化学”っていうのを教えて貰いたいんです』
『君は鉱物に興味があるのかね?』
『いいえ、今そんな学問がある事を知ったばかりですから、興味はあるかどうかは分かりませんが、何となく“化学”と付く学問は、昔から興味があるだけです。
ですから、教えて貰っても直ぐに興味が無くなるかも知れません。
そうなっても怒らないって言うのが条件です。ですから至って興味本位です』
『それならきっとOKです。しかし、君は流体力学の研究所に入ったのに、いきなり鉱物学かね?』
『鉱物学でも、“化学”と付けば、元素記号や化学式が出て来たり、化学反応式も出てくるじゃないですか?それに、そこに“物理”と付けば、電子や中性子、原子核、それらの力のによる反応が現れる。“オービタル”や“不確定性理論”、“確率論”と話が展開していくじゃないですか?それが、煙に巻かれる様に何の前触れも無く、いきなり新しい世界が次から次へとやって来る、あの目まぐるしさの中に何処かワクワクするものを感じるんです。流体力学も同じですよね?』
『なるほど、君が流体力学を選択した理由が分かりました。それにそれだけ言えれば合格ですよ。これから彼に会わせます。付いてきて下さい』と教授は言って、そそくさと上着を着て、執務室を出て行く。
俺は慌ててその後ろを付いていく。
教授がいる2号館から8号館だったと思うが定かではない。
今いる棟から隣の棟へと向かう。
小川教授に引き会わされた。
その先生は、風貌が特異だった。
長髪の髪をポニーテールの様に輪ゴムで結んで、ジーパンに革靴、黒い靴下、ポロシャツによれた上着を着て、その上に薄汚れた白衣を着ていた。
執務室に入っていった時に、小川教授は倍率の高そうな天眼鏡で石を見つめていた。
『何か見つかったかね?』と花田教授が小川教授に聞いた。
『花田先輩、やっと、私の部屋に着てくれましたね。来る来ると言っていながら8ヶ月も来なかったですね』と小川教授が言った。
『悪い悪い。だけど今日は特別な人を連れてきてやったぞ。ほら、例の世界各国の鉱物持ちだよ』
『そうなんですか?』と言って俺を見上げた。
『初めまして。島谷と申します。よろしくお願いします』
『こちらこそよろしくお願いします』と小川教授が言った。
そして続けて『どんな物を持って居るんですか?』と性急に聞いてきた。
『山の頂上の石や砂漠の砂、黒い石から透明な石、赤い砂、パールホワイトの砂、青みがかった砂、緑色の石。。。兎に角いろんな物があります。全部で300から400種類はあると思います』
『もう既に聞いたと思いますが、それを分けて貰えないですか?』
『そのつもりでここに来ましたが、条件があります』
『何でも言って下さい』
『鉱物物理化学っていうのを教えて下さい。
但し、無償で、期限なしです。その代わり僕が持っている全種類を少しずつお分けします』
『そんな事ならお安いご用です』と小川教授が言った。その一言で取引は成立した。
『ところで、僕は大学院を中退したつもりなんですが、未だしていないみたいなんです。それで、先生の研究室に3月末までの間、在籍する事は出来ますか?後期の学費は未納ですが、花田先生のお力で何とかして下さい。学内に出入りするのに警備の方に一々聞かれるものですから、少し面倒なんです』
『そんな事なら大丈夫だと思いますよ。私から教学課に頼んでみるよ』と花田教授は答えると直ぐに内線電話で教学課に電話をしてくれた。
花田教授は数分間、電話で話した後、俺が花田研究室の私設助手になったと言った。
要するに早稲田の正式な職員ではなく、花田教授個人に雇われた人格だと言う事だ。
給料は無しだが、交通費等の諸経費は出るとの事だった。
身分は花田研究室所属だが、小川教授に師事する事になった。
期間は来年の3月末までとの事だった。
『それで良いかな?』と花田教授が聞いた。
『十分過ぎます。ありがとうございます』と俺は答えた。興味がある事を勉強しながら交通費を貰える事だけで十分だった。
『ところで、島谷君は鉱物の何が知りたいんだね?』と小川教授が聞いた。
『別に今は無いです。ただ面白そうだと思っているだけです』と俺は答えた。
『彼が好きなのは、量子物理学や組成化学の様だが、望んでいる事は、その結び付きから生まれ、中間に存在し、展開される理論の様だ』と花田教授が言った。
『多分そうですが、そこから、地球にある物質が何故生まれたのか、いつ頃、どうやって生まれたのかが知りたいです。それからなぜ生まれたのか?さらに、それがどうやって結び付いて陸地が出来て、山や海が出来たのか、将来それはどうなるのかが知りたいです。そして、その自然を残していく為にはどうしたら良いのかが知りたいです』
素朴な疑問が、大きな疑問になっていった。