東京45年【59】神楽坂
1985年 初冬の頃、25才、神楽坂
神楽坂での話を続ける。
遠い親戚と聞いて俺は驚いていた。
『そうなんですか?それで“佐藤”なんですか。。。沖縄の復帰に奔走されたと聞いています。“日本の戦争は沖縄が復帰しなければ終わらない”と言ったそうですね。僕も幼い頃に聞いた覚えがあります。多分、佐藤総理がいなかったら、沖縄返還も実現していなかったと思います。ですから、今の沖縄の歴史も変わっていたでしょう。何かの縁があるのかも知れませんね。。。それから、実兄の岸総理も歴代の総理大臣の中でも輝かしい方ですよね。でも、そんな家系に僕の様な田舎者の馬の骨が加わっても良いんですか?』
『そんな事は当人が良ければいいと思いますよ。それに、山口の方とは曾祖父が亡くなられてから、縁遠くなりました。ですから、格式張った事を言う縁者もいなくなりましたから大丈夫ですよ』
『いや、“大丈夫”だと言われても、僕はどこかの馬の骨ですから。。。』
『あら、“普通の人”になっているわ』とお母さんは笑った。いったい、この時お母さんは何回笑ったのだろう。
『それも島谷さんの繊細さの現れかも知れないですね。でも、玲子は大丈夫ですよ。そんな事はちっとも気にしませんよ!それに私達も賛成していますから』
『ありがとうございます』
『でも、玲子は貴方より年上ですよ。それは良いのですか?』
『80才になったら僕は76才ですから、大した開きじゃないですよ』
『そうかも知れないですね。あの子は上と歳が離れていたので、長女よりもしっかりしているところもありますけど、実はしっかりしている様に見えて、案外小心者なんですよ。その点、島谷さんは、ナイーブだけど骨太ですから、引っ張っていけるんじゃないですか?』
『大丈夫です。頑張ります』
『何が大丈夫なの?』と玲が座敷に入ってきた。お父さんも続いて入ってきた。
『俺達はこれから仲良くやっていくって事さ』と俺は答えた。
『ホントにそうかしら?』と玲は悪戯っぽく笑った。
『昨日も、電車の中で喧嘩したのよ』
『そんな事はどうでも良いじゃないか』と俺は言った。
『電車の中での出来事が多いわね』とお母さんが笑った。
それにしても、兎に角よく笑うお母さんだった。
『そう言えば、思い出してみると電車にあまり一緒に乗った事が無いのに出来事が多いわね』と玲が言った。
そう言いながら玲は笑っていた。よく笑う一家だった。
俺は、無邪気に笑う玲の笑顔が好きだった。
子供の純真な笑顔が、キラキラしていた。
俺はこの笑顔があれば頑張れると思った。
『ねえ、秀。私達、どこに住むの?』
『それは、ゆっくり二人で考えよう』
『じゃあ、子供はすぐ作るの?』
『それも、二人で話そう』
『それも。。。じゃあ、新婚旅行はどこに行くの?』
『玲が行きたいところで良いよ』
『いつ頃、結婚するの?』
『それも、ちゃんと計画を立てて。。。。。』
『全部、答えが無いじゃなの!!!何か一つくらい答えてくれても良いでしょう?』
『玲子、そう質問攻めにしちゃいけませんよ』とお母さんが窘めた。
『だって、結婚するんだよ。彼がどう思っているか聞いてるのに。。。ねえ、秀???』
『えーっと。。。。じゃあ、勝手な感じで言うけど。。。。子供は2,3人は欲しいかなって感じかな。。。』
『それだけなの???他にも言ってよ。。。』玲子はイヤイヤをする様に言った。
『新婚旅行は、北欧とかハワイとか???。。。行った事が無いから。。。ホントは玲と一緒ならどこでも良いんだ。住む所も玲と一緒ならどこでも良い。。。ああ、但し、仕事を頑張らないといけないから、通勤で時間に負担にならない所かな。だから、自由ヶ丘のままで良いかなって。。。。。あと、インドも含めて仕事の目処を付けようとしている感じだから、それは大丈夫だよ。。。。そんなところで良いかな???』
『なんだ、ちゃんと考えているんじゃない。良かった』と玲が言った。
『玲子、島谷君は、ちゃんと考えているわよ。そうじゃなかったら、玲子はこんなに安心して居ないわよ』とお母さんが言った。
『そっか。。。安心したわ。。。。ああ、お父さん、お母さん、それとね、家賃と食費と公共料金、全部秀が出してくれるってよ!!!』
『そうなのか???島谷君、大丈夫なのか???』
『はあ、取り敢えず、当分大丈夫かと。。。。』
それ以来、俺は玲の実家によく泊まった。
玲に断りもなく、一人で泊まった事もある。
玲はそれを“無断外泊”と呼んでいた。
電話でちゃんと伝えても“無断外泊”と言われた。
その事で、喧嘩をした事がある。
その後、悟った事がある。
男が、少なくとも俺が、女に愛していると言う事は、”必ず君のもとへ帰る”と言う意味でだが、女は、少なくとも玲は、”君の事を最優先させる”と受け取る様だ。
アダムとイヴのアダムも、俺と同じように悩んだのだろうか?
また、ある時、喧嘩をした。
俺は家出をして、玲の実家に3、4日間居候した事がある。
その喧嘩納めは玲が俺を迎えに来て終わった。
その時、玲は泣きじゃくりながら“秀が居ないと寂しいから一緒に帰ろう”と懇願した。
その涙は心に刺さった。
その泣き顔も無邪気だった。
申し訳ないと思った。
俺は、強く反省した。
それまで玲は俺に泣き顔を見せない様にしていたのか、あまり泣かなかったが、この時を境にして、よく泣く様になった。
テレビを見ながらドラマに感動して泣いたり、嬉し泣きをしたり、会社でのストレスで悔し泣きをしたりした。
よく泣くので、ある日俺はお母さんにその事を話すと、本当に気を許した証拠だと言っていた。
俺は、嘘であっても玲の涙に弱かった。
愛情を感じる。
伊藤整という文学者が、女の涙を称してこう書いている。
“女の涙は、必ずしもいま口にしている事を理由として流れるものでない”
女を称して、言い得て妙である。俺も同感である。
女は、他にも同じ様な振る舞いをする事がある。怒っている時に口にしている事とその原因が違う事ある。
これには流石にまいる。
俺は、玲と喧嘩をする度に、すぐに玲のお母さんに相談した。
電話で解決しないと、お母さんを頼って、実家に泊まった。
玲は、『私の相談相手が居なくなるから、お母さんと話すのは止めて!』と言っていた。