東京45年【58-2】神楽坂
1985年 初冬の頃、25才、神楽坂
お母さんは、にこやかな容姿と打って変わったハッキリした物言いをする人だった。
『お母さんは、僕の様な“バカ”に娘を取られて嫌じゃないですか?』
『そういうでは無くて、あの子にはピッタリだと思います。あの子に不足しているところを島谷さんは持っていると思いますからね』
『お母さんと話していると、良い事なのか悪い事なのか分からなくなってきました。。。でも、京都でも同じ様な事を言われた気がします』
『その方って、タクシーの運転手さんですよね?』
『そう、そうですよ。谷口さんです!』
『この前、玲子が京都から帰ってきて、その谷口さんの話を聞いていたら、突然主人が京都にでも行くかと言い出して、二人で今月の末に行く事になっているのですよ』とお母さんは楽しそうに言った。
『えぇ?そうなんですか?』
『あなた達の旅行が感染したんですよ。本当に楽しそうに玲子は話してくれましたからね』とまた笑った。
『主人は、その谷口さんに会いたいらしくて、この前電話で案内をお願いしたところなんですよ』
なんともはや、展開が早かった。お母さんは、その谷口さんに会って、俺の事を聞いてくると言っていた。何を聞くのかと問うと、“光を出す人と光を集める人の違いだ”と答えた。そう言われた事を俺は思い出したが、それも俺には分からない事だった。そればかりか、あれから25年程経った今でも意味不明のままでいる。
俺は話題を変えてみた。
『ところで、玲子さんのご兄弟は?』と俺は聞いてみた。
『三人兄弟です。上から男一人に女二人です。玲子は末っ子です。一番下だったので甘えん坊に育ててしまったのかも知れません。上の二人は年子なんですが、すぐ上の姉と玲子は5才も離れていて、玲子が生まれた時は、それはもう家族4人で溺愛しました。今は、上の二人はとうに結婚して、今は主人と二人でこの家に暮らしています。島谷さんは?』
『年子の姉貴が一人います。今は沖縄にいます』
『お父様を小さい頃に無くされたそうですね?』
『はい。物心ついた時には居ませんでした。ですから、父親の記憶は一切ありません。ですが、母親方のお婆さん達が大勢居ましたから、代わる代わる家に来ては僕と姉貴の面倒を見てくれていました。祖母は13人兄弟の末っ子だったんですよ。しかも男1人、女12人の兄弟ですから、女系家族に育ったみたいなものです。それから、沖縄の名護というところが家系なんです。祖母は明治33年、西暦1900年生まれなんです。小さい頃は、“明治の気骨”をたっぷり教育されました。』
『私の両親も明治生まれでした。私は東京なんですが、主人の先祖は山口県なんですよ。代々続く家系らしく、古くから、神楽坂に住んでいたとの事です』
『山口で、古くから神楽坂にお住まいなら、もしかしたら、有名なお武家さんかも知れないですね?』
『ええ、佐藤栄作さんはご存知よね。その遠い親戚らしいです』
山口県で生まれて、3人の男兄弟の末っ子で、岸信介は次男であった。ここまでは知っていたが、いい機会なので調べてみると、元々、佐藤栄作の曾祖父は長州藩士であり、吉田松陰に兵法に関わる“兵要録”を教えた人らしい。さらに、明治時代になってからは、島根県庁の要職に就いたらしい。また、祖父は山口県議会で活躍されたらしく、さらに、父親も山口県庁に奉職したとの事だ。その父親は元々は岸家に生まれ、佐藤家の次女と結婚して佐藤家の養子に入った。その子供である佐藤栄作は、本家の長男、つまり母親のお兄さんの娘と結婚している。要するに、従兄弟と結婚した。さらに、岸信介は、父親の兄弟の娘と結婚している。これも従兄弟同士の結婚である。
さらに、余談を続ける。
岸信介の娘は、安部晋太郎に嫁いでいる。その子供が安倍晋三である。さらに、佐藤栄作の母親の姉の子供、つまり、佐藤栄作の従兄弟は、養子に出た。その妻は、戦後直ぐの総理大臣吉田茂の娘である。さらに、その娘の子供が、麻生太郎である。さらに、さらに、麻生太郎の姉は、2010年現在の天皇の今上天皇の従兄弟である寬仁親王に嫁いだ。寬仁親王は“ひげ殿下”の愛称で一般に親しまれ、スポーツ振興を積極的に取り組まれ、1985年当時は、日本山岳協会の名誉会長の職にあった。京都大学がブータン王国のヒマラヤ登山のバックアップを行ったのが、この寬仁親王であった。
歴史は巡ると言われるが、それを巡らせるのは人である。その人は何処まで繋がっていくんだろう。家系図の事を“系譜”と言うが、この佐藤家と岸家の両家はいったい何人の総理大臣を産んでいるんだろうか。さらに、日本の歴史は、どれだけの系譜を作りながら育まれてきただろうか。
どれだけ、人と人が関わり合って、その歴史を作ってきたのだろうか。
俺と玲は、この先どれだけの人と関わっていくんだろうか。
俺がオジサンになっても、お爺さんになっても、玲は俺の側にいてくれるだろうか。
その時、玲はどんなオバサンになっているのだろうか。
今と同じ様に俺の事を好きでいてくれるだろうか。
二人で感じ合えているだろうか。
そんな事を思っていた。
俺は、切ないくらいに大きな未来と玲への愛情を感じていた。
未来への不安を感じる時、そしてそれと共に未来に希望を感じる時、望むべく事も無い事ではあるが、ただ平穏に恙無くとは思いながらも、俺は俺の希望する未来を、そして玲は玲の希望する未来を望みたいと思っていた。
そして、その二人の希望する未来が、どうか一緒に歩めます様にと切に希望していた。