東京45年【45-1】京都 | 東京45年

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東京45年【45-1】京都

 

 

 

1985年 秋の頃、25才、京都

 


食事を終えて、東山に向かった。

 

 

東山へ向かう道中、谷口さんは、幕末の話をしてくれた。

 

 

日本は、徳川300年の歴史が、海外の列強が日本に来る様になった時代の中で、外から揺り動かされていた。

 

 

一方、国内は、鎖国を続け、国を守ろうとした徳川幕府は、幕末の志士を生み出した外様大名を列した薩摩・長州・土佐・肥後を初めとした藩に、内部から揺り動かされていた。

 

 

言うなれば、外部からの圧力と内部からの振動によって不安定になっていた。

 

 

江戸を中心とした江戸幕府は、その求心力を失いかけていた。

 

 

一方で、鎌倉時代から武士に国の権力を保持されてお飾りになっていた天皇・公家は、さらに疎外感を持たせた徳川幕府の転覆を謀っていた。

 

 

開国を迫る外様藩の志士は、幕府ではなく天皇を担ぎ上げ、尊皇攘夷論を展開した。

 

 

これは、力の無くなった幕府を捨てて、天皇至上主義を掲げながらも、開国して諸外国の力を借りて、その諸外国を追い払おうと言う当時では無謀と思われる思想を展開した。

 

 

徳川幕府対天皇家一族の構図が明瞭になった頃には、勤王の志士が天皇・公家が住まう京都に自然と集まった。

 

 

これに対して、幕府は国を揺り動かす勢力に対応する為に新撰組を擁護して、京都の街の治安の維持にあたった。

 

 

徳川幕府対天皇家一族の争いは、それまで一枚岩と思われていた武士を2分する事になった。

 

 

振り返るとその歴史は、心から国を思う10代から20代の若者達が佐幕と倒幕に別れて熱き血潮を滾らせた結果を物語たっている。

 


そして、時代は、傑出した若者を生み出す事になった。

 

 

その中でも異色と思われる人物が坂本龍馬であろう。

 

 

弱々しい少年時代から剣術の腕を磨き土佐藩に認められて、江戸の千葉道場への遊学を許される。

 

 

龍馬が生きた頃は、勝手に藩を出る事も許されなかった時代である。

 

 

ましてや遊学を許される者など珍しい時代である。

 

 

江戸では剣術を磨きながら黒船来航を目の当たりにする。

 

 

そして、当時幕府の雄であった勝海舟との出会いにより倒幕運動に傾注する。

 

 

いや、正確に言うと、龍馬のそれは違っていた。

 

 

幕府を倒す事が目的ではなく、民主政権の樹立が目的だった。

 

 

幕府を倒す事が目的だった尊王攘夷派の考えを越え、その後の日本を想像していた龍馬だった。

 

 

この頃、藩や幕府、天皇という枠に囚われずに、日本を想像したのは龍馬だけだったのではないだろうか。

 

 

その後、土佐藩を脱藩し、商社の様な亀山社中という会社を設立する。

 

 

そして、脱藩した藩を味方に付けて、海援隊を組織する。

 

 

その海援隊が所有する船を江戸に向かわせる中で船中八策と呼ばれる五箇条からなる御誓文の草稿を策定し、後藤象二郎を通じて時の土佐藩主山内容堂から幕府に提言を行なわせる。

 

その数年後に大政奉還が行われて明治政府が発足する。

 

 

1868年の事だった。

 

しかし、その前年の1867年11月15日に京都河原町近江屋で土佐の幼なじみの中岡慎太郎と共に暗殺される。

 

 

龍馬は好きな軍鶏鍋を好きな幼なじみと火鉢に当たりながら食べていた時だった。

 

 

龍馬は、あれほど夢見た新しい時代を見る事無く33年の生涯を駆け抜けていった。

 

 

奇しくも龍馬が死んだ日は、龍馬33才の誕生日だった。

 

 

今も龍馬は、一緒に死んだ中岡慎太郎と共に京都東山霊山から京都の街を見下ろす護国神社に眠っている。
 

 

そんな事を谷口さんは車中で俺達に聞かせてくれた。
 


俺は、まさか龍馬と同じ日に生まれる娘を持つ事になるとは、この時は予想だにしなかった。
 


『知っていたの?』と玲が俺に聞いた。
 

 

『ああ、大体はね。司馬遼太郎の本をインドで読んでいたからね』と俺。
 

 

『インドに行かはったんですか?』と谷口さんが聞いた。
 

『はい、3年程ですが。その頃は、日本語が恋しくて、日本語の本をたくさん読みました。しかし、龍馬は変わった奴ですよね。脱藩した藩に援助して貰ったり、倒幕派なのに幕府要人の勝海舟の信頼を得たり、佐賀肥後藩主鍋島直正に倒幕を説いたり、12代将軍徳川家慶の従兄弟である穏健派の越前福井藩主松平春嶽を味方に付けたりと、この人物と思った人間を自らの人なつっこい性格で巻き込んでいく。そして、明治の黎明を見ずに、今頃の時期に死んだ。今日は彼の命日では無いけれど、墓参りがしたいんだよ』と俺は玲に言った。
 

 

『そうだったの。龍馬は11月に亡くなったのね。それならそうとさっき言ってくれれば良いのに』と玲は言った。
 

 

そう言う間もなく車は東山霊山に着いた。

 

 

車を降りて、階段を昇る。昇り切るとそこは、龍馬と中岡慎太郎の墓だった。鳥居があって、その向こうに二人の墓が並んでいた。余程訪れる人が多いのだろう、お墓の周りは、手向けられた花や果物、末は小銭がたくさんあった。二人で手を合わせた。
 

 

『何をお祈りしたの?』と玲が聞いた。
 

 

『二人のお陰で、日本はこんなに平和になっている。そして龍馬が望んだ通りに国際化進んで、世界の中で確固たる地位が築かれている。それは日本の礎を築いた龍馬のお陰で、引いては、ここに二人でこうやって来られたのも何かの縁でしょうから、お二人に感謝しますとお礼を言ったのさ。玲は?』
 

 

『私は、これからも秀との縁が続きます様にと祈ったわ』と玲が言った。
 

 

『そうか』と俺は玲の目を覗き込む様に見た。キラキラ光った玲の目は綺麗だった。

 

 

優しく肩を抱いた。そしてキスをした。
 

 

『愛している』


『私も愛しているわ』