東京45年【37】自由ヶ丘 | 東京45年

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好きな事、好きな人

東京45年【37】

 

 

 

1985年 秋、25才、自由が丘~京都

 

 

玲のマンションへ引っ越した。

 


自由が丘の玲のマンション前で、

 

玲が帰るのを待っていた。

 

 

秋の夕暮れ時は、寂しくなると歌があった。

 

 

N.S.P=ニュー・サディスティック・ピンク。

 

 

1970年代のフォークソング。

 

 

題名は。。。

 

『♪夕暮れ時は寂しそう♪

 

♪とっても独りじゃいられない♪』

 

 

 

確かに夕暮れ時に想う人を待っていると

 

物悲しくなるものだった。

 

 

さらに秋の夕暮れも寂しさを増幅させた。

 

 

玲を待っていると自然に口ずさむ歌でもあった。

 

 

冬は独り寝の冷たい布団に潜り込んで布団が

 

暖まるまでの時間が寂しい。

 

 

春は?夏は?思い当たらない。

 

 

思い当たる寂しさが思い出せない。
 

 

物思いに耽りながら待っていると、玲が帰ってきた。

 

 

 

 

『お待たせ!!!あれ、荷物はこれだけなの?』

 

 

『ああ』

 

 

『たったこれだけ?東京に8年も居て???』

 

 

持ち物はザック一つと小脇に抱えた週間朝日だけ

 

だった。

 

 

 

その中には山の道具と洋服が入っていたが、

 

ほとんど山の道具だった。

 

 

『入っていない物は、衣食住の中で食料だけだ。

 

これだけあれば何処でも暮らせる』
 

 

『それは、そうかも知れないけど。。。』

 

 

 

『俺って物欲が無いんだよ』
 

 

『そうみたいね』
 

 

『必要な物があれば十分なんだよ』
 

 

『私は必要なの?』
 

 

『必要とか不必要じゃなくて、

 

側にいたいと思っている』
 

 

『それは、この前も聞いたわね』
 

 

『ああ、言ったよ』
 

 

『一緒にいてどうするの?』
 

 

『一緒に居るんじゃない。側にいたいんだよ』
 

 

『その言葉の違いが分からないわ』
 

 

『今の気持ちを素直に言ってるんだ。

 

まだ、二人は一緒に何かを育てるまでには

 

なっていないんだ。

 

だから、側にいて、きっかけを見つけたいって

 

感じなんだよ』
 

 

『私は育ってるわ!』
 

 

『もっと二人で時間をかけようよ!絶対に育つから』

 

 

『少しだけ私の方が片思いって事?』
 

 

『それってユーミンだね?』
 

 

『何それ?あなたと私って正反対かもね?』
 

 

『薮から棒だね?』
 

 

玲は物事をハッキリとしたい女だった。

 

 

俺は聞かなくても感じられる様になりたい奴だった。
 

 

 

『それが良いんじゃないの?同じじゃ詰まらないよ』
 

 

『それも反対だわ。私は同じ風に思う人が好きなの』
 

 

『同じも良いし、違っても良いんじゃない?

 

価値は普遍でも、価値観は変わるものだろう?

 

それに思うんじゃなくて、感じるんだよ』
 

 

『価値観が変わっても、好き嫌いは変わらないと

 

思うわ』
 

 

『俺の全部を好きか嫌いかを、こんな事で決めるの?

 

もし、嫌いなら、もう終わるの?』
 

 

『違うわよ!』
 

 

『俺は玲が好きだよ!』
 

 

『狡いわ!さっきは側にいたいって言ったわ』
 

 

『好きだから側に居たいんだよ。

 

それだけじゃダメなの?』
 

 

『それなら良いわ。それで良いのよ!』
 

 

俺は意味が分からなかった。

 

 

意味が分からなかったが、ついついキスをした。
 

 

キスをしたら喧嘩の全てを忘れてた。

 

 

俺は玲が好きだった。

 

 

だが、二人の恋は、大人の恋なのか、幼いのか

 

分からなかった。

 

 

 

俺が幼いからなのか、

 

俺はまだ玲の思いが実感できなかった。

 

 

その晩から玲との同棲生活が始まった。

 

 

9月の中旬だった。

 

 

再会してから2週間も経っていなかったと思う。

 

 

 

 

 

その夜、黒部の衆の渡辺さんから電話を貰った。

 

 

黒部の衆として黒部周辺の登山史を出版するので

 

手伝って欲しいという事だった。

 

 

内容は主に黒部別山周辺の登攀史とのことだった。

 

 

俺は出版の手伝いだけで俺の手記や記録は

 

掲載しない事を条件にOKした。

 

 

 

 

玲との生活を楽しみしていたが、忙しくなった。

 

 

 

 

黒部登山は、1980年代前半には剣岳までの

 

ロングランの登攀が行われた。

 

 

その中でも

 

俺が実行した後立山~黒部別山~剣岳~

 

奥鐘山西壁~後立山へと辿った山登りは

 

異彩を放っており、今もこの超ロングランの

 

山行は実施されていない。

 

 

俺の中でも、まばゆいきらめきと情熱の中に、

 

その登山はあった。

 

 

 

俺は翌日から日本山岳協会、ヤマケイ、朝日新聞社、

 

国会図書館に入り浸り、黒部別山に関わる登攀記録を

 

あさる様に調べ、果ては、京都大学の図書館に

 

まで及んだ。

 

 

 

ある時、京都大学に資料があると聞きつけて、

 

京都に向かった

 

京大に向かう日の前の夜に玲に言った。

 

 

『明日から京大に言って来るよ』

 

 

『いつまで?』

 

 

『すぐ帰ってくる』

 

 

『だから、いつまで?』

 

 

『多分、1泊か2泊くらいだよ』

 

 

『そう。何しに行くの?』

 

 

『黒部の登山史を調べにさ』

 

 

『知床に行く時も急だったわよね。いつも急ね』

 

 

『帰ったらどこか食事でも行こう。それとも

 

京都に土日に来る?』

 

 

『そう言えば、この前の約束もまだだわ』

 

 

『ごめん。すぐ帰って来るから。。。。』

 

 

俺は、竹中さんの墓参りに行く約束を果たして

 

いなかった事を思い出した。

 

 

 

京大山岳部の部室に行った。

 

 

部室の奥から麻雀の音がした。

 

 

未だ幼さの残る学生が、『主将、お客さんです』

 

と奥の方を向きながら呼んだ。

 

 

 

 

俺は、東京に玲を残し、京都に来た。