東京45年【30】上井草 | 東京45年

東京45年

好きな事、好きな人

【30】

 

 

 

1985年秋の頃、25才、東京
 


夜の12時前だった。

 

 

外に出ると、昼間の夏の様な熱気が微かに残っていた。

 

 

寮母さんと裏手にある小さな空き地に行った。
 

 

バケツに新聞紙を入れて、それに火を着けた。

 

 

火はメラメラと燃え立った。
 

 

 

 

燃え立つ火の中に迷いながらも茂子の写真を一枚放り込んだ。

 

 

他の写真や手紙を燃やした。

 

 

燃やしながら、何か一つくらい残そうかと女々しく思った。

 

 

全部燃やす自信が無かった半面、残したく無かったから、

 

寮母さんに付き合って貰っていた。

 


青春の限り尽くして、ただ一人、惚れた女の想い出が、どんどん灰になっていった。
 

 

 

 

そのうちに俺は泣いていた。

 

 

寮母さんは黙っていられなかったのか口を開いた。

 


『好きだったのね!』
 

 

『好きなんてもんじゃ無いですよ。。。

 

 

この上なく、最高に、圧倒的に好きでした。

 

 

絶対に、本当に、好きでした』

 


 

『島谷君がモテる理由が分かったわ』
 

 

『モテないですよ!モテててたら、振られないですよ』
 

 

『その子には振られた形かも知れないけど、そうじゃないかもね?

 

女って我が儘なのよ。

 

愛されると離れたくなるし、離れると側にいて欲しくなるのよ』
 

 

 

『そんなもんですか?女ってバカな生き物ですね。でも好きでした。本当に好きでした』
 

 

『島谷君はいつも一緒に居たかったでしょう?

 

登山が有ったから調度いい距離感だったのよ。

 

でも、きっとその子は自信が無かったのね?

 

男と女は着かず離れずが調度良いのよ』

 


『わからないです。俺が幼いのかも知れませんけど』
 

 

『それが島谷君がモテる理由なのよ。

 

 

真っ直ぐに相手を見て、脇目も振らないから他の女の子にモテるのよ』
 

 

『やっぱり、わかりません。好きな女にモテたいです。

 

好きな女を愛して、愛されたいです。

 

それ以外は要りません』

 


 

『罪作りな男だね!女は好きになったら側にいたいのよ。

 

で、少し飽きたら離れたいの。

 

また淋しくなったら側にいて欲しいのよ』
 

 

 

『サッパリ解りません。。。好きならずっと一緒に居れば良いのに。。。』
 

 

『だから、島谷君は罪作りなのよ!きっと、わかる時が来るわよ』
 

 

 

『僕はそんな中途半端な女は要りません。

 

気分で変わる様な女なんて。。。。

 

僕は、ずっと側に居られる女を見付けます。

 

でも。。。。。やっぱり、女は要りません』

 

 

 

俺は寮母さんの意味の解らない恋愛論が、理解出来る程に大人ではなかったし、

 

そうなりたいとも思わなかった。
 

 

『勉強にはなりませんが、でも覚えておきます』
 

 

 

 

俺は、写真や手紙を火に焼べながら、突っ走った時代と茂子を想った。
 

 

そして、茂子と出会ってからの日記を燃やした。

 

 

大学ノート5冊もあった。

 

 

山と茂子の事ばかり書いてあった。

 

 

それも灰にした。

 

 

 

 

 

茂子の手編みの毛糸の手袋。

 

 

今はもうボロボロになって、もう使えなくなっていた。

 

 

相合傘が刺繍されていた。

 

 

灰にした。

 

 

 

 

最後に上高地のかっぱ橋の上で撮った写真を見ながら、また泣いた。

 

 

未来に希望を持って、微塵の不安もなく、優しく明るい笑顔の二人が写っていた。

 


『寮母さん、この一枚だけ残したらダメですかね?』
 

 

『どうしたいかは自分で決めなさい!!!

 

ああ、いやだわ。私まで泣けてくるじゃないの』と寮母さんも泣いていた。

 


『寮母さんが泣くのは可笑しいですよ』と言いながら、寮母さんの優しさを感じていた。

 

 

 

『この写真は、茂子のお母さんが撮ってくれたんです。

 

澄み切った梓川に掛かる橋の上で、僕と茂子がキスをしていたら

 

「もっと軽めのキスにしなさい」って言われたんです。

 

「激し過ぎる」って。。。。

 

親が見ている前で、ブチューってしてたんですよ。

 

あはははは。。。。。。。。。。。。。。。。

 

好きでした』

 

 

寮母さんは、もっと泣いた。

 

その優しい寮母さんの涙で、俺はもっともっと泣いた。
 

 

 

『ヤッパリ、燃やします』と言って、そっと火の中に入れた。

 

 

心の中でサヨナラと言った。

 


 

 

『あっ!!!』と寮母さんは言った。
 

『ヤッパリ島谷君は男ね』
 

 

『そんなんじゃないですよ。

 

二人の澄んだ笑顔を見ていたら、

 

亡霊に囚われていちゃあ、ダメだと思ったんです。

 

明日が来ない様な気がしたんです!』
 

 

 

『あぁ。燃やしちゃったわね。でも気持ちが良いわ。

 

私だったら全部持ってるわ。きっと!!!』
 

 

 

『今頃、言わないで下さいよ。

 

燃やしちゃったじゃないですかっ!!!あははは。。。。

 

でも付き合ってくれて、ありがとうございました』と言った。
 

 

 

『頑張れよ!島谷!』
 

 

『はい。頑張ります』
 

 

想い出の品々は、全部灰になった。

 

 

 

不思議なもので、想い出の写真や手紙、貰った物は、

 

時間が経つと色褪せていく。

 

 

セピア色の写真の天然色を思い出そうとしても思い出せない。

 

 

しかし、心象風景だけは、あの頃の感情のままに天然色のフルカラーで

 

思い出せるものだった。
 

 

心の中にいる茂子は、天然色だった。

 

 

 

これで何一つ残っていなかった。

 

 

心の中に想い出があれば良い事だ。

 

 

 

 

 

 

寮に帰ると、寮生達が安酒を準備して待っていた。

 

 

酒の飲めない俺を知っているのに準備して待っていた。

 

 

仕方が無いので、その夜は深夜遅くまで飲んだ。

 

 

飲んだと言うよりも胃袋の中に流し込んだと言った方が良い。

 

 

気持ち悪くはなったが、不思議と酔わなかった。

 

 

 

その内に誰かがギターを弾きながら、大勢で歌った。

 

 

むさ苦しい体育会系の男達との飲み会だった。

 

 

男気を感じながら、早稲田の歌ばかり歌った。

 

 

8年間の想い出の場所から出て行く。

 

 

しんみりともせずに、朴訥とした笑いがあり、楽しい夜だった。





翌日、朝遅くに電話で起こされた。

 

 

出てみると日本山岳協会の副会長の紹介だと言い、古田さんと名乗る人からの電話だった。

 


『就職する気があるなら、会社に来て下さい』と言った。
 

 

『はい。副会長から聞いています。わざわざご連絡ありがとうございます。ところで、会社名と住所を教えて貰えますか?』
 

 

『なんだ、聞いてないのですね?三菱電機の鎌倉製作所まで来て下さい。月曜日の朝10時で良いですか?』
 

 

『三菱電機って、あの三菱電機ですか?』
 

 

『そうですが?』
 

 

『それは、とんでもないです』と俺は驚きながら言った。
 

 

『副会長からお聞きになっているかと思いますが、私は山ばかり登って遊んでいた人間です。しかも8年もです。ご迷惑をおかけする事になると思いますので、お断りしたいのですが。。。』
 

 

『いいから、履歴書を持って来て下さい』と電話の主はそう言って、電話が切れた。
 

 

直ぐに日本山岳協会に電話をした。

 

 

副会長にお断りしたいと申し出ると、良いから社会勉強のつもりで行って来いと言われた。
 

 

仕方がないので、行こうと思ったが、スーツが無かった。

 

 

寮生の後輩にスーツと革靴、ワイシャツ、ネクタイ、カバン、揚句に黒い靴下まで借りる事になった。

 

 

自前のものは下着だけだった。

 

 

月曜日は3日後だった。
 

 

 

 

後輩に聞くと、殆どの4回生は、5月には就職が決まっていた。

 

 

しかも、前の年の冬前から会社訪問をして冬には入社試験が終わっているとの事だった。

 

 

それなのに今は9月だった。

 

 

就職活動に乗り遅れた時間は1年近くだった。

 

 

もっとも留年ばかりだったから、正確には4年間乗り遅れていた。

 

 

後輩達が会社訪問の仕方とか、その会社への思い、その他に履歴書の書き方、その他諸々を教えてくれたが、俺には別世界の事ばかりで頭に入らなかった。

 

 

訳が分からない事が多いと緊張するもので当日は寝不足で会社を訪ねる事になった。
 

 

 


翌々日、上井草寮を朝6時に出た。

 

 

鎌倉へは、茂子と付き合い始めの頃にバイクで行ったが、運悪く交通渋滞にはまって、かなり時間が掛かったので、寮を早目に出た。

 


大船にたどり着き、駅員さんに行き先を訪ねると、モノレールに乗って二つ目の駅だと教えてくれた。

 


国鉄の改札口を出ると、今度は乗り場が分からない事に気が付いた。
 

 

制服姿の高校生に聞くと、わざわざ案内してくれた。

 

 

そして寿司詰めのモノレールに乗ると、二つ目の駅で殆どの人達が降りた。

 


それにつられて降りると、軍隊の様にみんなが一方向に向かって歩いてた。
 

 

三菱電機鎌倉製作所の正門に着いたのは、8時5分頃に着いた。

 

 

10時の約束だったので、早く着き過ぎた事を後悔しながらも、近所を歩き回ると珈琲屋も食堂も無かった。

 

 

仕方がないので缶珈琲を飲みながら、正門で待った。

 

 

9時前になると、人も疎らになったが、それでも10時は遠かった。

 

 

正門の前をうろうろとしていると、守衛さんが寄って来て、こちらに用事かと聞かれた。

 

 

事情を説明して、古田さんに面会だと言うと守衛小屋の裏手にある応接に通された。

 

 

恐縮しながらも差し出された珈琲を飲んだ。

 

 

この時に古田さんって、きっと偉い人なんだろうと思った。

 


こんな若造が来ただけで応接に通されるとは思いもよらなかった。
 

 

しかも、その守衛さんは10時前まで一緒に居てくれた。

 

 

その守衛さんに古田さんって偉い方もなのかと聞くと、副所長だと言われた。

 

 

矢継ぎ早にここには何人くらい社員の方々はいるのかと聞くと、5200人と言われた。

 

 

心の中では帰りたくなった。

 

 

やはり、場違いだった。
 

 

 

 

 

 

 

10時前には、電気自動車が来て送って貰った。

 

 

車に乗りながら古田さんに会ったら帰らせて貰いたいと言おうと心に誓った。

 


そして、さっきの応接室とは比べ物にならないくらいに立派な広い応接室に通された時には、きっと勘違いしてるんだと思った。

 


珈琲が出された。

 

 

明らかにロイヤルコペンハーゲンのカップだった。下北沢のトロワシャンブルにあった物と同じメーカーだった。

 


5分程、待っていると初老の方が二人入って来た。

 

 

俺は立ち上がって深々と会釈をしたが、その内の一人が言った。

 


『いやぁ、あなたが島谷さんですか?お会いしたかったです。その節は本当に息子がお世話になりました。』と深々とお辞儀をされた。

 


『はぁ?意味が解りませんが。。。???』と言うと名刺を二人から貰った。

 

 

貰いながら、履歴書を差し出しながら、島谷だと名乗った。
 

 

フカフカのソファーに腰掛けると、いよいよ緊張が高まった。

 

 

なんと、その二人は5200人を抱える゛三菱電機株式会社鎌倉製作所の所長と副所長だった。
 

 

カチコチになった俺に副所長が言った。
 

 

『古田と言う苗字に、聞き覚えは無いですか?』
 

 

『申し訳ありませんが、何か勘違いされてはいないですか?

 

私は8年間も山を登っていて、古田さんの様な立派な方とはお会いした事はありません』

 

とキッパリと言った。
 

 

『いや、私ではないですよ。息子です』
 

 

『はあ、古田さんと言う人は大学の一つ上の先輩は知ってますが。。。』と。
 

 

『明広の父です』
 

 

『エェッ!???』俺は驚いた。
 

 

『穂高では息子の命を助けて頂きながら、

 

今までお会いする事も御礼の一言も申し上げずに礼節を欠いた親父を叱って下さい。

 

誠に失礼しました。

 

そして、ありがとうございました!』
 

 

 

冬の穂高で80kgの先輩を担いで降りた事を思い出した。
 

 

『叱るなんて、とんでもありません!

 

私もいろんな人達に助けて貰いながら生きてこれましたから!』
 

 

『息子に聞いていた通りの方で、嬉しいです』

 


『あの後、古田先輩から御礼がしたいから家に来て貰いたいと何度も言われながら、山に行ったり、当時の彼女と喧嘩したりで、自分の方こそ、ご無礼致しました』

 


そこで、所長が口を開いた。
 

 

『島谷さんは、本当に三菱に入りたいですか?』
 

 

『いいえ。日本山岳協会の副会長に行けと言われて、

 

お邪魔しただけですから、入りたいとか入りたくないの問題ではありません。

 

古田さんとお会い出来ただけで嬉しく思います。

 

お忙しいと思いますので、ここで失礼したいと思います』

 

 


『おもしろい!本当におもしろい!

 

信ちゃんから聞いてはいたけど、やっぱり、おもしろい!』と所長は言った。

 

 

信ちゃんとは、日本山岳協会副会長の呼び名だった。
 

 

『君は専攻は、流体力学だったね?宇宙をやってみる気はないかね?』
 

 

『無いです。宇宙は行った事が無いので、何を作れば良いのか、さっぱり検討がつきませんので』
 

 

『いやぁ、古田さん、採用しよう。私から丸ノ内には伝えておくからね!』
 

 

『それが良いですね!』と副所長が言ったが、俺はこう言った。
 

 

『ちょっと待って下さい。入社したくないと申し上げました。

 

それを無理矢理入れるのは、どうかと思います!』
 

 

 

『島谷さん、人生の先輩が三人共に同じ事を言っているのです。

 

騙されたと思って入社して下さい』と古田さんが言った。
 

 

『ありがとうございます。しかし、一日だけ時間を下さいませんか?

 

副会長とお話してからお答えしたいと思います』と俺は言った。

 

 

すると所長が内線電話で通してくれと言った。
 

入って来たのは副会長だった。
 

 

『おう。島!話しは決まったか?』と副会長は言った。
 

 

『副会長、ありがとうございます。しかし、僕は騙し討ちは嫌いです。

 

それに三菱電機は「騙されたと思って」入る会社なんですか?』
 

 

 

『島!口を慎め!お前は、先輩に対する態度が悪い!

 

俺が入れと言うんだから、入れ!』
 

 

『。。。。。。』
 

 

『なんとか言え!』
 

 

『はい。本当に私は山ばかり登ってきて一般常識に欠けています。

 

これからサラリーマンになるとは言ったものの、どう働けば良いのか解りません。

 

ましてや三菱電機さんの様な有名企業に僕の様な者が社員となったら会社の品位が

 

疑われます。それに技術がある訳でも無いので、みなさんに恥をかかせる結果に

 

なったら申し訳ないと思います。それから。。』
 

 

 

『お前の技術とか仕事の成果を期待している訳はない!!!

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。直ぐにとは言わない。

 

徐々にで良いから頑張ってくれないか?どうだ?』と副会長は頭を下げた。

 

 


『副会長、私は本当に出来るかどうか分からないんです。

 

それでも宜しければお世話になりたいと、少しだけですが。。。そう思います』
 

 

 

『入ると言え!!』
 

 

俺は迷いながらも、三人の親父にここまで言わせては申し訳ないと思った。

 

 

 

『しかし、副会長。日本山岳協会のお手伝いは出来なくなりますが、

 

それでも良いですか?

 

なんせ遠いですから、すぐに来いと言われても行けませんよ』

 

 

『それは、お前がウンと言ったら古田と考える。だからウンと言え!!!!』

 

 

 

 

副会長の強硬姿勢は変わらなかった。