東京45年【29】パタゴニア | 東京45年

東京45年

好きな事、好きな人

【29】

 

 

 

1985年  夏 25才 パタゴニアからインド、日本へ


 

パタゴニアからアルゼンチン・ブエノスアイレス、ブラジル・リオデジャネイロ、アメリカ・アトランタ、ニューヨーク、パリを経由してインドに着いた。

 

移動は10日間も掛かった様に覚えている。

 

今では、日本からトレッキング開始地点まで50時間くらいで行けると思うが、当時はバスがいつまでも出発しなかったり、乗るはずのバスが来なかったり、飛行機も来なかったりした。

 

 

パタゴニアから2日歩いて、やっとバスが乗れる部落に着く。

 

3回バスを乗り継いで、やっと飛行場に到着した。

 

そこまでで、5日も掛かった。

 

来ないバスを待つ為に寝床を探し、来ない飛行機の為に食い物を探すといった旅だった。

 

とにかく、下界に降りてからも奔走した。

 

 

山だけではなく、下界の街や部落でも遭難しそうだった。

 

 

 

とにかく、お尻の皮が剥けそうなくらい座り続けて、奔走して、やっとの事でインド・ニューデリーに辿り着いた。

 


田口さんとは日本での再会を約束して、アルゼンチン・ブエノスアイレス空港で別れた。

 

 

 

インドへ向かった。店の整理が目的だった。

 


ニューデリーの店に着くとおかみさんと田中が出迎えてくれた。

 

 

田中は3年間でインド工科大学を卒業していた。

 

 

インド工科大学は日本の東大だった。

 

 

優秀な奴だった。

 

 

 

その夜はおかみさんの家で晩御飯をご馳走になった。

 

 

久しぶりに楽しい晩餐だった。

 

 

おやじさんは、コップ売りの露店商を辞めて、不動産業をやっているとの事だった。

 

 

 

職業選択が自由にならないインドだったはずだったが、知り合いの商売を手伝う名目だったらしいが、その人が亡くなり、幼い息子の後見人として、実質的にはオーナーとしてやっているとの事だった。

 

 

楽しい晩餐がひとしきり終わってお茶を飲んでいる時に俺は切り出した。

 

 

店を閉める事を話した。

 

 

おやじさんやおかみさんが反対した。

 

 

生活が出来なくなる事が一番の理由だったが、それ以上に常連さんが増えて、その人達にも申し訳ないという事だった。

 

 

すると田中がどこまで出来るか分からないが、自分がやりますと言った。

 

 

俺は田中の人生を考えて反対した。

 

 

インド工科大学まで出て登山用具屋になる事はないだろうと俺は言った。

 


『先輩だって早稲田に入って山屋になったじゃないですか?

 

価値観は、人それぞれ違うし、生き方も違うじゃないですか?』
 

 

『だけど。。。』
 

 

『先輩が僕の事を考えてくれるのはありがたいですが、僕には性に合ってるんですよ。ここでの暮らしも満更でもないし、それに僕の居場所を奪わないで下さい』と田中は懇願する様に言った。
 

 

『じゃあ、やれるところまででいいからな!ダメだと思ったら、すぐに俺に言えよ!』
 

 

『わかりました。そうします』
 

 

『それから、ホントにお前がそれで良いなら譲るよ』

 

 

『それはダメです。僕は使用人で良いです』

 

 

『俺はもうあまり来られなくなるから、経営者って訳にはいかないんだよ』

 

 

 

それでも田中は引こうとしなかった。

 

 

結局は、田中と店を共同経営という形にした。

 

 

但し、店の名前を変えてくれと頼んだが、それは実行されないままだった。

 

 

しかも、その店は今も健在である。
 

 

昔の木と石作りの変な家ではなく、ビルになっている。

 

 

 

トイレも変なトイレではなく、水洗トイレだ。

 

 

ウオシュレットは付いていない。

 

 

但し、登山用具店ではない。

 

 

 

 

そして日本には8月初旬に帰った。

 


帰ってすぐに田口さんと編集長、日本山岳協会の副会長に会った。

 

 

インドの店を譲った事と就職する事を伝えた。

 

 

そして全身全霊を賭けて登りたい山が無い事も伝えた。

 

 

田口さんと編集長は山を止めるのかと聞いた。
 

 

『今はわかりません。また登りたい山が見つかれば登ります。

 

そうでなければ登りません』
 

 

『もったいない』と田口さんと編集長は口々に言った。
 

 

『仕事は何をするんだ?』と副会長が聞いた。
 

 

『何も決めていません。ただ、とりあえず理工学部ですから、そちらの方にしようかと考えています』
 

 

『登山に関わらないのか?淋しくないのか?』と田口さんが悲しそうに聞いた。
 

 

 

『はい、関わりません。山で食べていくつもりはありません。

 

考えた事も無いです。それに陰々滅々とした気分もありません。

決めたんです。だからすっきりしています。

 

但し、登りたい山が無い限りは登りませんが、

 

今までお世話になった皆さんのお手伝いはさせて貰おうかと思っています。』
 

 

『そうか。お前がそう言う時は止められないよな。

 

それは諦めるとして、何を手伝ってくれるんだ?』と編集長が言った。
 

 

『何か僕に出来る事があれば。。。』
 

 

『それは、それでありがたい』と田口さんが言った。
 

 

『しかし、就職は別の会社ですからね』
 

 

『理工学部の生徒が就職する会社なら、知り合いが居るぞ。

 

紹介しようか?』と副会長が言った。
 

 

 

『はい。お願いします』と俺は内容も聞かずに即答した。

 

 

この際、どんな会社でも良かった。
 

 

『じゃあ、連絡させるから会いに行ってみてくれ。

 

古田と言う奴から連絡させるからな』と副会長は言った。
 

 

『はい。ありがとうございます』
 

 

『じゃあ、俺たちはこいつに手伝わせる事でも作戦を練ろう』

 

と編集長は田口さんと目配せをした。

 

 


『変な事を考えないで下さいよ』と俺は言った。
 

 

 

 

 

その翌日に大学に行った。

 

 

まだ大学は夏休み中で人も疎らだった。

 

 

理工学部の教学課に行って、大学院を中退したいと言った。

 


すると、その事務員さんは、『それは後期が始まってからじゃないと受け付けられない』と言った。

 

 

 


仕方がないので、上井草の寮に戻り荷物をまとめていると、寮母さんがやって来て、『どうしたの?引っ越しするの?』と聞いた。

 


『はい』と俺は答えた。
 

 

『どうして出て行くの?』と寮母さんはびっくりした様子で聞いた。
 

 

『学校を辞める事にしたんです』
 

 

『どうして?』
 

 

『元々、山に行きたくて大学に入ったんです。

 

山に行く用事が無くなったんで、学校にいる用も無くなったんです』
 

 

『退学届けは、もう出したの?』
 

 

『いいえ。今日行って聞いたら、後期が始まってからだと言われました』
 

 

『じゃあ、未だ居れば良いじゃない。どうせモグリなんだから』
 

 

俺は”それもそうだ”と思った。
 

 

 

『それなら、もう少し居ても良いですか?』
 

 

『島谷君が居なくなったら、もう一人採用しないと、この寮は回らないわよ。どうせなら、ここに就職すれば?』と寮母さんはニコニコしながら言った。
 

 

『申し訳ありませんが、それは無いと思います』と俺はキッパリと言った。
 

 

『残念だけど、そうよね。島谷君はここじゃないわよね?何をするの?』
 

 

『どこか、技術系の会社に就職しようと思っています』
 

 

『あら、サラリーマンになるの?似合わないわね!』
 

 

『皆さんに言われます。でも、やった事がないのでやってみたいです。』
 

 

『ここに来た時から変わらないわね』
 

 

『8年経っても変わらないのって、どうかと思いますけどね』
 

 

『それで良いのよ。男は!』
 

 

『ありがとうございます』
 

 

『でも、寂しくなるわね。もう少し私が若ければね。。。』
 

 

『寮母さん、勘弁して下さいよ』と俺は苦笑いをした。
 

 

 


それから、俺はヤマケイに電話をして、内山さんと池袋で会う約束をした。
 

 

待ち合わせ場所は東武デパートの16面マルチ画面だった。
 

 

久美さんと会うのは久しぶりだった。
 

 

『南米から帰ってきても電話もくれないのね?』
 

 

『ああ、電話し辛くてね』
 

 

『。。。。。。』
 

 

 

 

サンシャイン通りの喫茶店に行った。

 

 

そこは最初に久美さんと結ばれた夜に寄った喫茶店だった。
 

 

『ここに来たかったの?』と久美さんは聞いた。
 

 

『始まりもここだったから。。。』
 

 

『そう。。。やっぱり。。。』


 

『ごめんな』


 

『謝らないでよ。どうしてか教えてくれる?』
 

 

『言葉ではうまく言えないけど、このまま一緒にいる自信がないんだ』
 

 

内山さんは楚々と泣いた。
 

 

 

『悔しいけど。。。悲しいけど。。。辛いけど。。。島谷君の気持ちが分かるから、もっと悔しいわ。私じゃないのよね。分かるの。分かるから悲しいの。でも、楽しかったわ』
 

 

『俺も楽しかったよ。内山さんを好きになって、ずっと一緒に居れたらと思っていた。一生懸命、そうなろうとしたんだ』

 

 

『それも分かっていたわ』

 

 

『ごめん。出来なかった』

 

 

『私ね、電話が来た時にあなたが何を話すか分かったの。

 

 

だから家に帰って銭湯に行ってきたの。

 

 

あなたに綺麗な私を覚えていて欲しかったから。

 

 

少しお化粧も時間を掛けたの』

 

 

 

『ありがとう。覚えているよ。これからも』

 

 

 

『でも、ダメなんでしょう?

 

ダメな事は分かっているの。

 

いつかこの日が来る事も分かっていたわ。

 

何でもするから、もう一度考え直してくれない。

 

時間をおいてでも良いから、もう一度ここで会ってくれない?』
 

 

 

『それは、出来ないよ。もっと、内山さんを傷つける事になるから』
 

 

『それでも良いの。これっきり会えないなんて考えられないわ』
 

 

それから、二人は黙り込んでいた。

 

 

20分ほど何も話さずに黙っていた。

 

 

久美さんはずっと泣いていた。
 

 

 

 

 

そして、俺が口を開いた。
 

 

『俺、どっかの会社に就職するんだよ』
 

 

『えっ?サラリーマンになるの?』
 

 

『久美さんもみんなと同じように言うんだな。

 

なんか寂しいな。もう少し分かってくれてたのかと思ってたよ。

 

みんな俺がサラリーマンに向かないって言うんだよな』
 

 

 

『それはそう言うわよ』
 

 

『やっぱ、似合わないのかな?スーツ着て会社員なんて』
 

 

『そういう事じゃあ無くて、私が思ったのは、狭い世界が似合わないのよ』
 

 

『そう言う事か。。。でも、出来ないって言われると、余計にやりたくなるんだよ』
 

 

『就職してからで良いから、もう一度会ってくれる?』
 

 

『それは答えたよ』
 

 

『じゃあ、せめて連絡先くらいは教えて』
 

 

『わかった。落ち着いたら連絡するよ』
 

 

『あなたと会えて本当に良かったわ。ずっと好きでいると思うわ。ありがとう』
 

 

『俺も好きだよ。ありがとう』
 

 

『先に出て行ってくれる?』
 

 

『???』
 

 

『お願い。最後に、後ろ姿を見せてくれる?

 

私が先に席を立つと振り返ってしまうから。。。

 

お願い。。。』


 

『ああ、分かった』
 

 

『元気でね』
 

 

『ありがとう、内山さん。じゃあね』と言って俺は席を立ち、店を出て行った。


俺は一度も振り返らなかった。
 

 

 


何故、別れたのか?


何故、一緒に居なかったのか?
 

何故、内山さんじゃなかったのか?
 

 

恋愛は、出会ってから別れに向かう。

 

 

もしくは、一緒にいる。

 

 

どちらかだが、いずれは別れるものなのかも知れないと思った。

 

 


いや、人の出会い自体がそうなのかも知れない。

 

 

だが、その出会いは、いろんな事を俺に残していく。

 

 

悲しさや、楽しさや、辛さや。。。
 

 

自分が精一杯その人達と向き合えたかどうかで思い出の重さが違う。

 

 

その重さだけが残っている。

 

 


生きていると、いろんな出会いがあると同時に、いろんな別れがある。
 

 

いろんな出会い方があり、いろんな別れ方がある。
 

 

 

それぞれの人達に真摯に向かい合えたか?
 

 

真摯に向かい合えた人達の数が、多ければ多いほど自分の人生は裕福になる様に思える。

 

 

だが、その時代の俺は、それを知る術も無かった様に思う。

 

 

いや術は有っても、感じる心が無かったと思う。
 

 

とにかく、内山さんと別れた。

 

 

でも、もう一度、初めから綺麗な気持ちで内山さんと始めたかった。

 

 

それは絶対に適わない想いだった。
 

 

 

 


この夏、インドの店、山、内山さんを一度に止めた。

 

 

そして茂子に別れを告げた。

 

 

 

 

仕事も無く、住む家も無く、やりたい事も無かった。

 

 

住所不定、学生だった、

 

 

東京に来て、初めて味わう虚脱感と不安感、孤独感だった。

 

 

 

 

 

夜8時半を回っていた。

 

 

そんな気分と残暑の名残と風も無く、不快指数は最大級だった。

 

 

そんな時に、誰かと話したかった。

 

 

そんな気分だから、誰かと抱き合いたかった。
 

 

 

 

 


寮に帰ると寮生が食堂に集まってテレビを見ていた。

 

 

どうしたのかと入っていくと寮生の代表が真っ先に口を開いた。
 

 

『日航機が落ちたらしいです』

 

 

『落ちたって墜落って事か?』

 

 

『その様です』

 

 

『何人乗っていたんだ?』

 

 

『よく分からないですが、500名程みたいです』

 

 

『何処に?』

 

 

『それもよく分かりませんが、長野か山梨か群馬の山の中みたいです』

 

 

 

 

俺はすぐに副会長の自宅に電話をした。

 

 

 

『島谷ですが、何処か山の中に飛行機が落ちたらしいですが、何処ですか?日山協に連絡は?日山協は動くんですか?』

 

 

 

『そう矢継ぎ早に聞くな。落ち着け!一応、文部省から一報が入ったらしいが、まだ墜落場所も特定出来ていない様だ。但し、外務省に入った情報では、米軍のC-130が長野と群馬の県境付近の山中に大きな火災を見たらしい』

 

 

『そんな長野と群馬の県境って言ったら、何百キロもあるじゃないですか?どの辺りなんですか?』

 

 

『わからん。静岡から山梨の河口湖、それから川上村を抜けたって言う情報もあるが、詳細は不明だ』

 

 

『川上村って言ったら、金峰山や甲武信岳の北側じゃないですか。あの辺は山深い谷間ですよね』

 

 

『だが、そこだと決まった訳じゃないからな』

 

 

『あの辺の山屋に聞いてみたらどうですか?』

 

 

『もうやってる。長野・群馬・山梨それぞれの県岳連に問い合わせをしている』

 

 

『いや、そうじゃなくて。県岳連じゃなくて、海ノ口の源さんや両神の矢吉さんや瑞がきの八ちゃんあたりに聞けば分かりますよ』

 

 

『こっちは日本山岳協会だぞ。そんな木こり風情に聞けるか。』

 

 

『副会長!500名の命ですよ。メンツの問題じゃないでしょう!』

 

 

『兎に角、自衛隊や消防、警官、海上保安庁まで動いているんだ。お前は黙ってろ!』

 

 

俺は黙って電話を切った。

 

 

 

 

そして、そこに集まっている寮生に言って10円玉をかき集めた。

 

 

そして、ありったけの5万分の1の地図と自分の電話帳を持ち出して、日航機が落ちたと思われる場所を探しながら、

電話をかけ始めた。

 

 

片っ端から長野県・群馬県の県境の山屋に電話をした。

 

 

寮生も俺がやっている事が分かって手伝い始めた。

 

 

仕舞いには、寮にあるピンクの公衆電話5台全部使って寮生に電話をさせていた。

 

 

1人電話が終わる度に地図に×印をしながら次の相手の名前と電話番号を教えた。

 

 

要するに墜落現場の特定の為に目撃情報を集める為だった。

 

 

全部で50人程に電話が終わったのは、9時半を回っていた。

 

 

結果は半径3km圏内に絞れた。

 

 

 

 

俺はもう一度副会長に電話をした。

 

 

『島谷です。絞り込みました。群馬県上野村の南方の高天原山(たかまがはらやま)という小さな山があるらしいんですが、その山中の様です』

 

 

『お前、なんだってそれを?』

 

 

『電話しまくりました。副会長が言った“木こりふぜい”と“山屋”にですが。。。』

 

 

『大丈夫だ。さっき政府も正確な位置を掴んだと言っていた。それから日山協への協力は無しだ。全ての救助は自衛隊と消防、警視庁機動隊で行うそうだ』

 

 

『そうですか。分かったのなら良かったです。なんとか無事なら良いんですが。。。』

 

 

『それは。。。残念ながら絶望的だそうだ』

 

 

『はい。分かっています。遠く20km離れた場所からも巨大な火の手が見えたらしいですから』

 

 

 

 

『しかし、お前は相変わらずやんちゃだな』

 

 

『済みません。つい。。。』

 

 

『いや。謝るのは私の方だ。“ふぜい”と言って申し訳なかった』

 

 

『いいえ。そんな。。。何か出来ると良いんですが。。。』

 

 

『残念だが。。。じゃあまた』

 

 

そう言って副会長は電話を切った。

 

 

 

 

陰鬱な気持ちだった。

 

 

 

 

この日航機墜落事故で歌手の坂本九を始め著名な方々がお亡くなりになったが、搭乗予約をしていたにも関わらず、出発直前に便を変更したり、新幹線に変更して救われた方々もいる。

 

 

明石家さんま、逸見政孝、稲川淳二、舛添要一等がその人達である。

 

 

人生とは得てしてそんなものである。

 

 

これも因果応報なのだろうか?

 

 

 

 

 

寮の食堂もしんと静かだった。

 

 

『先輩、残念でした。。。』とある寮生が言った。

 

 

『ああ。。。みんな手伝ってくれてありがとうな。後の救助は政府で行うそうだ』

 

 

 

『でも、鬼気迫るものが。。。』

 

 

 

『島谷君、あなたはやるだけはやったわ』と寮母さんが言った。

 

 

 

『いや、みんなに協力して貰ったが。。。』と俺が申し訳なさそうにしていた。

 

 

 

『先輩、早稲田魂を見せて頂きました。ありがとうございました。先輩が動いた時にここにいる全員が“何やってい

るんだ”、“どうせ無駄だ”と思っていたでしょう。事実、私もそう思っていました。しかし、先輩は墜落現場を見つけましたし、それに本当に出来るだけの事をやりました。みんなを巻き込んで。。。とにかくナイスガッツです』と言った。

 

 

それを言った奴は、翌年早稲田ラグビー部の主将を務めて、俺が卒業した翌々年の日本ラグビーフットボール選手権大会、つまり、学生ナンバー1と社会人ナンバー1が対決して日本1を決める試合で見事に東芝府中を破って、日本1になったチームの主将である。

 

 

 

名前は永田といった。

 

 

その後、彼は日本代表にも選ばれて日本ラグビー界を背負った1人となった。

 

 

因みに、その年が日本の大学がその選手権で勝った最後である。

 

 

それ以降は、2011年現在まで社会人のみの優勝である。

 

 

 

 

兎に角、その一言で、場が和んだ。

 

 

みんなに“ナイスガッツ”、“ナイスファイト”と言われて肩を叩かれた。

 

 

無論、ラグビー部の寮だからむさ苦しい、男臭い寮だが、良い奴らが揃っていた。

 

 

どこまでも純粋にラグビーに打ち込んでいる奴らだった。

 

 

『ところで、島谷先輩、大学を辞めるって本当ですか?』
 

 

『ああ、でも大学は今年卒業したけどな。。。』
 

 

『噂は本当だったんだ!それでは大学院に入られたのは本当なんですか?』と代表が驚いた様に言った。

 

 

俺は寮生の唯一人にさえ大学院に入った事を言って無かった。
 

 

『どうして辞められるのですか?勿体ないと思うのですが。。。』
 

 

『敬語と丁寧語がごちゃまぜだよ。普通に話そうよ』
 

 

『はい、ありがとうございます。何故辞めるんですか?』
 

 

『元々、山に行く為に入った様なもんだからな。それに前期は一回も行ってないから。だから大学院留年ってのも金が掛かるしな』
 

 

『しかし、誰もが行ける訳では無いですから』
 

 

『それも良いだろ。だけどもう決めたんだから』
 

 

食堂に集まっていた40人くらいの寮生達が黙った。
 

 

『居なくなる事が淋しいです』と違う奴が言った。

 

 

多分、6才下の奴だった。
 

 

『ありがとう。止めてくれるのは嬉しい。でも別に俺が死ぬ訳でも無いし、また会おうよ』
 

 

『でも。。。』と代表が。。。
 

 

『ラグビー部だったら、頑張れよ!人と人の付き合いは、離れても覚えているもんだ。会いたいと強く思えば会えるからな!またな!』
 

 

『いつ出て行くんすか?』
 

 

『近くだよ。じゃあおやすみ』と冷たく言って、俺は二階の部屋の掃除をする為に上がった。

 

 

 

涙が出そうなくらい嬉しかった。

 

 

でも、これ以上センチにもなりたく無かったし、それ以上に泣き顔を見られたくなかった。
 

 

 

 

 

部屋に入って、泣きながら荷物を片付けた。

 

 

すると、想い出の品がたくさん出てきた。
 

 

いろんな山の石とか、砂漠の砂。

 

 

いろんな国の木の葉や貝殻。

 

 

それぞれが想い出の品だった。

 

 

 

 

茂子の写真も出てきた。

 

 

上高地に行った時にお母さんが撮ってくれた二人一緒の写真だった。

 

 

他の写真は全部茂子一人だった。

 

 

全部俺が撮った写真だった。

 

 

それを見たら、また泣けてきた。

 

 

 

 

写真を脇に寄せて、荷物を段ボールやザックに詰めた。

 

 

荷物を廊下に出して、部屋を拭き掃除をした。

 

 

壁の傷や床のシミが俺の想い出だった。

 

 

いろんな奴らの想い出だった。
 

 

 

 

全部終わった頃に寮母さんが珈琲を持ってきてくれた。
 

 

『片付いたの?』
 

 

『はい、やっとです』
 

 

『ここまで掃除をする人は初めてよ』
 

 

『もぐりでしたから』と俺は笑った。
 

 

『あらっ、これ懐かしいわね』と茂子の写真を手に取って言った。
 

 

 

 

『あとはやる事は、それを燃やそうと思うので、寮母さん、付き合って下さい』
 

 

『これから?』と寮母さんは言った。
 

 

『一人じゃ燃やす勇気が無いので、一緒にお願いします』

 

 

 

 

燃やせるかどうか分からない。そんな勇気があるのかと思っていた。