大変長らくお待たせしました。 「性同一性障害の札について語ろう」の開催報告をそれぞれの会場でまとめで紹介させて頂き、今後の方向性をお伝えさせて頂きます。

 

尚、下記の記載事項は参加された方々の意見であります。 皆さんが関わっている、仲の良い当事者も当日参加されています。否定的な意見クレームは、仲の良い当事者へのメッセージになりますので、責任を持って下さいますようよろしくお願いします

 

3会場とも、同じスタイル設問で長所・短所・改善点・親しみを感じる札とはと言う4つの設問でワークショップ形式で沢山の意見を頂きました。わざわざ時間を割いてお越し下さった方々に感謝しお礼を申し上げますとともに、今回の騒動で真剣にこの問題を向き有って頂きた方々にご迷惑をお掛け致しまして申し訳ございませんでした

 

皆さんの厳しいご意見を全て受け止め、埋没者・パス・パスを目指している方、パスが出来ず埋没も出来ない方も含め、全てのトランスジェンダーが不快にならない形の新しい札を改善して行きたく存じ上げます

 

 

 

 

3月14日(土) 福岡

参加人数は4名でした。

 

まず、札の短所を洗いざらしにあぶり出しました

 

 

①対象を絞っている事で、パスする人 埋没する人 アライの人 非当事者の方にも親しまれるチャンスを自ら断ってしまっている。

②やはり性同一性障害というネーミングでは当事者が思うほど非当事者にはなじみがなくピンとこないのではいかと考える

③性同一性障害と言う名前が表に出る事で、その名前についてネガティブな気持ちを持っている人が必要と考えていても手を出し辛いものになっている。

④そもそも性同一性障害という言葉自体浸透していない(特に地方)ので、札を見ても「あ~めんどくさいなぁ」と思う方が多いのでは?

⑤名前をもっとくずした形疾患名を使わずに表現できる形になれるといいなぁ

⑥札を出す勇気があれば自己の表現ができるのではないか。自己確立の未熟

⑦この札を発行するにあたって、明確な責任の所在が不明瞭で大人数の理解を得ることに難がある

⑧当事者間の不和や理解不足の状況がぬぐえない限り一般の多数者に理解されること、また、周知する事は困難で、その点を鑑みると、札の存在よりも基礎的な社会弱者に対する共通認識を醸成することが優先ではないか?

⑨有料・無料にかかわらず、このような公益性を求める存在は、もっとも透明性を重視せねばならずガバナンスやコンプライアンスの保持が重要であるが未だ不明確ではないか?

 

 

反対意見の方からも札の長所を出して頂きました

 

 

①この札により救われた人がいる事

②実際にそれが必要な人がいる、札がある事で、安心して暮らせる人がいるのは素晴らしいことなんじゃないかなぁ

③本人が納得していれば、その札を使うことによって前向きになれるのであれば、自己表現の1つとして有効な手立てと考えられる

④自らが積極性を示せない場合は1つの社会に対して主張するきっかけになる可能性がある

⑤札を使うことによって社会的認知が向上する一歩に繫がれば評点の可能性として有益と考えられる

 

 

反対賛成関係なく改善点を出して頂きました

 

 

①性同一性障害と一口に言っても、1人1人生き方、考え方は違うと思うので、(札の)片面は自分がして欲しい扱われ方みたいなのを書いてみるとか(ヘルプマークの裏側の対応の仕方を書いているみたいに)

②名称ではなく何かのマークなどにして一人でも多くの方が身につけれるものにすれば認知も更に広がる

③埋没する側からすると、当事者してではなく非当事者(アライ)として外側からの立場で利用できるものにしてほしい。

④趣旨と基本理念は明確にする必要があり且つ、個人の裁量によって活用方法を創造できるように寛容なる存在であることも考慮する必要があるのでは?

⑤明確な改善点が示しづらいが、現在導入途上の状況を考えると多数の意見を集約する形で、変更を重ね最終的な帰結点を求めることが必要不可欠ではないか?

 

 

 

みんなで出し合った 親しみを感じる札とは

 

 

①一部ではなく全体が理解でき利用できるもの

②ネガティブではなく、それがポジティブだというイメージをもてるもの

③形状も色もインパクトを活用性の高いものが求められる

④視覚的にイメージをつけやすいように短く、一見して認識しやすい表現も有効と考えられる

⑤人が音と視覚による感覚的認識が優先される場合は多い故、性同一性障害があるというよりも抽象的であっても聞き取りやすい音と発声しやすい音を重視したネーミングが有効ではないか

⑥そもそも使ったことがないから、親しみを持たせる方法が浮かびません(札がどうこうというよりは周囲の人の理解の問題、その人自身が周囲にどうアクションしていくかというような部分が大きい気がします)

 

 

 

以上であります。

 

福岡は大阪、東京に比べて少人数の参加者でアットホームな開催になりました、その分内容が濃い奥深い問題点や改善点を知るキッカケになり感謝しています。 まず札の欠点は2会場と共通している性同一性障害というネーミングが印象悪いネガティブになるという意見、当事者と絞っていて該当しない人の親しめるチャンスを失っているなど、後は、明確な責任の所在が不明だから不安になる、当事者間の理解が無いと非当事者の理解が得られない透明性を重視コンプライアンスやガバナンスが未だに不明確がありアウティングされた時の恐怖を与えているのだと感じた。その点長所として、東京で同じ意見が出た札で救われた、安心が出来た、積極性が出来ない方が主張するキッカケに、社会認知度が上がるなど、改善点としては、性同一性障害者と言えど1人1人違いあるので、扱って欲しい事柄を、ヘルプマークのように記載できるようにする、名称ではなくマークにする、多数の意見を集約する形にするなどで、親しみのある札としては、ポジティブな札にする、視覚的にイメージを付きやすくする、聞き取りやすい音や発生しやすい音などの意見を頂けました。

 

皆さんの意見を聞いてなるほど、福岡会場では視覚障害のお方が参加されていた事も有り音でのわかりやすい表現を提案して頂いた事に、性同一性障害当事者はダブルマイノリティのあらゆる人を想定しなくてはいけない事を気付かせていただきました。

 

 

 

 

福岡会場に参加された方に札の会のまとめの動画を出演して頂きました。

 

 

 

 

 

東京会場のとりまとめをリブログしときます

 

 

 

続いて、大阪、東京、福岡の開催を終えての総括と性同一性障害の札の方向性についてをお伝えします