奥州会津・新選組紀行 第一回
奥州会津・新選組紀行
第一回 「兵は神速を尊ぶ! ~新選組殉難の地・如来堂~」
車窓から見えるのは、こうべを垂れた稲穂とすすき野原。
とんぼが飛び交い、まさに「秋」という印象の会津盆地。
しかし、いざ駅のホームに降り立ってみると、残暑が厳しく、かなり蒸し暑く感じる。
地元の人が「今日は暑いねぇ」と話していることからしても、昨日までは涼しかったに違いない。
もっとも、雲ひとつない青空は、一人旅にはありがたい。
雨を気にせず、自由に動き回れるからだ。
今回の旅は、コンセプトははっきりしているものの、実際のスケジュールはまったくのノープランで、「まあ、行ってみれば、どうにかなるだろう」くらいに考えていた。
はじめての土地ならいざ知らず、ここは旅慣れた会津若松だ。それぞれの史跡の位置関係や距離感も頭に入っている。
綿密な計画を立てて旅するのもいいが、この行き当たりばったり感もたまらない。
こんな旅の仕方を教えてくれたのは、大学時代の友人Mだ。奴は現在、南米ペルーで活躍している。
とりあえず、バスの待合所で、「ご自由にお持ちください」的な地図を入手し、ざっと、ルートを確認する。
(さてと、新選組ゆかりの史跡は…と)
旅の前から行きたいと思っていたのは、阿弥陀寺、天寧寺…。
(ん? これは? 如来堂…新選組奮戦の地…。これだ!)
現地に行ってこそわかる情報もある。行き当たりばったりが、功を奏したようだ。
事前に計画を立てていたら、この史跡を訪れることはできなかっただろう。
私は、第一の目的地をこの「如来堂」に定めた。
しかし、この史跡は、
バスも通っているようだが、おそらく、良くても、一時間に2本くらいの運行だろう。
(さてと、どうするか…?)
思案しながら、辺りを見回すと、とある看板が目に飛び込んできた。
「レンタサイクル 一日500円」
(よし! もうこれしかないよね!)
私は窓口のおばちゃんに500円を払い、自転車で市内を巡ることにした。
旅行は、意外と、時間との戦いだったりする。
帰りの電車の時間は? 閉館時間は?
東京の生活に慣れていると忘れがちだが、地方都市の商店は午後5時か6時には閉まってしまう。以前、それに気づかず、痛い目を見たこともある。
それだけに、機動力を上げ、目的地間の移動スピードを上げることはかなり重要だ。
つまり、旅においても「兵は神速を尊ぶ」ということである。
んー、ちょっと苦しいか…。
いずれにせよ、交通網が整備されている京都のようなところは例外だが、史跡が点在する観光都市を効率的に周遊するには、小回りが利く自転車がもっとも便利だと私は思うのである。
如来堂を目指し、自転車でひた走っていると、急に視界が開けた。
あたり一面の田園……。
(こんなところにあるの!?)
確かに、「新選組殉難地」という道標がある。
私は驚きとともに、変な安堵感を覚えていた。
(バスで近くまで来たとしても、こんなとこ歩いてたら日が暮れちゃうよ。あー、自転車でよかった…)
ちなみに、写真のちょうど真ん中にある林が如来堂である。
このアングルで見ると、道標の矢印がぴったりその林を指しているようで面白い。
田園を突っ切り、民家の軒先を通り、その林までたどり着くと、大きく「史跡 新選組殉難地」と書かれた石柱が立っていた。
奥に見えるのが、如来堂である。
まさに「田舎のあばら家」といった感じだが、またそれがなんとなく郷愁を誘う。
140年前、ここで戦闘があったとは思えないほどの、のどかな佇まいだ。
しかし実際に、この場所で、会津に残った新選組隊士十数名がほぼ全滅している。
鳥羽伏見の戦いに敗れた後、新選組は敗走を繰り返し、旗揚げ当時からの仲間も一人去り、二人去り…、ついには局長の近藤勇も新政府軍の手によって処刑されてしまった。
そうして、たどり着いたのが、旧幕府軍の拠り所・会津藩。
もともと、京都守護職であった会津藩主・松平容保の御預かり浪士隊であった新選組にとっては、会津に拠って最後の抵抗をすることは当然といえば当然であった。
旧幕府軍は必死に抵抗したが、徐々に、そして、着実に新政府軍は会津城下へと迫ってくる。
そのとき、新選組に亀裂が走った。
副長・土方歳三(この時点での新選組の実質的リーダー)が会津を離れ、北を目指すと言い出したのに対し、京都全盛期では三番組長を務めた斎藤一は、「落城を目の前にして、志を捨てるのは、誠義とはいえないんじゃないですか!」と非難し、会津に残ると言い張った。
やむをえず、新選組は隊を二分し、一方は土方と北を目指し、一方は斎藤と会津で最後まで戦うことにした。
斎藤に随った者は十数名。ここ如来堂を守備していたが、新政府軍の襲撃に遭い、そのほとんどが討ち死にした…。
新選組の魅力は、数年間という短期間に、(池田屋を頂点にして)パッと花開き、儚く散っていくところにあると私は思う。
劇団員の荒牧さんは、「京都にいた頃がよかった」という。
確かに、その気持ちはわかる。一時代を築いた剣客集団が落ち延びていく姿を見るのは、正直、つらく、悲しい。
しかし、私はそこに、「美」をも見出してしまうのだ。
私は満開の桜よりも、舞い散る桜のほうが好きだ。
むしろ、桜は、散るからこそ美しいのではないだろうか?とさえ思っている。
「散りぎわの美学」とでもいうべきものを感じるのだ。
京都に満開の花を咲かせるも、ひとひら、また、ひとひらと散っていく。
だから、新選組の生き様は美しく、ファンの心を惹きつけて止まないのではないだろうか?
とはいえ、結局のところ、斎藤一はこの窮地を切り抜け、藩とともに降伏し、以後、大正時代まで存命している。
会津の恩に報いるためだったのか、それとも……?
その真実は、斎藤一本人にしかわからない。
散っていった隊士たちの冥福を祈り、私は如来堂を立ち去った。
次回予告
数多くの旧幕府軍の戦死者と斎藤一が眠る阿弥陀寺。
墓前に手を合わせる私は、そこで、この旅、最大の衝撃を受けるのであった!
次回「忍び寄る謎の人影! ~三番組長・斎藤一の墓~」
ご期待ください!
奥州会津・新選組紀行 序
こんにちは、劇団LGOで照明を主にやっている小向です。
先日、故郷の福島に帰省した際に、会津若松に立ち寄りました。
会津は小さいころから、何度も訪れているので、史跡もさすがに行きつくしたかな?と思っていたのですが、なかなかどうして、さすが歴史の街というか、いたるところに史跡が埋もれているものです。
今回は、とあるひとつのコンセプトをもとに、史跡めぐりをしてみました。
それは、
「新選組」
「え? 会津で、どうして新選組なの?」と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、事実、新選組は戊辰戦争の際、新政府軍に追われ、ここ会津で旧幕府軍の一員として戦っています。
そんな消え行こうとしている新選組末期ゆかりの地を巡ろうというのが、今回の旅の目的です。
そもそも、新選組に興味がわいたのも、この劇団の記念すべき第一回公演「There She Goes」の劇中劇で池田屋事件を題材にしたのがきっかけなんですよね。
というわけで、これから、「奥州会津・新選組紀行」の連載を始めようと思います!
(いきなりだな、おいっ!)
では早速、次の記事から第一回のはじまりはじまり~!
ジョージいなくなっちゃった!?
稽古風景でーす。
新生ビートルズ。
まぁ携帯の画質なんてこんなもんさ…。
いや、きっと携帯を使いこなせていないから、か。
でもなかなか良い風景でしょ?
というわけで、どーも、
最近友人にエラく薦められ、TV版も観てないのにエヴァの映画が観たくなっている信谷です。
いやー、最近週2本ペースで知り合いの芝居を観に行ってますヨ。
昔は「プロを目指して…」なんて一瞬甘い事考えたりもしてたわけですが、
そんな頃よりもひとつの作品を観て得るものが大きく感じる今日この頃。
演技以外にもいろんな所が気になるのです。
正直、この年になってから芝居の勉強をすることになろうとは…。
ふふふ。きっとこれが次回公演に生かされてくるに違いない!!



