邦人救助が絶望的な状況下で

他国の人々の母国の救援機に

よる救出劇を横目に見ながら

 

テヘラン空港に残された216名

の日本人の時間だけが刻々と

過ぎていく。

 

 

 

 

声明のあったタイムリミットの

48時間まで…残り数時間。

 

最期の時を待つかの様に家族と

寄り添い、絶望の淵、神に祈る

しかない状況がとても、とても

永く感じられたことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もが諦めかけた「その時」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠くから聞こえてきたのは…

 

徐々に空港に近づいてくる

「飛行機のエンジン音」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう…それは

二機のトルコ航空の旅客機

であった。

 

 

 

 

 

 

 

管制塔に対し、トルコ航空の旅客機

操縦士より、緊急着陸の許可要請

と共に、その理由である「邦人救出」

の旨伝えられた。

 

 

 

 

(※当時の実際の旅客機のペイントを再現した機体)

 

 

 

 

 

 

彼等は勇敢にも自らの命の危険を

顧みることなく、216名の日本人

救う為だけに、テヘラン空港へ

降り立ったのだった。

 

 

 

 

 

当然、イランにも大勢のトルコの

国民が残っていたが、自国民では

なく日本人の救出を優先し、216名

全員が、無事に脱出する事が出来た。

 

それは…タイムリミットの

わずか1時間前のことであった。

 

 

 

 

 

 

トルコ政府のおかげで、日本人全員

が無事に日本まで帰国を果たすこと

ができたのだが、この時イラク国内

に残っていたトルコ人は約500名。

 

邦人216名を優先し、全員救出する

には、救援機へのトルコ国民の同乗

は無理だと判断し、残されたトルコ

人は陸路でイラクを脱出した。

 

 

 

自国民をさし置いて、外国人である

日本人を救援するという事は、普通

ならば、政権に対する非難の対象と

なってもおかしくはない。

 

 

しかし、この行動は…

「エルトゥールル号の恩返し」

いわれ、この対応を非難するトルコ

人は、一人もいなかったそうだ

 

 

 

 

 

 

トルコ航空機がなぜ…邦人救出に来て

くれたのかは、当時の日本政府も報道

知る由もなかったのだが、後に駐日

トルコ大使のネジアティ·ウトカン氏は

当時の事を、次の様に語った。

 

 

 

「1890年のエルトゥールル号の事故

の時、日本の人々がして下さった献身

的な救助活動を、今も我々トルコ人達

は忘れていません。

 

私も小学生の頃、歴史の教科書で学び

トルコでは親から子へ、子から孫へと

語り継がれ、トルコ国民のほとんど

この日本の人々の勇気ある行動を知って

います。それを今の日本人達が知らない

だけなのです。

 

だから

 

テヘラン空港で困っている日本人を

救助する為に飛行機で向かったのです。

 

私達は…

エルトゥールル号の借りを返しただけ

なのです。」…と。

 

 

 

 

 

国境や人種、宗教。そして…時代をも

越えた「人が人を思う気持ち」がこの

奇跡を起こしたのだろう。

 

 

 

 

そして…

 2011年3月11日の東日本大震災。

 

多くの国から救援物資が届けられ

中でもトルコからの支援は大変に

手厚いものだった。

 

 

32名の救助隊に18.5トンの飲料水

さらに、豆やツナなどの缶詰が

約6万8800個、そして…約5000枚

の毛布が届けられ、その上義援金

として1600万リラとニューヨーク

のトルココミュニティから3万ドル

もの寄付が集まった。

 

その他にも

トルコ大使館ではトルコの高価な

工芸品を集めてのチャリティーの

バザーが開かれたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

この広い世界には…

我々の常識を遥かに越え、理解し難い

絶望的な状況に瀕している国家や人々

が沢山いる。

 

 

もう若くはないので…

綺麗事や理想だけで世界が抱えている

様々な問題が解決し得ないことや

二千数百年に及ぶ人類の歴史が、繰り

返されてきた血塗られた戦いであった

も充分理解しているが

 

 

真の世界の平和を願うのなら…

 

 

他国を核兵器の抑止力や、経済制裁

で押さえつけるのではなく…

 

自国の国益を損なう相手国に対して

非難する事や、政権が情報操作して

世論を扇動したりする事ではなく…

 

一番必要なのは

「隣人への愛」なのだろうと思う。

 

 

 

 

もし150年前…。

座礁した船から助けを求められた時

外国人に対する偏見や差別が強く心を

支配していたとしたら…。対価の為で

ないと動かなかったとしたら…。

 

きっと危険をおかしてまで助ける事を

しなかったかも知れない。

 

 

しかし、我々の先人達は

彼等を同じ人間として、誰かの大切な

家族として、見ず知らずの異国人を

助けずにはいられなかったのである。

 

その結果、長い年月を経て、世代が

変わっても、恩返しという「想い」

が人心を動かしたのだ。

 

 

 

 

 

大切な事は、相手を深く理解しよう

とすること。

そして、まず自分の方から手を差し

伸べること。

 

国や人種を越えて、皆がそう思えば

世界はもう少しだけ、マシになるの

かも知れない

 

 

 

 

 

 

 

最後に、もうひとつ。

 

高校に入学して初めての友達が

トルコ人の男の子だったという

次男坊の不思議な偶然のはなし。

 

 

 

有難い事に、僕には息子が二人いて

それぞれの子が生まれた日に酒屋へ

行き、20年後、息子と一緒に飲もうと

大好きな洋酒を買って保存している。

 

 

長男が生まれた日に買ってきたのは

「ジャック・ダニエル」

 

 

 

 

そして…

次男が生まれた日に買ってきたのが

「ワイルドターキー」

 

このワイルドターキーの「TURKEY」と

トルコ共和国「Republic of Turkey」

の「TURKEY」は実は同じスペル。

 

 

 

彼は生まれながらにしてトルコとの

ご縁があったのかも知れない。

 

 

 

 

彼の初めての外国の友達に…

 

トルコという素晴らしい国の人々と

日本人との友情に…

 

 

 

乾杯。

 

 

 

世界中の国の人達がこんな友情

結ばれたなら、平和な世界になる

のになぁと思うねこ店主でした。