戯れ言は所詮、と、歩糞笑む輩の隙を突く | development.3

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逆立ちをして、オシッコをしたら、日本の裏側の個人技が卓越した人々と同じ雰囲気で用を足してるような気持ちに。

いや、雰囲気の問題。

そんな、ふわっとした程度のもんです。


まっさらな模造紙を広げて、ペンを差し出される。そこに、何をかいても構わない、好きなようしろ。

そう言われてから始まる時間が、人生。



何をかいたら良いのか悩む人。

何をかけば良いのか悩む人。

何から描けば良いか、迷う人。


目的は様々だろうが、それを持たなければインクの切れたペンを闇雲に振り回すようなもので、気付いた頃には模造紙だけがボロボロになって居る。




何を行動に起こすか。よりも、何がしたいのか。その根拠になる過去よりの経験を忘れない事が、先ず、大切な一歩だろう。





おれの、否、おれたちの経験は、おれたちに何を示しているのだろう。

世の中の大半を占める一般論。とか云う、気持ちの悪い没個性的な、熱っぽいものを感じない蝿叩きでバシバシと叩かれていても、糞笑顔で中指を立てていたあの頃と何も変わらない事を、今ではステレオタイプと格好の良さげな横文字で罵られる。


その時、どれだけの情熱を注いでいたかをまるで無視する様に、さも『いま』が現実で、あの頃は非現実だと否定するかの様に。



面白味が、まるでない。



パンクのライブに来ておいて、多少の怪我でも負えば気が触れたかのように、あり得ないと騒ぐ輩は、一体何を求めて小屋に来るのだろうと、こちらが気でも触れたかのようにあり得ないと言いながらモッシュするだろう。


そこにはそこのルールがあり、そこのやり方が存在する。だから、おれたちは、選択して小屋へ足を運んで居た。


でも、小屋へ足を運ぶ『大人』は入れ替わり、ライブに行く度に、嫌な思い出を土産に帰宅する。



それは、ライブだけの話ではなく、嗜好と云うものの楽しみ方が、既におれの知らないものになってしまったのかもしれない。

もしくは、おれたちはそもそも、おかしかったのかも。




だとしたら、
おれは、いま、広げた模造紙に何を描き始めるのだろう。


そして、何を行動に起こすのだろう。



昔のおれは、何を志していただろう。


その志は、いま、おれをどう、突き動かすのか。