先日行ってきました、文京フォーラムの話題の続きです。
現役の教師で、「親力で決まる子供の将来」というメルマガを発行している親野智可等(おやのちから)氏の講演では、小学校での金銭教育は、まだまだ不十分で、性教育と並んで金銭教育は、「寝た子を起こす」的な発想で、現場の教育者などは、どうしても避けたがる話題のようです。
性教育が、エイズ問題や青少年の性犯罪の増加を契機に緊急に取り組まなければならない課題とされたように、金銭教育は、自己責任の時代の到来という漠然とした理由だけでなく、青少年による引ったくりなどの犯罪の増加や、子供を相手にした詐欺などの増加で、お金に対する問題も、緊急課題として注目されてきているようです。
ただ、現実には、家庭科でのお小遣い帳をつけることや(これも廃止が検討とか・・・)、総合的学習の時間などで、お金に関する問題を取り上げてはいるものの、体系的なカリキュラムなどは整備されていないそうです。
学校教育での知識を中心として金銭教育とは別に、家庭内での実践的な金銭教育も重要であるということは、前回の記事で書きました。
親野氏の言う「親力」とは、“子供を育て、包み、伸ばす親の総合力”のことですが、この「親力」を金銭教育に働かせる一つの例として、道端で拾ったお金をどうするか?という例で話していただきました。
道端で100円を拾ったことにします。大人であれば、100円を拾って、正直に交番に届ける人はいないかもしれません。
だからといって、子供の前では、それを「ラッキー」と言って、自分のサイフには決して入れていけないということです。原則通り、100円であっても、交番に届けるか、交番が近くにない時は、コンビニで募金箱に入れるなどをすると良いそうです。
つまり、拾ったお金は自分のモノではない、ということをしっかり教えることが大切だというのです。小さいこどもは、口で言うことと、実際にやることが矛盾していると理解することができません。親は、自分のポケットにしまうのに、子供はそれが駄目というのは納得が出来ません。
「親力」というのは、子供に対するこういった配慮というものなのかもしれませんね。
最近、子供同士の恐喝や、未成年の恐喝や強盗などの事件や犯罪をよく耳にします。もしかしたら、この自分のお金、他人のお金という区別があいまいになっているのかもしれません。「遊ぶお金が欲しかったから、他人のお金を取る」というのは言語道断です。(YASU)
現役の教師で、「親力で決まる子供の将来」というメルマガを発行している親野智可等(おやのちから)氏の講演では、小学校での金銭教育は、まだまだ不十分で、性教育と並んで金銭教育は、「寝た子を起こす」的な発想で、現場の教育者などは、どうしても避けたがる話題のようです。
性教育が、エイズ問題や青少年の性犯罪の増加を契機に緊急に取り組まなければならない課題とされたように、金銭教育は、自己責任の時代の到来という漠然とした理由だけでなく、青少年による引ったくりなどの犯罪の増加や、子供を相手にした詐欺などの増加で、お金に対する問題も、緊急課題として注目されてきているようです。
ただ、現実には、家庭科でのお小遣い帳をつけることや(これも廃止が検討とか・・・)、総合的学習の時間などで、お金に関する問題を取り上げてはいるものの、体系的なカリキュラムなどは整備されていないそうです。
学校教育での知識を中心として金銭教育とは別に、家庭内での実践的な金銭教育も重要であるということは、前回の記事で書きました。
親野氏の言う「親力」とは、“子供を育て、包み、伸ばす親の総合力”のことですが、この「親力」を金銭教育に働かせる一つの例として、道端で拾ったお金をどうするか?という例で話していただきました。
道端で100円を拾ったことにします。大人であれば、100円を拾って、正直に交番に届ける人はいないかもしれません。
だからといって、子供の前では、それを「ラッキー」と言って、自分のサイフには決して入れていけないということです。原則通り、100円であっても、交番に届けるか、交番が近くにない時は、コンビニで募金箱に入れるなどをすると良いそうです。
つまり、拾ったお金は自分のモノではない、ということをしっかり教えることが大切だというのです。小さいこどもは、口で言うことと、実際にやることが矛盾していると理解することができません。親は、自分のポケットにしまうのに、子供はそれが駄目というのは納得が出来ません。
「親力」というのは、子供に対するこういった配慮というものなのかもしれませんね。
最近、子供同士の恐喝や、未成年の恐喝や強盗などの事件や犯罪をよく耳にします。もしかしたら、この自分のお金、他人のお金という区別があいまいになっているのかもしれません。「遊ぶお金が欲しかったから、他人のお金を取る」というのは言語道断です。(YASU)