伊藤計劃先生の「ハーモニー」を読んだ。映画を見てから数年が経っていたが忘れられず、今回原作を読了するに至る。

 この作品の素晴らしい点については数多くのレビューで述べられているので、自分は少し個人的な感想をここに記そうと思う。


 この社会は既に「ハーモニー」の世界であり、人々がうつ病になるのはこのシステム化された社会のバグのようなものだと感じた。

 おそらくは完璧な社会とはアリやハチのような遺伝的プログラムによって行動する、個体よりも種の存続を最上位に選択するようなものである。この社会も既にこのような最適化が進行しており、それに適応出来ない意識過剰な人々はうつ病になるか、自殺することで人類のハーモニー化を促進しているのかもしれない。


 結局、意識はなぜ生まれたのかしっかりとは説明されなかった。ミァハの体験から読み解く限り、おそらく、意識は自己を個体として認識し、自分という個体が生存することが即ち種の存続に直結するという極めて種にとって危機的な状況であると認識したときに発現するのだと思う。


 そもそも、意識なんてものは存在していないとも言える。意識もまた遺伝子の生存戦略の一部なのだから。では今の社会で意識は強い方が良いか、弱い方が良いか。

 

 意志が弱い方が有利だ。なぜなら、苦痛を感じなくて済むからだ。


 強い自意識は、社会に対して無駄に圧力を感じたり、ストレスを感じさせたりする。


 死を目前に感じることで、個体の限界を悟り、限られた時間内でどれだけ何かをするか考えたいと思わせる。


 意識は、人間がイノベーションを起こすために会得したのかもしれない。人生で何かを成し遂げようとした人は、皆強い意識を持っていると思う。