オーディオについてこのブログで書くのは初だが、とりあえずこのテーマで書こうと思う。オーディオを世の中に広げたいという思いからである。
まず「音が良い」とはどういうことだろう。それはヘッドホンで聞く時、イヤホンで聞く時、スピーカーで聞く時といったハードウェアでも違う。また、電車か家か、静かなカフェかによっても違う。音楽を聞く時か、映画を見る時か、ボイスチャットをする時かでも違う。
「音が良い」とはこのように、状況や環境によって定義が大きく異なる。タイトルは「なぜ音にこだわるのか」だが、その「音」にも様々なのである。
求められる「音」は様々だが、共通して求められるものとしては「その時々で最適の音質」だろう。だが、これでは音に汎用性がない。
自分がここで問いたいのはオーディオ的な目線での音楽鑑賞における音で、つまり「原音忠実」についてである。
先に様々な状況を挙げたが、私は全ての「音が良い」ということに対する最低条件は「原音忠実」であることだと考える。原音忠実であるということが第一で、再生環境や媒体による差異の補完は個人がカスタマイズするもので、元の状態は原音忠実を目指すべきであると思う。
ここで、「なぜ人は音にこだわるのか」に舞い戻る。
人は、「完全な記録」とその「記録を再現」するための技術をこれまで磨いてきた。とりわけ「音」の記録は歴史が長く、高音質な録音とその録音の再生に切磋琢磨してきた。
44.1khz 16bitというデジタル記録方式は、人の認知出来る音と可用性の双方の点から最適とされた。しかし、これは随分前のものになりつつあり、現在は96khz 24bit 等ハイレゾ音質がスタンダードになりつつある。
ハードウェアにおいても、従来の工業技術では実現出来なかった微調整や素材の流通などにより、着実に進化している。この方向性はどれも、録音された音をどのように正確に「再現」するかというものだ。
人間の脳は優秀で、多少情報が欠落していても言葉を聞き取ることは可能だ。しかし、同時に細やかな音のディテールや空間情報も把握することができる。音質が上がることで、目を閉じればまるでその場にいるかのような体験さえ出来るようになるだろう。
画質も同じことが言える。VRの画質が向上し、現実世界と区別が出来なくなりつつある。高音質な音と組み合わせれば、正に現実と変わりない。
しかし、ここで「本」について言及したい。本は、人間の思考を「文字」という記号で圧縮したデジタルデータと言える。ギターの音をマイクでデジタルな波形として録音するように、個人の思考というアナログなものを「文字」として出力し紙やデータとして記録する。この「文字」はとても特殊で、人間は読むことでエンコードする。音や写真、映像はデータのため、機械がエンコードしアナログ化しなければ人間が認識することは出来ない。(アナログ化された写真を、脳が意味のあるものとして認識するために多少エンコードする必要はあるが)
つまり、文字を読むためには読者は、文字をコンパイルするためのライブラリやプロトコルを学ぶ必要があり、それは大きな負担であると同時に、思考を手助けしている。
文字にして圧縮することで、曖昧でブレやすい思考をとりあえず一時的に固定化する。それは情報が欠落しているとも言えるが、脳のリソースは有限なため、この単純化は有益だ。
話を元に戻すと、音楽も動画も写真も映画も3D映像も、そして文字や言葉、体の動きや匂いなど人間が感じる事のできる五感はすべて圧縮されている。現実と変わらない世界を体験出来ているように見えて、実は現実も現実を体験出来ているわけではないのだ。
それでも、なぜ人は音にこだわるのか。
「現実」を解明し、全てを理解しようとする知的好奇心が原点にあるのかもしれない。宇宙や物理のような、未知への探究心のようなものに近いと思う。