気をつけて…それが最期の言葉 | Lev i nuet! ~今を生きる~

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「今、ここに」の幸せに気づく私へ

2018年11月27日(日本時間19時33分)

父方の祖母が91年の人生に幕を下ろしました。




9月の終わり頃です。祖母の体調が優れないから近所の病院へ行くと、総合病院での検査入院が必要と言わたそうです。

10月に入院すると、肺に水が溜まっていることがわかり、食事と水分も止めて水を抜くための処置が行われたそうです。しかし水が溜まった原因は分からず、また水も抜き切れず、お医者さんの言う安定ラインで処置を止めることにしたそうです。

このまま暫く入院し、その後は施設に移ることが決まりました。水は少量。とろみをつけて口に含ませる。食事は取れないので点滴。祖母はすっかり痩せ細ってしまいました。

おそらく自宅には戻れないだろうと思えました。年末年始の一時帰宅でさえも、難しいかもしれません。



この話を聞いた時だったと思います。

帰りたい…帰らなきゃいけないと感じました。今年は夏に帰省をしたので、次は来年の秋頃だなぁと考えていました。しかし、それまで待てない!今なんだ!!と内から込み上げてきました。


上司と同じチームの同僚に事情を話し、そして先々週、一週間の休暇を取って帰省しました。このブログは日本で書きました。

お見舞いに行ったら、祖母は寝ているようでした。看護師さんに紙を頂き、ここに来たことを祖母に私の筆跡で残しました。

ストックホルムに戻る前々日に病院へ行くと、祖母は起きていました。身体は弱々しくも、苦しみなどは無く落ち着いていました。はっきりと意識があり、言葉は少ないですが、コミュニケーションは取れました。

帰り際に「明後日ストックホルムに戻る」と言ったら、「気をつけて」と声をかけてくれました。私は笑顔で「またね」と病室を後にしました。

このやりとりで、胸のつっかえが取れたと言うか、何かがスーッと楽になり、温かい気持ちになりましたました。



これが最期になるとは…

「またね」から9日後。

容態が急変し父と叔父に看取られて、祖母は息を引き取りました。



ランチから戻って直ぐに母からメッセージが入りました。
(祖母が)1時間くらい前に亡くなりました。

ある程度の準備はありましたが、まさか今日、この日が来るとは微塵にも思っていませんでした。

急いで電話をかけると、母は自宅で待機中だったので、話をすることができました。状況が分かったこと、母の声を聞いて少し安心しました。


電話を切ってから、親しくしている同僚に伝えました。彼女は私を抱きしめた後「家に帰って休んだら?」と言ってくれましたが、私は仕事を続けました。

すると今度は上司が「話は聞いた。無理に仕事をしなくていいんだよ。帰って休んで」と言ってくれました。しかし、仕事をすることを選びました。この思い遣り、そして休暇を取らせてくれたことに感謝しました。


あの日、祖母と交流が出来たので、帰省して本当に良かったと思いました。この満足が心の糧になっていました。だから今日、動揺はしても、大丈夫だったのだと思います。


おばあちゃん、ありがとう。