ちょっと真面目にゲームを考える | れびりんす

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人生という迷宮と向き合う日々の記録と記憶と何か。

半年も前から楽しみにしてたシン・クロニクルを削除した。

夢中だったのは一週間ほどでとても楽しくプレイさせていただいた。

その後の自分の生活の変化もあったし、周回プレイ方針への疑念などもあり、現段階で続ける理由がなくなった。


幼少期のゲームウォッチに始まり、ファミコンなどのコンシューマ機時代を長く経験し、スーファミ・プレステなどに繋がる。

社会人になり、世帯を持ち、コンシューマ機でプレイする時間の確保がままならなくなった頃、初期はゲームボーイ、その後のDS・3DS、現在のNintendo Switchなどのケータイゲーム機に変遷。

そこはそんなにガッツリハマってないけど、結局今は手軽だし安価に楽しめるスマホゲームにシフトしている。

PCゲームなんて路線もあるし、Steamというプラットフォームはあまり触れていないけどとても優れているとも思う。


時代の流れと共に大きくそのスタイルや方向性を変えながら生きながらえるエンターテイメントであるゲームってなんなんだろうって。

楽しいからって理由で幼い頃は何も考えずにプレイしていて、そこから学んだことも少なくないと思うし、今も貴重な休息時間の充実に一役買ってるとは思うんだけど、特に大人になってからのゲームの価値がわからなくなりつつある。


40代も半ばになって、自身の環境や心境の変化も大きく影響して、ゲームとの関わり方は変わった。

それでもなんらかゲームはしていたい感覚もありつつ、長時間触れてしまうと時間を無駄にした感覚もとてもある。

明確なクリアがあるタイプのコンシューマ時代と比較して、特にスマホ時代はオンラインが前提になり永遠にアップデートを繰り返し、何年何十年単位で遊ぶことを想定したゲームもある。

スマホに限らないけど、オンラインゲームはソーシャル要素も加わっているから、他者とのコミュニケーションも行うようになり、リアルと異なる一種の社会環境のような立ち位置にもなりつつある。


もうそこまで行くと、ゲームという括りすら怪しいほどに位置付けが変わってくるのかもしれない。

10代半ばから、漠然とゲームに「もう一つの世界」を生み出したいと考えていたのは、時代と共に現実化してきたけれど、なんというかちょっと思っていたのとは違う気もする。

まあ、ゲームのこれからとか広義な立ち位置の変化や向かうべき先の話はまた改めて書くとして。


今目の前のゲームが、昔よりも長期かつ定常的に人の時間を奪うことを前提として設計されているように感じるところには、ビジネス的な成り立つ成り立たないとのせめぎ合いも見え隠れして、本当にそれだけの時間を費やす価値があるのかどうかの見極めが難しい代物になりつつある気がしてならない。

自分も学生時代なんか散々やってきたクチなので偉そうなことはまったく言えないんだけど、コンシューマ機のような据置だからこそあったプレイへの制約が失われつつあって、それをまだ自己の責任において判断できない子ども世代が度を超えて時間が奪われ続ける現代には、動画ビジネスにも同様のなんというか悪習というか、デメリットやネガティブな要素が実はとても多いのではないかという感覚。

リアルではできない体験ができる場として、とても良かったプラットフォームは昔と比べて、だいぶ良くない形に変化してしまっているように思う。