瀬戸内海の風景を見て、
母と交わした言葉を思い出すのです。

母は広島よりさらに西の山口出身です。
幼い頃から、
この瀬戸内を眺めて暮らしてきたのです。
父は北海道の人なので、
そのうち、北海道の神威岬や宗谷岬や、
雄大な景色を見たことでしょう。
それから、ドイツやスイスで
短い間暮らしたこともあります。

その母が、
海を眺めながら、ぽつりとした感じで、
「いろんなとこ見たけど、
やっぱりこの風景がいいね」
その短い言葉には、
単なる風景のよしあしとか、
有名無名じゃない、記憶という含みが
あったんだと思いますが、
僕はそれを聞いて、
「ほんと?」と少し疑うような返事をしました。
母は何も答えませんでしたが、
野呂山という山の展望台から、
眼下に広がる瀬戸内海を見つめ、
目を離しませんでした。


サトちゃんと順平と旅をして、
列車の車窓いっぱいに海が広がると、
僕はそれを思い出していました。
それこそ、食い入るように眺めていました。
まるでその細部を精緻に見定め、
何をもってこの風景に目を奪われているのか、
それを分析しているようです。

母の言葉だけではなく、
僕は様々な想像を巡らせていました。
たとえば村上水軍についてです。
一概に海賊とひとくくりにするのは何ですが、
記録に残るだけでも、
体制に属さない海の一統は、
平安中期、藤原純友の乱、
いや本当はもっと古く
古事記の時代からあったでしょう。
神功皇后の遠征や
聖徳太子の松山、道後温泉行
なんかが思い出されるからです。

点々とした島々、
多くは元々、山の山頂付近ですから、
海からいきなり急勾配に崖がせりだし、
人の住める平らな土地は少なそうです。
彼らは、そうした土地で、
潮流を深く把握し、
格好の島に根付き、
勢力を拡大維持していきました。
田畑は少なかったでしょう、
穀物などの収穫は乏しく、
内地から仕入れていたと思います。

どんな交流があったのか、
それは威圧的なものであったのか、
友好的であったのか、
宮本常一の「海に生きる人々」や、
「忘れられた日本人」を
読む以前だった当時の僕には、
その生活に好奇心こそあれ、
不明な点も多く、興味をそそられるだけでした。

竹原に列車が到着するまで、
もう少し瀬戸内海について話を進めてみます。

 

プロジェクト630日目。


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2020/3/30 630日目

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■文学賞公募作品の執筆状況 1作目半分くらい ※まだ賞は未定

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 158ページ中50ページくらい了

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『僕を知らない君へ』オープニング 1日目

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