今週シリア反体制派関連のニュースは目に入っていましたが
特に感慨は湧かなかったのです
が、
アサド政権という単語と結びついたときに
あの事件 アラブの春を最初から目にしていたことを思い出しました。よ
アラブの春は2011年でしたか
>アサド政権、そしてその後ろ盾となっているイランとロシアにとって大きな痛手となり、
>ここ数年ほぼ休戦状態だった内戦を再燃させている。
>ハマはダマスカスとアレッポを結ぶ交通の要衝であり、ハマの掌握は象徴的な意味合いも持つ。
>1982年に当時の大統領で現大統領の父親であるハフェズ・アサド氏が
>反乱の鎮圧を軍に命じた際、残忍な大虐殺があったのがハマだった。
>また、2011年の民主化運動「アラブの春」で、ハマは最初にデモが起きた都市の一つでもある。
↓ここで紹介している記事はまだ読めます
2019年5月9日 12:43 発信地:バグズ近郊/シリア
↓アサド政権がロシアのウクライナ侵攻を評価しているという記録
↓それな 「アサド」という単語には俺が反応した
シリアでは、他のどんな武装勢力よりも圧倒的にアサドが最悪という基礎的な「事実」だけでも共通認識としてお願いします https://t.co/w5RKWqclFg
— 黒井文太郎 (@BUNKUROI) December 7, 2024



