”オキナワには闇がある”
先日、本土復帰40周年の番組で、沖縄出身の 知花くらら さんらの伝えていたメッセージ。
「解決しない基地問題、高い失業率、そして戦争の傷あと
沖縄のおばあの明るい笑顔の裏には、大きな闇がある。
沖縄を明るい癒しの島としてだけではなく、抱える闇があることをもっとみんなに知ってほしい…」
悲しいことにその闇が
この歴史に翻弄され続けている島を、より一層美しく見せている
*
沖縄今帰仁村 旅の2日目朝6時。
昨日の雷雨がやみ、なんとなく晴れそうな空模様。
10時にはこの素敵なオルッサの宿 マチャン・マチャンを出ないといけないので、
その前に、身軽なまま 早朝のウッパマビーチまで歩いてみました。
古宇利島がみえます。
高台に建つ宿から歩いて5分、
途中、野生のムラサキの朝顔をみながらウッパマビーチに向かいます。
ビーチの入り口が見えました
ハブに注意しながら 進みますと、、、
まだ早朝の空と同じくらい青い 静かなビーチがみえます。
これこれ! みたかった天然ビーチです!
草花の緑と、空と海の青の融合
海のない長野に生まれ育ったので、
生海はあまり見たことがありません。
上越の日本海と、江の島くらい。
11年前にみた万座ビーチと比べても、
ウッパマは静かでおだやかで邪気がなく、自然のままのビーチな気がしました。
40分くらい散策して、8時の朝食に間に合うようにお風呂
湯船付のお部屋を取れたので。
さすがにビーチサンダルで海に入るとまだ冷えます
***
さて、今日はこの後どうしよう?
名護に戻る途中に、美ら海水族館があるのですが、
この大自然をみた後に、人の手が加わった所に行ってもあまり楽しめないような気がして、
ビーチをもっと堪能したいと思いました。
チェックアウト後、またウッパマビーチでもよかったのですが、
宿のおすすめスポット帳をみると、すぐ近くの備瀬に
穴場のシュノーケルスポットがあると聞きました
お宿のご主人に、今帰仁村役場の屋根のあるバス停まで送ってもらい
66番路線バスに乗り、いざ備瀬へ。
昨日とうってかわって 快晴です
車窓からは のどかな沖縄の民家と畑、南国風の樹がみえます。
農村の風景は、日本各地あまり違ってみえないのですが、
昔行った 東南アジアの農村風景を思い出しました。
日本なのに日本じゃない様な違和感。。
そうだ ここはわりと最近まで日本ではなかった歴史を思い出した。
沖縄に行く前、琉球王朝を舞台にした仲間由紀恵さんの「テンペスト」を観ていました。
中国と日本、どちらともうまくやらないといけない微妙な立ち位置の琉球王朝。
沖縄は今でもアメリカと日本のはざまで同じような役割を強いられている。
今帰仁城跡などをみながら20分後、備瀬出口で降ります。
民家がポツンとあり、どう行ったらいいのか解らず、
民家のおばさん達に声をかけました。
「フクギ並木を抜けた奥にあるシュノーケルスポットはここから入れますか」
「そう、そこから入って道なりに行けば10分もしないうちに着くよ」
お礼を言って振り返ると、おばさんたちはすぐに家の中に入ってしまった。
フクギ並木です。防風林だったものが集落全体を覆い、
奥に進むとひんやり涼しさが増します。
時間が止まっているようです。
しばらく歩いていくと、
映画のセットに迷い込んだような不思議な気持ちになります。
自然と、防空頭巾姿の少女たちと、不安な夜を過ごす人々のイメージが浮かんできました。
こんなにきれいな場所なのに、笑顔でない人々のイメージ
なんでだろう・・・??と、おもいつつ海が見えてきました。
海だ!ウッパマより色の濃いうみ!
きれいです。とても@@
この近くにはエメラルドビーチという場所もあります。
エメラルドビーチとは反対の右側へ進み備瀬崎を目指します。
驚きの美しさ
風もあたたかく、水は透き通っています。
気温は27℃ 暑いくらいの紫外線。
視界はまぶしくきらめいています
けれどしばらくすると
きれいすぎて、
あまりにもきれいすぎて、悲しい気持ちがしてきました。
きれいすぎて危うい。きれいすぎて居心地が悪い・・
そしてずっと気になるもの。
{あの向こうの山はなんだろう・・・?}
きれいだーと興奮しながらも、ずっとその訴えかけるような対岸の島が気になっていました。
なぜか、手持ちの地図にも島が書かれていなくて、名前が気になっていました。
そのうち、レンズも向けてはいけないような気がして
30分ほどでその場を離れ、那覇で友達と会い、家路につきました。
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島の名前は 「伊江島」
手持ちのガイドブックにも載っていました。 「手つかずの自然が残る百合の咲く楽園」
実はこのページを旅に出る前 ひと目みて、戦争の悲しい歴史のある島だとわかりました。
だから行かないつもりでしたが、心のガイドに身を任せたら近くまでたどり着いてしまいました。
2010-08-14放送のNHKドキュメンタリーです
沖縄本島の西に浮かぶ、周囲22キロの小さな島・伊江島。
太平洋戦争の終盤、この島は、住民のおよそ半数1500名が命を落とす、過酷な地上戦の舞台となりました。
日本軍の兵士だけでなく、本来は非戦闘員であるはずの住民も武器を手に戦いました。
日本軍陣地が次々と陥落する中、少女までもが竹槍や爆弾を手に敵陣に突入しました。
「捕虜となるより死を選べ」という日本軍の教えも住民に徹底されていました。
日本軍陣地が次々と陥落する中、少女までもが竹槍や爆弾を手に敵陣に突入しました。
「捕虜となるより死を選べ」という日本軍の教えも住民に徹底されていました。
住民と兵士が一体となって絶望的な戦いを行い、おびただしい犠牲者を出した悲劇の島・伊江島。
ずっと沖縄唯一の地上戦は、南部の摩文仁の丘だと思っていました。
けれど私と同じように、伊江島が激戦区だった歴史を知る人は本土ではまだ少ないようです。
戦争以外にも1948年、米軍の爆弾処理船が起こした爆発事故があり、死者102人と
土地的に不幸な歴史が続いています。
” 慰霊がたりない島がある ”
これをネットを通じて知ってもらうために今回呼ばれた様な気がしました。
史跡でむやみに手を合わせたり同情することは、あまりいい事ではないといいます。
高い失業率の中、観光に影響するので消したい歴史なのかもしれません。
*
ウィキペディアによると、2006年は 「硫黄島ブーム」の年だそうです。
映画に取り上げられることで、悲劇の島が一般にも広く知られるようになったといいます。
個人的に慰霊をすることはできませんが
一般に認知されていく事で供養になることもあります。
昨今伊江島は、自然学習などで学生が訪れる定番の場所になっているそうです。
何も知らずに訪れるよりは、沖縄の歴史を知る貴重な史跡として
もっと知られてもいいような気がしました。
11年前、沖縄に来たときも5月23日で慰霊の月命日でした。
伊江島の慰霊祭は4下旬。 旅行の日程と図らずも重なったようです
摩文仁の丘は毎年大規模な慰霊祭を行っているせいか、重たさや悲しさはあまり感じませんでした。
いつの頃からか、
本土では当たり前の様に 「ゴーヤーチャンプル」を食べるようになりました。
2001年に沖縄ブームが来て、沖縄出身の芸能人が増えて、
すっかり癒しの島、ポジティブなイメージの島に変わったといいます。
沖縄に移住したと聞けば 「いいなうらやましい~
」とも思ってました。
けれど今回の旅で、陽の沖縄だけでなく
この島の抱える深刻な闇をみたような気がします。
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陰と陽。 沖縄の光と影。
時間がゆったり流れるといわれる沖縄。
もしかしてゆったりなのではなくて ずっと止まったままなのかもしれない。
沖縄には ”闇” がある
その闇が この島をいっそう美しく見せている
潮風に吹きっさらされた岸壁に、 寡黙にただ佇む
名前も知らない花のように



















