六本木といえばこのラーメン!を10年ぶりに食べてみた | 西方見聞録(旧パリレポート)

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2015〜2020年パリ、2020年4月に本帰国しました。帰国後も”これは!”と思うものを探し、レポートしています!!

前回のブログで書いた韓国ドラマの話。


上のブログで書いたように
うちは今韓国ドラマにハマってるのですが、

その最初にハマった「梨泰院クラス」、
実はこちら日本版のリメイクが作られていて
その日本版のタイトルが「六本木クラス」。
こちらです

主人公は竹内涼真、
ライバルの会長役が香川照之。

香川照之さんは、昨日のセクハラ報道で
まさに時の人になってしまってますが、、、

本家「梨泰院クラス」の"梨泰院(イテウォン)"とは、韓国の首都ソウルの代表的な繁華街。
つまり、"梨泰院"という場所を舞台にした話です。

😀梨泰院って日本で言えば、
渋谷みたいなところかなー

と思っていたのですが、
日本版はその舞台を「六本木」にしています。

🤔なるほどー、六本木かー、
六本木、懐かしいなー😗

六本木は学生の頃
背伸びして友達にくっついて
クラブに行ったり

六本木ヒルズやミッドタウンができてからは
奥さんとたまにデートで行っていた場所。

一方仕事で
昔出版社にいた頃、
ページのデザインをお願いしていた事務所が
六本木にあったので

締め切り前などは毎日のように
行っていた場所でもあります。

仕事で毎日のように行っていた頃
よく上司に連れて行かれたラーメン屋があり、

「六本木クラス」を見てて、
😗そう言えば、あのラーメン屋、
まだやってるかな?🤔

と、ふと気になり
グーグルマップで調べたら
あ!まだやってる!😆

コロナにも負けず、
まだ人気店のようです!

よかった!😆

やってると分かったら
急にそのラーメンが食べたくなって、
六本木交差点です

来ちゃいました、六本木😅

その、昔よく行ってたラーメン屋とは
このビルの一階にある

こちら!

ドラム缶スープ
「天鳳(てんほう)」

昔から店の前に麺が置いてある店です😅

出版社時代の上司(部長)は
バブル時代の方で

青学テニス部出身、
(インカレで全国ベスト4とか言った)
身長185センチぐらいのイケメン
お父様は三菱商事のエリートサラリーマン。
(つまり結構裕福)

その方はあまり
自分の話をしないのですが
想像ではそれはそれはモテた学生時代を
過ごした事でしょう。

青学とはすなわち
ほぼ六本木なので、
(六本木と渋谷の間にある)

その上司にとって六本木は
ほぼ庭。

そんな六本木マスターの上司が
「六本木でラーメンって言ったらここ」
と連れて行かれていたのが
この"天鳳"だったわけです。

こちらのラーメン、
ちょっと独特のオーダーができて
・麺の硬さ
・脂の濃さ
・塩っぱさ
を1・3・5という数字で
硬く、脂っぽく、しょっぱくできます。
だいたい皆さん、1・3・5で頼みます

オーダーしたのは普通のラーメンの
1・3。
しょっぱくはしませんでした

札幌の「西山ラーメン」の麺を使用

久しぶりの天鳳、
やっぱりめちゃうまい!!!
ラブラブラブ

昔はハマって
休みの日も食べに来たことあったなー😁

いわゆる "度ストレート" な醤油ラーメンですが
ラードのコクが
濃い醤油と硬めの麺にマッチして
ハマります。

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いやー、食った食った😋😋
やっぱ旨いものは部長に聞け、だよな😉

「部長に聞いた旨い店」
またこのブログで紹介します😁

と、せっかく六本木に来たので
ちょっと街をぶらぶらしてみます。

天鳳の向かいにあるのは
東京ミッドタウン

こちらは2007年にできた
ホテル、ショップ、レストラン、オフィス
美術館などが入った複合施設。

三井不動産の子会社が運営しています。

そして、六本木の顔と言えば
こちら、六本木ヒルズ!

こちらは2003年開業。
同じくホテル、ショップ、レストラン
映画館、オフィスなどが入った複合施設です。

運営は森ビル。

六本木と言えば、
今やこの「ミッドタウン」と「六本木ヒルズ」が
ランドマークなのですが、

この2つができる前は
これといったランドマークがなく、
ゆえに一般の人は行く用事がない

逆に言うと
いわゆる "夜遊びしか用の無い街"
だったわけです。

しかも、なぜか妙に近寄りがたい街、、、

イケてる人(もしくは金持ち)しか
楽しめない街だったわけです。

2つのランドマークによって
今や六本木は大衆的な街に
なってしまいましたが

それ以前は
「イケてない人は楽しめない街」
だったわけです。

20代などの若い人や2000年以降に
東京に出てきた方がそう聞くと
「言い過ぎでしょ」と思うかもですが、

六本木はイケてない人には厳しい
排他的な街だったのは
間違いありません。

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東京(日本)の文化発信地は
間違いなく渋谷ですが、
それはアメリカの占領と深い関係があります。

そのことはまた今度書くことにして、
実は六本木の街形成も
アメリカが大きく関わっています。

では、そもそも六本木は
なぜこんなにも華やかな街となったのか。
(最近は普通の街になりつつありますが)

それは、六本木の位置に秘密があります。

六本木があるのは
皇居の南西。
いわゆる
「3A+Rエリア」にあります。
このエリアです

「3A+Rエリア」とは
・赤坂 Akasaka
・麻布 Azabu
・青山 Aoyama
・六本木 Roppongi
のこと。

ここは、都内でも最も不動産的価値がある
超高級エリア。

ここの中心地が六本木ですが
このエリアはかつて
"軍の施設が集まっていた場所" です。

つまり六本木は軍の街
だったわけです。

軍の街?🙄🙄
とお思いかもですが、
日本は江戸から明治になった頃

明治政府はこの赤坂、青山、六本木エリアに
軍の施設を多く作りました。

理由は、江戸時代このエリアに
広大な大名屋敷がたくさんあったから
(広大な用地を確保しやすかったから)
です。

官庁街(霞が関)にほど近く、
アクセスもしやすい。

例えば、東京ミッドタウンがある場所は
かつて長州藩の下屋敷があり
明治時代からは帝国陸軍の駐屯地がありました。
(駐屯地: 軍の部隊・施設がある場所)

国立新美術館がある場所は
陸軍歩兵第三連隊が。
国立新美術館(写真はウィキより拝借)

神宮外苑は練兵場で
現在の青山中学校は陸軍大学校、
青山墓地下には砲撃場が。
明治神宮はかつて陸軍の演習場でした。

このように3A+Rエリアには
軍の施設がたくさんありましたが、

日本がアメリカとの戦争に負けると
特に六本木エリアの施設は
アメリカに接収されることに。

現在ミッドタウンがある
陸軍の駐屯地だった場所は
米軍将校の宿舎に、

国立新美術館がある
陸軍歩兵第三連隊があった場所も米軍が接収。

その陸軍歩兵第三連隊があった一部は
現在もアメリカ軍の基地があります。

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また、このエリアはもともと
アメリカにとって大事なエリアだったことも
影響があると考えます。

というのも、
六本木エリアの端、
赤坂との境には
古くからアメリカ大使館があるため。
アメリカ大使館。半端ない警備でヒヨリます、、💦

その影響もあってか、
六本木通りを挟んだアメリカ大使館の向かいには
アメリカ大使館宿舎があります。
ここもめちゃめちゃ広大です。正門は怖くて撮れなかった、、、

位置関係はこんな感じ。
六本木通りを挟んですぐの位置にあります

このアメリカ大使館宿舎ですが、
かなり広大で、しかも六本木の
超一等地にあります。

この広大な土地は、
元は松代藩の藩邸で明治になって
三井本家屋敷となり
戦後、財閥解体によって接収され
アメリカ大使館宿舎になった場所です。

この土地に足を運ぶと分かるのですが
ここは都内でも有数の一等地。

官庁街まで目と鼻の先、
歓楽街の赤坂と六本木の間に位置し
両街まで徒歩圏内。

そして、なんと言っても
高台かつ南向き斜面。

これ以上ない立地です。

そりゃ天下の三井本家が
本邸を構えるわけです。

その米国大使館宿舎、
何と地図に表記はありません。
道路に設置してある地図。赤で囲った場所ですが、米国大使館宿舎とは一切書いてありません

なので普通の人はここが米国大使館宿舎と
知ることができません。

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そして六本木には
今も東京都内で唯一の米軍基地があります。

それは意外に知られていない事実です。

それは、六本木ヒルズのすぐそば
青山墓地の横にあります。
六本木ヒルズからすぐの場所にあります

ここは「アメリカ陸軍プレスセンター」
という名の、実質は米軍の基地です。
六本木のど真ん中に米軍基地があります

施設内にはヘリポートがあり
毎日横田基地との往復のため
ヘリコプターが離発着しています。

米国大統領は来日で東京に来るとき
基本、横田基地などから
ヘリでここに降り立つわけです。

と、基地横の道を歩いてると
突然爆音が!

パッとみると、
おっ! 噂をすればヘリコプター!
爆音で離陸していきました

あり得ない爆音で
これ毎日離陸してるんだから
近隣住民は大変だな、、、😣

ここはさすがに返還を求めて
揉めてるみたいです、、、

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と、このように米関係施設が
てんこ盛りの六本木。

今でも米国色が濃厚ですが
終戦直後はもっと占領軍が
多くの施設を接収、駐屯していたので
六本木は完全にアメリカと化したわけです。

終戦直後しばらくは
六本木は日本人は立ち入ることができない
アメリカの「東京租界」と化し、
(租界【そかい】とは、独自の治外法権を有する外国人居留地)

六本木界隈にはアメリカ人向けの
バーやレストラン、ショップ、
キャバレーやダンスホールが乱立。

それが今の六本木のベースとなっていて
街には外国人向けの店が多く並び、

戦後10数年後に米国の占領が解けると
六本木にはテレビ朝日が開局。

これをきっかけに多くのテレビ・芸能関係者、
その周辺の人々が集まるようになり、

六本木は一般の人は近寄りがたい
業界人の租界へと
変わっていった、というわけです。

なので、今でも六本木は
最も多くの
「若くて稼いでいる」人気芸能人、有名人が
多く住んでいます。

実際、今回ラーメンを食べに行ったこの日
某人気ユーチューバーを見かけました😁

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そんな六本木の個人的に最も
インパクトのある出来事は

やはり、1994年にオープンし
2007年の閉業まで
六本木の象徴として君臨していた
「ヴェルファーレ」。
写真はウィキより

「ヴェルファーレ」とは
当時おそらくナンバーワンだった
超大型のディスコ・クラブ。

その「ヴェルファーレ」の前には
東京・芝浦に「ジュリアナ東京」の
大きな流れがあって、
(1991年から1994年まで営業)

そのジュリアナ東京の流れを
引き継ぐ形で六本木にオープン。

「ジュリアナ東京」は
総合商社の日商岩井(現双日)が
イギリスのレジャー会社と共同出資して
作ったディスコで、

「ヴェルファーレ」は
その日商岩井の担当者が退職して
新たに作ったもの。

それは同じ流れなわけです。

散策ついでに
そのヴェルファーレの跡地、
今はどうなっているのか
見に行ってみました。
一階にコンビニが入っていたり、当時の近寄り難い雰囲気はゼロです

あれだけ栄華を極めたヴェルファーレも
そりゃ15年経てば跡形もないですよね。

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と、今ではすっかり
普通の街になってしまった六本木。

そういえば今はもう
近寄り難い街って無くなっちゃいましたよねー🤔

ちょっと残念な気もしますが
もう情報が簡単に取れる現代では
そんな雰囲気は作れないのかもですね。

長くなりましたが、今回はこのへんで!

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〈おまけ〉
※最後にもう一つの六本木名物「かおたんラーメン」
西麻布の交差点近くにあるラーメン屋「かおたんラーメン」

外観は「ほんとにやってるの?」的な雰囲気ですが、中はきれいです。ラーメンセットを注文

昔ながらのラーメンですが、安定の美味しさです