個人的に好きなパリの道〈ギャランド通り〉 | 西方見聞録(旧パリレポート)

西方見聞録(旧パリレポート)

2015〜2020年パリ、2020年4月に本帰国しました。帰国後も”これは!”と思うものを探し、レポートしています!!

パリに住んで2年うんか月、
自分は歴史が大好きなので
街中をあっちゃこっちゃ歩き回り、

またパリジャンの友人、ロロが
パリの街マニアで、

ラッキーなことに
彼はパリの素晴らしい所を
私に全部見せたいらしく

彼のガイドで
足が棒になるほど
パリを歩いて回りましたが、

結局今のところ
どの通り(道)が好きか、
という、
とてもマニアックな事について今日は
書こうと思います。

すいません、完全に私の主観の話になります、、、

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私は〈道〉が好きで、
日本でも東京から京都まで、
行きは旧東海道、
帰りは中山道(旧中山道)を
スーパーカブで往復したり、
※スーパーカブ: とんでもなく燃費がいいバイク

(旧街道の宿場町は最高です!)

都内でも古地図や専門書を手に
休みの日になると
奥さんや友人たちの”何その趣味”という
冷ややかな目にも負けず、

一人で律令時代や鎌倉時代
(もちろん江戸時代も)の旧道を歩き、
「あー、この道は奈良時代からあるんだなー」
とか
「あ、この道の下は●●川が流れてて
今は暗渠になってるんだな」
とか、
「あ、縄文時代は
ここまで入江が食い込んでたから
こんな地形で、この道があるわけだ」

とか、やっていたわけです。

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と、そんな趣味を
パリにも持ち込んで、同じことを
やってるわけですが、

東京も最高に面白いですが、
パリも本当に面白い!!

ですが、パリの場合
歴史が2000年あるので、
その時代ごとに道のストーリーがある、
はずなのに

非常に残念な事に、
パリは19世紀後半(1800年代後半)、
時の皇帝ナポレオン3世の治世下、
オスマン男爵という当時のセーヌ県知事によって
(ざっくり言うと、パリ及びパリ近郊の知事です)

パリ改造が行われ、
古より続く道がことごとく破壊され、
ブルバード(元城壁道)になったり、
アベニュー(直線的な太い道)になったりして

実は昔の道が、雰囲気を残したまま
残っていることは
そんなにありません。

※ただ、オスマンの改造によって今日の美しいパリの街並みがあるので、彼の功績はとても大きいですが

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それでも、
いくつか昔の雰囲気を残した道が
まだ残っていて、
自分はそんな道がとても好きなので

今回ピックアップさせて
いただきました!!

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〈ギャランド通り〉※ガランド通りとも
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RUE GALANDE

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ギャランド通りのプレートです

ギャランド通りは、
ガロ・ローマ時代からある
パリで最も古い道のひとつで、
(約1700〜2000年前)

この道自体は165メートルですが
色々名前が変わりながら
リヨンを経由し
ローマに通じています。

この通りの横には、
パリ最古の教会のひとつ
サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会
(現在のものは建て直したもの)
も建っています。

通りがあるのは
下の地図の赤いエリア。
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パリ左岸、カルティエ・ラタン地区のセーヌ川近くにあります。長さはたった165メートルです

パリは、ノートルダムがある
シテ島、及びカルティエ・ラタンから
街が作られ、

この道はローマ人がローマから来る、
もしくはローマに行く際に使う
パリの起点(終点)でした。
※パリの街を建設したのはローマ人
※それまでパリ(ルテティア)はパリ北西にあるナンテールの方が中心地

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この道を見て分かるのは、
・道幅が狭い!
・道がカーブしてる

パリ改造前の
昔の写真を見ると、
このような道がパリ市内には
至る所に見られ、

実はこれがフランス革命の
温床となっていました。
(バリケードが作りやすく、守備しやすいため)

そこで、
反体制分子の抵抗を封じ込めるために
ナポレオン3世は
細い道を太くして、
まっすぐな道路を作ることを計画。

そのために、
古より続く街並みを破壊し尽くし、

直線的で広く見通しがいい
有事には軍隊が出動しやすい
直線と放射線状の
今のパリの街並みを作りました。

また、パリ改造には
反体制分子の封じ込め、
以外にも、

イギリスにだいぶ遅れをとった
産業革命の振興も目的のひとつ。
(物資を運ぶためのインフラ整備)

そして、それに付け加えて
パリを世界に輝く美しい街に、
という美的要素も付加。

その結果、
現在の街並みが完成したわけです。

革命の温床になっていた
古い建物の住民は、
何と、強制的にパリの中心地から
追い出されたのです。

(モンマルトルなどに移住)

かなり強引な改造だったんですねー。

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そんなわけで、
パリで中世の雰囲気が残る所を探すのは
結構大変なのですが、

この道は、
中世の雰囲気が色濃く残ってます。
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左は1866年の写真(パリ改造の前)。右は現在。当時と同じ白黒写真にするとほとんど変わらない雰囲気
※左の写真はVERGE.COMよりお借りしました


と言うわけで、
パリの好きな道のひとつが
この〈ギャランド通り〉なのですが、

長くなったので、
まだあるほかの好きな道は
また後日書きます!

では!
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ギャランド通りの説明板