エッフェル塔や凱旋門などが有名ですが、
パリ北部にある丘、
〈モンマルトルの丘〉も有名。
“モンマルトル”は
19世紀(1800年代)後半、
オスマン男爵によるパリ改造によって
パリから追い出された多くの人々が住み着き、
また、そんな作られた街ではなく
まだ残る農村風景を求めて
ピカソ、コクトー、マティス、
ゴッホなど、
多くの芸術家が集まり彼らの活動拠点にも。
さらに、元々は修道女たちが
ワインを作っていた土地でもあり、
モンマルトルは当時パリ市内ではなかったので
パリの税金や規制が適用されず、
1800年代後半から
パリ市民が集まる一大飲屋街だったわけです。
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しかし、
第一次世界大戦(1914〜18年)を前後して
宅地化が進み、
多くの芸術家はマンパルナス(パリの南)に
移っていきました。
が、
第一次世界大戦後、
世界一のお金持ちになったアメリカで
禁酒法が制定されると(1920〜33年)、
富裕層たちは歓楽を求め
パリにやってきて、
そんな彼らが押し寄せたのが
モンマルトル。
彼らアメリカ人が持ち込んだ
巨万の富が毎夜
モンマルトルのキャバレーや売春宿に
注ぎ込まれ、
モンマルトルは
黄金の1920年代を謳歌。
絶頂を迎えました。
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ところが1929年のブラックマンデーで
ニューヨーク市場の株が暴落。
世界恐慌となって
アメリカ人が帰ってしまうと、
モンマルトルの絶頂も終了。
モンマルトルの栄光は
終わりを告げたわけです。
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モンマルトルは
東京で言えば”浅草”的な存在でしょうか。
映画「アメリ」の舞台としても
有名です!
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と、前置きがえらい長くなりましたが、
そんなモンマルトル、
パリ市内から行くには
地下鉄12番線の〈アベス駅〉を
利用する人が多いと思いますが、
なぜ〈アベス〉という名かというと、
モンマルトルに女子修道院が建っているから。
〈アベス〉は〈Abbesses〉と書きますが
それは〈女子修道院〉という意味。
※〈修道院〉は〈Abbaye(アベイ)〉
現在のモンマルトルの象徴は
サクレクール寺院ですが、
1914年にできたものなので
実はかなり最近の建物。
そのサクレクールができる以前から
モンマルトルに建っていたのが
前述した女子修道院(Abbesses、アベス)で
これが駅名となっているわけです。
このアベス駅からモンマルトルの丘を登ると、
途中で〈カルヴェール通り〉を通ります。
〈カルヴェール通り〉は
モンマルトルの人気スポット、
「テルトル広場」に続く道ですが、
実はこの〈カルヴェール通り〉の
“カルヴェール”、どういう意味かというと
「受難」という意味。
さらに言うと、
“カルヴェール”だけで
イエス・キリストが磔にされた
「ゴルゴタの丘」という意味があり、
(「ゴルゴタの丘」は「カルヴァリオの丘」とも言います)
つまりは、
〈カルヴェール通り〉は
「ゴルゴタの丘通り」というわけです。
そして、何が言いたいかと言うと、
前述のアベス駅から
モンマルトルの丘を登るには、
〈カルヴェール通り〉にある
長い階段を登る必要があり、
これを登ると、
エルサレムにある
「ヴィア・ドロローサ」を歩いたことになる、
というのです。
「ヴィア・ドロローサ」とは
イエスが十字架を背負って
ゴルゴタの丘まで歩いた道。
ここを登っただけで
エルサレムに巡礼するのと
同じご利益がある、
とまでは言ってませんでしたが、
まー、そんな感じのことを
フランス人の友人が言ってました。
ほんまかいな
イメージとしては
富士塚みたいなものでしょうか。
登っただけで
行ったことと同じご利益がある、
この考え方、
世界のあるあるなんでしょうかねー。
※これは私の私見ですが、モンマルトルはそもそもパリの聖人サン=ドニが殉教した場所なので、それでそこに通じる道「受難の道」となったのかもしれませんね(^^)
と、長くなりましたが、
本日は以上です!
では!