天気:晴れ
ちょっと間が空いてしまいましたが
引き続きマニアックなパリ散歩、
フィリップ・オーギュストの城壁巡りです!
ここまで、
パリ右岸編の、
①ルーヴル美術館のクール・カレから
②サントゥスタッシュ教会を回り込んで、
③エティエンヌ・マルセルから
④サン・ドニ通り、
⑤サン・マルタン通りを抜け
というところまで
巡りました。
ここからいよいよ
マレ地区です。
マレ地区は、今ではパリの
ファッション、流行発信地。
上の③のエティエンヌ・マルセルも
最近かなりキテますが、
やはりベースはマレにある
と言っていいと思います。
そんなマレ地区は
かつて沼地で(12世紀ごろまで)、
13世紀に入ってテンプル騎士団が
この地(城壁外)を開拓するや、
以降17世紀まで
多くの貴族がここ(城壁内)に館を建設。
華やかな街となりました。
しかし17世紀に入り
パリ左岸にアンヴァリッド(軍の病院)が
建設されるや、
18世紀になると貴族たちは
汚く異臭のひどいパリ中心部を捨て
アンヴァリッドの近く、
当時まだ森だった空気の綺麗な
フォーブル・サン・ジェルマンに
邸宅を移動。
(サン=ジェルマン・デプレの西側、アンヴァリッドの
東側にある現在の官庁街)
フォーブル・サンジェルマンにあるシャトレ伯の邸宅。現在は労働省(略称)。このエリアはこのような邸宅が、ずらーーっと並んでます。それらの貴族の館は、フランス革命後多くが官庁の建物へ。そのためパリ7区のフォーブル・サンジェルマンは、フランスの官庁街。日本で言えば霞が関です
日本の霞が関も
明治維新以前は大名屋敷街。
権力者が変わると
権力側の土地が官庁街になるのは
日本と同じですね
。
![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/004.png)
-------------------------------------
話は戻ってマレ地区です。
と、マレ地区は
かつて貴族の館が立ち並び、
しかも19世紀の
オスマン知事によるパリ大改造の
破壊から逃れたため
今でもパリ旧市街の雰囲気を残す
エリアとなっております。
前回はサンマルタン門を過ぎたところまで
でしたが、
そこから城壁は南東に
ぐぐぐーっと下がっていきます。
ところを過ぎると、
斜めに横切って行きます。
上の地図の赤字"ここ"部分を
目指します。
(タンプル通りからランビュトー通りに抜ける部分)
ボーブール通りを横切り、
タンプル通りに出ます。
※テンプル騎士団は、1307年にフランス国王の陰謀により弾圧。シテ島の刑場で、火あぶりの刑に処せられました
このタンプル通りには『パザージュ・サン・タヴォワ』という
プライベートのパザージュがあり
このパザージュに沿って
城壁がありました。
このパザージュを抜けて、
ランビュトー通りに出ると、
ランビュトー通り側の
パザージュ入口に、かつてここに
城壁があったことを物語る
プレートがあります。
アルシーヴ通りに抜け、
城壁はフラン・ブルジョワ通りへ。
この通りは、かつての城壁の
外巡回路。つまり壁は右の建物と
重なります。
さらに進んでいくと、
ヴィエイユ・デュ・タンプル通りとの
交差点、左側に
ルイ12世の金庫番の家があります。
さらに進むと、
そこには無印良品とユニクロがあります。
壁はセヴィニェ通りまで達すると、
そこから南下し、
まっすぐセーヌ川に向かいます。
このフィリップ・オーギュストの
城壁巡りのクライマックスです!
教会を回り込み、
裏のシャルルマーニュ通りを
壁跡に向かうと、、
ちょっと暗いので、
別日に撮ったものを添付します。
壁が残っている公園は、
昔は何もなかったのですが、
つい最近、サッカーのネットや
遊具が置かれ始め、
写真が綺麗に撮れなくなって
しまいました。
残念。。
と、この壁跡をまっすぐ行くと、
セーヌ川にぶつかり、
ここで右岸の壁巡りは終了。
ちょっと細かく書きすぎて
長くなってしまいました。。
--------------------------------------------------------
〈シェアミィ〉という
「経験」のフリマサービス作りました!
子どもの受験、妊活、子育て、
セドリのやり方、フォロワーの増やし方など
一歩先を行く先輩の「経験」を
オンライン通話で気軽に聞くことができます!
※通話料無料
※登録料無料
※顔出し無しOK!
もちろん、販売者としても
ご自身の「経験」をメルカリみたいに
気軽に販売できます!
一度サイトを見てみてください!
↓