👨👦👦 瓜三つ 👨👦👦 ~三回目の七五三~
11月の神社は、七五三のお参りの人たちで、とても華やかになります。
女の子の着物姿もかわいらしく、
男の子の袴姿も凛々しく、それぞれに目を引きます。
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黒地に富士山と鷹が描かれた羽織と、銀色の袴の男の子、
五歳の七五三のようです。
緊張した面持ちで、直立不動で立つそばには、ご両親、
そして、お兄ちゃんが二人、
お兄ちゃんはふたり共、白シャツと紺の半ズボンできちんと正装です。
男の子の三人兄弟です。
遠目にも兄弟だとわかるくらい、顔立ちや雰囲気がそっくり。
特にお兄ちゃん二人は、服装も同じですので、身長が少し違うだけで、瓜二つです。
そこに、三男の五歳の男の子、
顔立ちがそっくりで、瓜三つ、という感じです。
ご神殿の中でのお参りです。
歩き出した男の子は、草履が抜けて、つまずきました。
間髪を入れずそばに寄ったのが、一番上のお兄ちゃん、
足元にかがんで草履をそろえてあげました。
そして、手をつないでご神殿に入っていきました。
お母さんが巫女さんに話しをしています。
息子ばかりで、五歳での七五三、三回目なんですよ。
瓜二つ とは、
「瓜を二つに割った形がそっくりなところから、
兄弟などの容貌が甚だよく似ていることにいう」とあります。(『広辞苑』)
瓜三つ、とは言いませんが、そう言いたくなるくらいそっくりな三人兄弟です。
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「矛盾の同一」とか、「非連続の連続」とか、形式論理的には成立しえない主張があります。
西洋では、弁証法的と言われたりしますが、
東洋では、直観的理解として、論理的理解よりもより真理に近い、と位置づけられることが多いです。
維摩会 春秋館での仏教御講義でも、
論理的理解と同時に、直観的な理解が必要とされています。
これを、言葉で理解しようとすると、つまり論理的に理解しようとすると、
なかなか難しいものがあります。
この男の子の三人兄弟、ご両親にとっては三人とも何ら変わりなく大切な息子ですが、
でも、それぞれに違います。
同じだけれど違う、違うけれど同じ、という見方です。
同一性と不同一性とを、そのまま全体として受け入れているのでしょうか。
日常生活は、けっこうこのような見方をしているようにも思えますが、
そこに、何かのこだわりが生じると、
同じは同じでしかなく、違いは違いでしかなくなります。
みんなそれぞれで同じ、という親の視点には、学ぶところが多い、と思ったのでした。