キンヨウ、キン、ゴールド、キンカイ・・・フライデー ~金曜日~
うしろの座席から、
低く落ち着いた男の人の話し声が聞こえてきました。
英語です。
隣の人と話しているのでしょうか、
声も大きくなく、気になることはありません。
ところが・・・。
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流暢に流れる英語の中に、キンヨウ、という言葉が入りました。
リズムが違って、浮いて聞こえましたので、
あら、金曜、のことかしら、と耳に残りました。
話し相手が何か返事をしたのでしょう、
ヤー、キン、と声が続きました。
そして、ゴールド、と続き、
ちょっと間があって、キンカイ、と、英語とはリズムの違う単語が続きました。
キンカイ、って金塊かしら?
発想が、思いもよらない方向に進んでいるようです。
だからでしょうか、
話し相手の人だろうと思います、別の声で、
フライデー、と一言ありました。
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普通、私たちは言葉で、考え、理解し、コミュニケーションをとります。
言葉の中でも、名詞は、物事の名前を示す言葉ですので、
比較的具体的でわかりやすいです。
それでも、こんな風に理解が思いもよらない方向に進んでいきます。
仏教の思想でも、西洋の哲学でも、
言葉、というものに対して、一定の考えがあります。
維摩会 春秋館で学ぶ唯識仏教では、
言葉は、ものごとを区別し分けて捉える時、に用いられるもので、
言葉だけでは、真理に到達できない、と理解します。
西洋哲学では、論理的表現としての言葉で、
真理そのものを表現できる、とする場合が多いです。
いずれにしても、私たちにとって、言葉は、日常に欠かすことができません。
学校教育や社会の要請として、外国語の習得が望まれるようですが、
まず、母国語の日本語で、
しっかりものを考え、理解し、伝えられるようにしたい、と思ったことでした。