引退した後に住む場所は ~大国主神の国譲り~
40歳になった同僚が、
マンションを買おうかどうしようか、迷っています。
ひとり暮らしで、今は賃貸に住んでいるのですが、
今後のこと、そして退職後のことを考えると、
マンションを買った方がいいのかなぁ、と思ったりするそうです。
『古事記』には、
国を譲って引退する代わりに、
立派な御殿を造ること、と条件をつける話があります。
天上の国である 高天原 を統治する天照大御神は、
地上の国である 葦原の中つ国(あしはらのなかつくに 日本)を統治するのは、
御自身の御子である、とお考えになられ、
使者を派遣なさいました。
四度目の使者となられたタケミカヅチノカミに、
葦原の中つ国を整えられた 大国主神は、承諾の返事を申し上げます。
私も背くことはありません。
この葦原の中つ国は、
仰せの通りに、差し上げましょう。
ただし、・・・
大国主神は、さらに言葉を続けます。
私の住まいは、
天照大御神の御子が高天原をお継ぎになられてお住まいになる神殿のように、
宮柱をしっかりと立て、
高天原にまで届くように千木(ちぎ)を高く上げて、お造りください。
~千木=神社の屋根の両側に設けられている、交差させた長い木材の部分~
そうしてくださるならば、
私は、遠い隅のほうに隠れ控えておりましょう。
わが子の、百八十神(ももやそかみ)は、
コトシロヌシノカミが、その神々の先頭に立ち、しんがりとなって統率するならば、
だれも背くことはないでしょう。
大国主神の要求は聞き入れられました。
こうして、出雲の国のタギシの小浜に立派な神殿が造られ、
タケミカヅチノカミは高天原に帰り登りて、ご報告申し上げることができたのでした。
~タギシ=一説には、今の出雲市武志(たけし)町~
(参照:『新潮日本古典集成 古事記』 「大国主神の国譲り」)
大国主神には、百八十一柱の子がいらしたと言われています。
8~9世紀ごろに書かれた「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)には、
出雲には、百八十六社あることが記され、
『延喜式』神名帳(927年)という神社一覧には、百八十七社あることが記されています。
大国主神の子の神さまの柱数に近い数字です。
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今の時代、
ほんの少し心がけていれば、
きっと退職後も、心身ともに元気で充実した生活が送れます。
郷里に帰ってみたり、
思い切って 田舎や都会に住んでみたり、
やりたいと思っていたことを 思い切ってやれる新たな人生の始まり、と捉えて、
待ち遠しく思いたいものです。