仕事に対する人の考え方・取り組み方は様々で、求めるものも違います。
高い給料を求める人、やりがいを求める人、社会の役に立つことを大切とする人、いろいろです。
自分は若い頃「他人に認められたい、評価されたい、自分の能力を発揮してバリバリと働きたい」と強く思っていて、そのために英語を勉強したりもしました。
その後タイミングやきっかけもあり、十数年後には実際その通りにはなっていました。
しかし若い時には思いもよりませんでしたが、それと引き替えに失ったものも多く、会社や人に振り回され、肉体的にも精神的にも傷ついていきました。
そんな時にそばにいて、支えてくれたのは家族でした。
そこで感じたのは「会社は自分のことなんて思いやってはくれず、ただ社員の1人として労働力を絞り出すだけで、苦労や努力に報いてくれることはしない。ずっとそばにいて自分に寄り添い、心配してくれるのは家族だけだ」ということでした。
そんな経験を通じ、何度も何度も痛い目に遭い、嬉しいこと、苦しいことがあって、少しずつ自分の考えは変わっていきました。
社会的な地位や肩書きよりも、心を穏やかに家族と過ごせ、そのために「会社に行くのが嫌だな、今日はどんな苦しいことがあるんだろう、辛いことがあるんだろう」と思わない仕事がしたいと感じるようになりました。
つまり仕事内容よりもやりがいよりも、「行くのが嫌にならない仕事」という子供のような考え方です。
もちろん仕事である限りは大変なことも我慢しなくてはいけないこともあります。
でも仕事というのは毎日行くもので、行くのが辛いと思うようになってしまうと生活全体が苦しく重いものになってしまい、それが家族に負担や心配をかけてしまいます。
幸せというのは普通の生活が出来ること。
家族と穏やかに暮らせること。
ただそれだけが自分の求めるものになりました。
自分の能力に自信があり、それを誇示したいと思っていた若い頃には考えられなかったことです。
家族なんて煩わしいもので、仕事に全力を傾けるのに邪魔になるとさえ思っていましたから。
でも今は、「自分が無能だと思われない程度に責任を果たすべく仕事が出来ればいい」と思っています。
仕事は生活をするための糧になるだけで、それ以上でも以下でもない、大切なものは周りにいてくれる人ですから。
人それぞれですが、自分はそう思っています。

高い給料を求める人、やりがいを求める人、社会の役に立つことを大切とする人、いろいろです。
自分は若い頃「他人に認められたい、評価されたい、自分の能力を発揮してバリバリと働きたい」と強く思っていて、そのために英語を勉強したりもしました。
その後タイミングやきっかけもあり、十数年後には実際その通りにはなっていました。
しかし若い時には思いもよりませんでしたが、それと引き替えに失ったものも多く、会社や人に振り回され、肉体的にも精神的にも傷ついていきました。
そんな時にそばにいて、支えてくれたのは家族でした。
そこで感じたのは「会社は自分のことなんて思いやってはくれず、ただ社員の1人として労働力を絞り出すだけで、苦労や努力に報いてくれることはしない。ずっとそばにいて自分に寄り添い、心配してくれるのは家族だけだ」ということでした。
そんな経験を通じ、何度も何度も痛い目に遭い、嬉しいこと、苦しいことがあって、少しずつ自分の考えは変わっていきました。
社会的な地位や肩書きよりも、心を穏やかに家族と過ごせ、そのために「会社に行くのが嫌だな、今日はどんな苦しいことがあるんだろう、辛いことがあるんだろう」と思わない仕事がしたいと感じるようになりました。
つまり仕事内容よりもやりがいよりも、「行くのが嫌にならない仕事」という子供のような考え方です。
もちろん仕事である限りは大変なことも我慢しなくてはいけないこともあります。
でも仕事というのは毎日行くもので、行くのが辛いと思うようになってしまうと生活全体が苦しく重いものになってしまい、それが家族に負担や心配をかけてしまいます。
幸せというのは普通の生活が出来ること。
家族と穏やかに暮らせること。
ただそれだけが自分の求めるものになりました。
自分の能力に自信があり、それを誇示したいと思っていた若い頃には考えられなかったことです。
家族なんて煩わしいもので、仕事に全力を傾けるのに邪魔になるとさえ思っていましたから。
でも今は、「自分が無能だと思われない程度に責任を果たすべく仕事が出来ればいい」と思っています。
仕事は生活をするための糧になるだけで、それ以上でも以下でもない、大切なものは周りにいてくれる人ですから。
人それぞれですが、自分はそう思っています。
