宇多田ヒカルが6年ぶりにアーティスト活動を再開し、再びテレビでその姿を見ることが多くなった。
自ら作る曲と共に大きく成長し、グレードの上がった大人の女性となったように見える。

初期の頃の、ポップさを感じ、恋愛を絡めた曲調は今は見えず、もっとずっとスケールの大きな愛や優しさ、強さ、人生を独特の感性で言葉にして表現するようになったのは、まさに彼女が「人間活動」を通して大きく成長した証しに思える。

話し方も10代の奔放な頃とはがらりと変わり、思慮と絶妙な言葉の選び方を交え、常に相手方のことを立てながら誠意を持って受け答えする。

悲しみや辛さをたくさん味わったんだろうな。
同じだけ喜びや楽しみを見つけたんだろうな。
普通の生活を普通にしていた「人間活動」が効いているのだろうな。

そんなふうに思った。

悲しみや喜びに交互に遭遇するのは誰でも同じだ。
でも彼女の「宇多田ヒカル」としての人生、あまりにも大きな存在のお母さんに対する気持ちは常人には計り知れない。

お母さんを「美しい人でした」と語る彼女に寂しさと強さを同時に見た気がした。

その複雑に入り交じった感性と世界観により、宇多田ヒカルの歌声を聴いていると切なくて苦しくなる。
彼女の曲は、身も心も削り出し、それを言葉に紡ぎ出し、力を振り絞って生み出している。
自分の人生そのものを込めて。

そう、切なくて苦しい。

でもずっと聴いていたくなる。
また聴きたくなる。

それは彼女が聡明で誠実な人であるがゆえに、そう思える。

その深みにたまらなく魅力を感じるからだ。