ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

関東は台風接近中ですね。

被害が少ないことを祈っています・・・

 

今回は、

教育者、哲学研究者である、

近内悠太さんの著作、

 

世界は贈与でできている

 

近内悠太「世界は贈与でできている」書籍

 

から、私の印象に残った箇所を、

紹介・解説していきます(^^)

 

私はもともと、

こういった

今を描いた哲学といいますか、

現代思想のようなものに

心惹かれる傾向があるのですが、

(あまりにも難解なものは除く(^^;)

 

この本は、

天外伺朗さんのユーチューブで、

清泉女子大学学長の

山本達也さんが紹介していました。

 

面白そうなので読んでみましたが・・・

いやあ、なかなかよかったです!

 

ヴィトゲンシュタインが出てきたり、

一見、難しそうな感じもするのですが、

身近な具体例が豊富なので、

浅学の私でも理解しやすかったです(^^)

 

サブタイトルには、

資本主義の「すきま」を埋める倫理学

とありますが、

この本で「贈与」とは、

 

 

僕らが必要としているにも

かかわらず

お金で買うことのできないもの

およびその移動

 

 

と定義されています。

 

「贈与とはお金で買うことができないもの」

というのは、分かる気がします。

 

では、

「その移動」とはどういうことでしょうか。

 

自分の手でどうにかなるものではなく、

文字通り

他者から与えてもらうしかない、

ということだと考えます。

 

そして、この本の面白いところは、

その「贈与」とは、

受取人に贈与だと気づかれてはいけない。

 

気づかれれば

商品の売買のような

「取引」や「交換」になってしまう

というのです(^^;

 

それから、

「贈与」とは瞬時に完成せず、

時間差が生じる。

 

差出人にとっては「届くといいな」

という未来形になり、

受取人にとっては「すでに受け取っていた」

という過去形として

成り立つのだといいます(^^;

 

ちょっと分かりにくいと思いますが、

本書では、

具体例を挙げて、

分かりやすく説明されています。

 

興味を持たれた方は、

是非、本書をお読みいただければと

思いますが・・・

 

今回は、私の印象に残った、

「贈与」は時として、

「呪い」として機能する

という箇所を紹介いたしますね(^^;

 

呪い・・・

どういったことでしょうか?

 

 

その呪いの効果によって、

僕らは、

他者とのつながりを求めながら、

そのつながりに

疲れ果てるのです。

 

(中略)

 

「届いてしまった年賀状」

を考えてみましょう。

 

去年もこちらからは

送っていないのに、

ポストを開けたら、

その人からまた今年も

年賀状が届いてしまった。

 

心のうちで

「ああ、申し訳ないな」

と思いながらも、

 

同時に思わず

「やれやれ・・・」

とつぶやいしてしまう。

 

この「やれやれ」

という気分はどこから

やってくるのでしょうか?

 

 

これ、ありますよね(^^;

 

たしかに、

有り難いことではあるのですが、

いまさら返事を書くのは

正直手間だし、

かといってこのままにしたら

何だか罪悪感が残るし・・・

 

 

僕らは何かをもらったら、

お返しをしないままでいると

どこか落ち着かない気持ちに

なります。

 

贈与は、

差出人の意図にかかわらず、

受取人に

一方的な負い目を与える。

 

そして、

その負い目がふたたび

贈与を引き起こす。

 

ここまではいい。

 

しかし、もし、

こちらにお返しをする

心づもりが無かったり、

返礼をする用意や準備が

できていなかったり、

 

あるいは、

返礼が原理的に不可能な場合、

僕らはどうなるのでしょうか。

 

善意や好意を押しつけられると、

僕らは呪いにかかる。

 

もちろん、

その逆で、

こちらから

善意を押しつけてしまうと、

相手をその関係性に

縛りつけてしまう。

 

呪いとは

「思考と行為の可動域」

に制約をかけるものの総称です。

 

(だから僕らはしばしば

自分自身にも

呪いをかけてしまいます。

たとえば、

不安や恐怖は思い込みを生み、

思考が制限されてしまう

ことになります)。

 

他者の善意は

ときとして呪いになる。

 

そう、僕らがつながりに

疲れ果てるのは、

相手が嫌な奴だから

ではありません。

 

「いい人」だから

疲れ果てるのです。

 

いや、正確には

「いい人だと偽る人」からの

コミュニケーションによって、

疲れ果てるのです。

 

そして、ここに、

贈与と交換の

交錯地点があります。

 

 

・・・年賀状程度では、

そこまで強い「呪い」には

ならないような気もしますが(^^;

 

ただ、考え方としては、

よく分かります。

 

善意や好意を押しつけられると、

受取人は、呪いにかかる。

 

すなわち、

関係性を縛られることになる。

そして、

疲れ果ててしまう・・・

 

 

・・・遠藤周作さんの

「善魔」(ぜんま)

という言葉を想起しました。

 

いろいろなケースが考えられますが、

わかりやすい例でいえば、

「過保護な親」ですね。

 

親はよかれと思って、

あれこれ子どもに世話を焼くのですが、

それが結果的に、

子どもをスポイルしてしまう。

 

子どもは反抗したくても、

表面的にはあくまで善意なので、

なかなかそれもしにくい・・・

 

これは、親の不安や虚栄心、

コントロール願望から

発していることが多いのですが、

 

当人はそれが本当の愛情だと

本気で思い込んでいる場合もあるのが

やっかいなところです(^^;

 

本書では、

「唯幻論」で有名な岸田秀さんの、

「親からの呪い」のケースが

詳しく紹介されています。

 

もちろん、

悪気はない場合がほとんどですし、

程度の差こそあれ、

私たちはだれもが、

子どもだけでなく、他者に対して、

(たとえば、立場の弱い人などに)

「過保護な親」のような振る舞いを

してしまうことはあるわけですが、

 

「贈与」は

すべて「善」というわけではなく、

時として、

相手に呪いをかけてしまうケースがある。

 

というのは

忘れずにいたいですね(^^;

 

・・・では、

呪いをかけない「贈与」とは、

いかなるものか?

 

本書では、

「受取人に贈与だと気づかれないもの」

「受け取った時には分からずに

後になって分かるもの」

 

だと述べられているのですが・・・

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介・解説をします!

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

実家の母が急に入院したので、

(今はおかげさまで退院しました)

 

お見舞いがてら、

その足で、久しぶりに、

地元立川の諏訪神社に・・・

 

諏訪神社の鳥居と狛犬

 

何十年?振りだろう・・・

 

 

諏訪神社(立川)の重厚な木造門

 


立川諏訪神社社殿と狛犬

 

こんな立派な社殿だったっけ?

(火事で焼失したので2002年に再建されました。

前はもっと渋かったような)

 

前の社殿は、たしか中学生(小学生?)のころ、

課外授業で写生した記憶があります(^^;

 

 

塩船観音寺 藥師如来大祭 看板

 

こちらは青梅の、

つつじで有名なお寺、

塩船観音寺。

 

 

諏訪神社本殿と緑の旗

 

薬師堂。

 

諏訪神社本殿と緑の旗

 

渋すぎる!

 

 

塩船観音寺の薬師堂と銅製火舎

 

重要文化財の本堂。

 

 

諏訪神社の立派な社殿

 

素晴らしい仏像が安置されています。

 

 

塩船観音寺のツツジの丘

 

このモコモコ、

ツツジの時期には、

色とりどりになるそうです!

 

 

塩船観音寺のツツジの段々畑

 

また4月に来てみたい!

 

 

諏訪神社と遠景の仏像

 

平和観音像が、

見守っています・・・

 

 

見て見ぬふりをしてきた実家の母、

そろそろ介護が必要になってきました・・・

 

そんな歳ですね(^^;

 

 

猫がクッションで眠る様子

 

ボクは元気だよ😸

(招きネコ?)