ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
皆さま、
GWはいかがお過ごしでしたか。
私は、以前から行きたかった、
秩父の三峯神社登山や
礼所巡りをさせていただきました!
(詳しくは、おまけ写真集で(^^;)
あとは、
「プロジェクト・ヘイル・メアリー」
というSF映画を観ましたが、
とてもよかったです!
で、今回紹介する本は、
ブレイディみかこさんの
エッセー集、
ブレイディみかこさん
といえば、
(私はまだ未読ですが)
が有名ですが、
その中に出てくる、
「エンパシー」
をいろんな角度から深堀りしたのが、
本書の内容です。
この
「エンパシー」とは、
日本語だと、
「共感」という意味ですが、
「共感」は、
「シンパシー」の訳でもありますね。
どう違うのか?
つまり、
シンパシーは
かわいそうだと思う相手や
共鳴する相手に対する
心の動きや理解や
それに基づく行動であり、
エンパシーは
別にかわいそうだとも
思わない相手や
必ずしも同じ意見や考えを
持っていない相手に対して、
その立場だったら
自分はどうだろうと
想像してみる
知的作業といえる。
「シンパシー」は、
思わず同情することや、
「わかるわかる!」というような、
自然に沸き起こる感情のようなもので、
「エンパシー」は、
同情や同意することはなくても、
相手の立場に立って
意識的に想像してみる、
といったところでしょうか。
で、この
「エンパシー」のことを、
フレディみかこさんは、
「他人の靴を履く」
といっているんですね。
「他人の靴を履く」
この言葉は、
カウンセリングを学んだ際に、
「共感」をイメージするキーワードとして
口酸っぱく言われた言葉でもあります。
自分の価値観は置いておいて、
相手の立場になりきってみる。
簡単なことではありませんが(^^;
この本を読んで、
特に印象深かった箇所を紹介します。
「帰属性アイデンティティ」
について述べられている箇所です。
わたしたちは、
様々な顔
(役柄と言ってもいい)
を持つ。
例えば、
医師である人が同時に
誰かの息子だったり、
また父親だったり、
近所の人々で構成された
ラグビーチームの
一員だったり、
公園のガーデニングを行う
ボランティアの
メンバーだったりする。
その時々によって、
彼は医師を演じたり、
父親を演じたり、
公園で雑草を刈っている
気さくなおじさんを
演じたりする。
彼という「個」は
それらの顔の集合体なのだ。
どれか一つが
「本当の自分」
と思い込む必要はないし、
誰かから
「これが本当の君の顔だ」
と決めつけられる
筋合いもない。
そうですね~
この考え方は、
平野啓一郎さんの
「分人主義」にも
通ずるものがあります。
(過去ブログで紹介しました。
よかったらご参照ください)
これは
他者の靴を履くためには
とても大切な認識になるだろう。
ある特定の状態で、
誰かの顔がどんな風に
(醜く、美しく、優しく、
非人道的に、正しく、
悪意に満ちて)
見えたとしても、
それはその相手が持っている
顔の一つにすぎない。
その人には必ず
別の顔(役割)があることを
忘れたり、
故意に否定すべきではない。
人間は社会の中で演じている
様々な顔の集合体なのだから、
「これが本当のこの人」
と決め付ける考え方は
的外れなだけでなく、
危険ですらある。
それは
帰属性のアイデンティティを
一つに決めつける場合と同様に、
憎悪や暴力や悲劇に
つながるからだ
(こんなやつには
極刑を与えろ
ーつまり殺してしまえー
などの極端な考え方が
生れるのもその一つだろう)。
自分自身で考えてみても、
たしかに、
色々な顔がありますし、
行動一つにしても、
それで、
「これが本当のこの人」
だと決め付けられたら、
イヤですよね~
たとえば、私の場合、
夫婦ゲンカのあとで
ムカムカしている時は、
会う人にとって、
かなり不愛想だと思いますし(^^;
逆に、ちょっとした幸せを
感じている時は、
愛想がよくて、
やたら親切な人だったり(^^;
先日、パソコンが壊れて
コールセンターに電話した時には
思わず感情的になってしまったり(^^;
(かなり感じ悪かったと自覚しています。
対応して下さった方、ごめんなさい)
そんな時には、
「いつもはそんなわけじゃない!」
「決めつけないで~」
と言い訳したくなります(^^;
このことは
「汚い靴、臭い靴は
履きたくない問題」
を解決する糸口
にもなりそうだ。
誰かが履いている靴が汚く、
臭く見えたとしても、
単にそれはその人の顔
(の一つ)を見て
こんな人の靴は
どうせ汚いとか臭いとか
思い込んでいるだけであり、
ひっとすると、
人間が履く靴
(それは「人生」と呼ばれる
ものなのかもしれない)
それ自体には、
臭いとか汚いとかいう特性は
ないのかもしれないのだ。
そうですね。
その時の、その人の一部だけを見て、
靴が汚くて臭いと
解釈してるだけかもしれない。
そもそも、
自分自身を省みても、
時には、汚くて臭いところを
見みせてしまうことも
あるわけですから。
坂上監督の
こんなツイートが紹介されています。
何年も前、
電車で気弱な中学生男子が
もう一人から
一方的にこづかれたり、
首を締められたりしていた。
「やめなよ。
私だったら嫌だよ、
そんなことされるの」
といじめっ子に言った。
続けて
「でも大変だよね、君も。
学校も家も、きついよね」
と言ったら、
手を放し、
表情から緊張が消えた。
この後半部分こそ
まさに、
「他人の靴を履く」
ということですね。
「いじめっ子」としての顔は、
複数の顔の一つにすぎない。
相手の立場に立って
想像してみると・・・
いじめっ子も
つらい思いをしている
のかもしれない・・・と。
「本当の自分」、
「本当の誰か」
というコンセプトから
解放されることは、
帰属性のアイデンティティは
一つしかないと思い込む
ことからの解放に似ている。
たった一つでなければならず、
たった一つであることが
素晴らしいのだという
思い込みから外れること。
そうすれば
人は一足の自分の靴に拘泥せず、
他者の靴を履くために
脱ぐことができるように
なるのかもしれない。
言葉はそのきっかけになれる。
既成概念を溶かして
人を自由にする
アナーキーな力が
言葉には宿っているのだ。
そしてそれは
やがて社会全体を溶かし、
変容させるウィルスのような
不可視の有機体にもなれる。
自分の中には、
嫌な自分もいれば、
ダメな自分もいるわけであって、
そんな多様な自分自身を
まずは受け容れる。
それが、
他者の靴を履く、
すなわち、他者を理解することにも
繋がるのではないか。
そんなことを考えました😊
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以上、
ブレイディみかこさんの
エッセー集、
の一部分ですが、
紹介させていただきました(^^)
他にも、
「エンパシー」に関して、
金子文子やサッチャー首相、
エーリッヒ・フロムや
ニーチェなどの考え方も踏まえて、
様々な角度から考察されています。
中身が濃くて、かつ、
視野を広げてくれる一冊です!
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今回も最後までお読みくださいまして
有り難うございました(^^)
皆さまが読んでくださること、
励みになります!
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おまけ写真集(^^;
一度行ってみたかった、
奥秩父の三峯神社!
表参道(といってもモロ登山道ですが)
を約2時間かけて登りました!
途中、鍾乳洞のぞいて・・・
見事な清浄の滝・・・
あれが奥の院かな?
よ~やく、
遥拝殿着いた!
髄身門!
狛犬でも、キツネでもなく、
日本オオカミです。
(明治時代まで
この付近に生息していたそうですよ)
8時過ぎの駐車場オープンの影響か、
この時、やたら混んでいました・・・
拝殿、見事!
お参りできました😊
摂末社、
全国の有名神社勢ぞろい!
独特の形の白い鳥居、
いったん出ます。
奥の院(妙法ヶ岳)チャレンジ!
根っこ地帯、越えて・・・
ええっ、
最後、鎖場!
何とか着きました!
三峯神社まで下山して・・・
お仮屋神社のオオカミ。
右の、でこぼこした山が、
さっき登った奥の院かな?
三峯神社。
噂にたがわぬ、
清々しく素敵な神社でした!
下から登山したので、
喜びもひとしお!
・・・えっ、
左手薬指の骨折は、
まだ治っていませんが、
自己責任ということで(^^;
(一度コケて、
ひやっとしましたが💦)
(次回、秩父礼所巡りに続きます)




















