ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
アサーションの大家、
臨床心理学者
平木典子先生のロングセラー、
三訂版 アサーション・トレーニング: さわやかな〈自己表現〉のために
の内容を、
私なりに紹介・解説しています。
今回で5回目になります(^^;
アサーティブとは、
自分も相手も大切にした
さわやかな自己表現のこと。
まずは、自分の思いを
素直に、率直に語ることを
奨励しているのですが、
しかし、
必ずしも、
いつも自己主張をすべきだと
いう訳ではないんですね。
アサーション権というものが
いくつかあって、
「自己主張をしない」
という権利もあるのです。
例えば、
ラーメン店に入って、
塩ラーメンを
注文したのですが、
醤油ラーメンが
きてしまいました。
これ、
たまにある話ですよね(^^;
そこで、
自分の注文した物に
取り替えてもらいたいと
伝えることは、
アサーションです。
しかし、
急いでいるので
時間が気になるし、
醤油ラーメンが
嫌いなわけではないので
食べてしまおうと
決心することは
アサーティブな
自己選択、自己決断です。
なるほど・・・
必ずしも、
無理して言う必要は
ないんですね。
気が楽になります(^^;
あるいは、
自分の話を聞いてくれず、
聞いてもらおうとすると
感情的になり
怒りをぶちまける人を
前にして、
アサーションをしても
かえって相手の怒りが
高まる可能性を考えて、
アサーティブになることを
やめてもいいということです。
アサーティブになることを
やめる決心をすることは
アサーションによる選択であり、
自己決断です。
アサーティブになるかどうかは、
自分で選んで、
自分で決めればいい。
時間のロスを考えると
アサーションに値しないと
思ったとき、
あるいは、
アサーションすることが
身の危険や時間のロスに
つながると考えられるときは、
アサーションをしない権利を
使うことができます。
ただ、そこで大切なのは、
先にも述べたとおり、
その権利を使った後、
相手を恨まないことです。
「恨みっこなし」
これが肝ですね(^^;
アサーションをしない権利を
使うことは、
自分で選択して、
自分で決めたことなので、
責任は自分にある。
その時点で、
自分がガマンしたことで
相手を恨んだり、
相手に察してほしいと、
過度な期待を抱いては
いけないんですね(^^;
アサーションの考え方は、
アメリカで生まれましたが、
自己選択、
自己決断を尊重するが、
一方で、
それには責任も伴う
という考え方は、
欧米社会の成熟した「父性」を感じます。
日本社会は、
昔から「察することができる人」が、
すぐれた人だという考え方があります。
もちろん、
それは素晴らしいことで、
日本人の強み、美徳でもありますが、
それがいきすぎると、
空気を読むことが目的になってしまい、
息苦しくなったり、
自分を見失しないがちになります。
ですので、
そういう意味では、
日本社会は、欧米社会以上に、
言葉による
アサーティブな自己表現を
しっかり身に付けることが
必要だと思いますが、
ただ、これは、
日本に限らずですが、
今の時代、
言葉によるコミュニケーションを
あまりしなくても
不自由なく生きていける時代に
なりました・・・
現在、
私たちのまわりには
テレビの映像やメールなど
視覚を中心とした
コミュニケーションが
増えています。
逆に、
パソコンやメールでの
会話が増えたことに
象徴されるように、
言葉を聞く交流は
少なくなりました。
特に便利さや迅速な言動を
よしとする社会では、
挨拶もなくなり、
店員とのやり取りが
必要最低限で済む
コンビニやスーパーでの
買い物が多くなりました。
最近、セルフレジも
多くなりましたよね・・・
ちなみに、
大型書店でもセルフレジが
多くなってきていまして、
私は、有人レジが混んでいる時は、
つい、空いているセルフレジの方へ
いってしまったり
するのですが・・・(^^;
日常生活で、
あまりにも会話が減ってしまうと、
コミュニケーション能力は、
落ちてしまうような気がします。
現代人は、
一見、多様な生活に
恵まれているようで
ありながら、
自己表現の場を
避けることもできるために、
その機会は減り、
表現は下手になっています。
表現力や対人関係の能力は、
多様な人間関係や
複雑なやり取りの中で
訓練されるので、
決まりきった生活パターンや
少ない人間関係の中では
コミュニケーション能力は
発達しにくい状況です。
たしかに・・・
例えば、
テレビやマスコミ、
インターネットが
発達していない時代には、
生活に必要な情報は
人と話すことによって
得ることが多く、
子どもは親の話に
耳をそばだてて聞き、
言葉を覚え、
話し合ったように思います。
また、
さまざまな立場や年齢の人と
接する機会も多く、
親は、そのような場面の
言葉遣いや表現方法を
子どもにていねいに教えました。
それらは
何度か使っているうちに
身について、
単に言葉や言い方だけでなく、
やがて
状況や文脈に応じた表現を
することができるように
なっていきました。
それがいかに役立つか、
社会人になってみると
よくわかったものです。
そうですね。
いろいろな立場や年齢の人と
接した経験は、
たしかに、社会人になって
とても役立ちました。
しかし、
IT化された現代は、
そのような訓練の場面が
ないだけでなく、
文字による
コミュニケーションが
優勢になって、
細かなニュアンスを伝える
視聴覚情報
(声の調子や身振り・表情)
のともなわない
コミュニケーションが
増えています。
職場では
隣席の人にメールを送り、
家庭でも用事以外の
声かけは減りました。
う~ん・・・
私も、
職場の隣席メールはしますし、
(記録に残るのでいい面もあります)
妻との会話は、
用事以外ではしなくなってきたな~
あっ、これは別の要因か(^^;
たしかに、
ここのところ、
メールでのコミュニケーションが増えて、
直接の会話や
電話で話すことが減ってきましたね。
(ZOOMは増えましたが(^^;)
特に電話。
私も、仕事では、
まだ、けっこうしますが、
プライベートでは、
激減しました・・・
総じて、
いろんな場面で、
声を出す「会話」の量じたいが、
だいぶ減っているような
気がします(^^;
形式的な挨拶はしても
心はこもっていないとか、
お世辞は言っても
心底ほめることはないとか、
黙っていることが
同意をしたことになり、
きちんと反対する場面は
少ないなど、
はっきり意志や気持ちを
伝え合い、
わかり合って
親密な関係をつくることが
できなくなっているように
思います。
これは、
いざというときに
たすけ合えない
典型的な現代人の
孤独な姿を表しています。
そうですね・・・
たしかに、
現代の便利な世の中は、
有り難いです。
セルフレジは気が楽だし、
メールも相手に負担をかけることは
少ない。
私自身、便利な世の中を
しっかり享受していますし、
昔のほうがよかったとは思いません。
しかし、
この便利さに、
どっぷり浸かり過ぎると、
やっぱり、
コミュニケーション能力は
退化してしまうと思います。
時には、
新しい出会いを求めて、
新しい世界に飛び込んで、
積極的に声をかけてみたり、
考え方が違う人に対しても、
面倒くさがらずに、
どろくさい対話を重ねたり、
そうすることが、
コミュニケーション能力を
高めることになり、
ひいては、
アサーティブな
自己表現ができる能力にも、
繋がっていくような気がします。
私自身、
この本を読んで、
意識して実践してみようと
思いました(^^)
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最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
次回で、
この本の紹介は最終回(^^;
「怒り」について、
なかなか有益なことが
書かれていますので、
そこを引用・紹介させていただく
予定です。
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おまけです(^^;
恒例の新幹線、
富士川鉄橋でパチリ・・・
白雲なびく霊峰富士🗻
有り難いことに、
ここのところ、
富士山がばっちり見えることが多いです😊

