ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
曹洞宗の僧侶、
藤田一照さんの、
という本から、
私が読んで印象に残ったところを、
紹介しています。
前回は、
「オーガニック・ラーニング」
すなわち、
学問としての学びだけでなく、
赤ちゃんのように、
日々の生活の中での、
「体験」から「学ぶ」ということ。
そして、「覚る」
すなわち、
どんな人間の中にもある、
「悪魔」(この場合は=煩悩)
に気づいて、
それを自覚するということ。
について紹介・解説をしました。
今回は、
「ドゥッカ」
「青虫が蝶になる」
という考え方を、
紹介・解説いたします。
ブッダは、
四門出遊して知った
「老・病・死」に
「生まれる」ことを加えて、
生・老・病・死は、
「ドゥッカ」
であると言っています。
ドゥッカとは、
バーリー語で
「思い通りにならない
人生の絶対真実」
という意味です。
生・老・病・死。
いわゆる、
「四苦八苦」の「四苦」ですね。
「ドゥッカ」は、
苦痛という意味の
「苦しみ」と訳されることが多いですが、
私も、この本と同じく、
より正確には、
「思い通りにならないこと」
だと考えています。
たしかに、
生・老・病・死は、
全人類、
誰もが避けて通れない道ですよね(^^;
覚りを開き、
多くの弟子を
導いてきたブッダも、
皆と同じように老い、
病気になって
死んでしまいました。
「ブッダ」
になったからといって、
ドゥッカをなくすことは
できなかったのです。
しかし、
彼はドゥッカを深く理解し、
受け入れて、
それを苦しみの種には
しませんでした。
なぜ思い通りに
ならないかというと、
私たちは
「縁起(えんぎ)」として
存在しているからです。
縁起とは、
宇宙のすべての存在が
無量無辺の因縁によって
相互に影響しあいながら
存在しあっているという、
宇宙の根本的ビジョンです。
私たちは、
単独で孤立的に
生きているのではなく、
すべてのものとの
つながりに支えられている
縁起的存在です。
生老病死は
そういう
「生かされて生きている
いのちのあり方」から
必然的に出てくる
ものなのです。
なるほど・・・
私たちは、
すべてのものとの
つながりに支えられて
生きている。
その変化の中では、
生老病死は、
必然ということなんですね。
私たちは、
縁起という
働きのネットワークから
たまたま生まれた存在です。
だから、
そのネットワークを
勝手に操作することは
できません。
私たちはあくまでも
縁起の産物であり、
主人ではないからです。
苦しみというのは、
生老病死という
事実に対する
私たちのリアクション(反応)
として起きてくるものです。
たしかに、
生老病死、
それらを含めた、
「思い通りにならないこと」
を過剰に怖れて、
それに反応(抵抗や逃避)をするから、
「苦しみ」というものが、
生まれてくるような気がします。
ブッダであっても、
その事実から逃れることは
できませんでしたが、
その苦しみを乗り越えることは
できました。
「苦しみを乗り越える」
というのは、
生老病死それ自体を
なくすことではなく、
それを深く理解し、
受け入れて生きることです。
ブッダは、
生老病死という事実を
恐れたり、
そこから逃げようとする代わりに、
むしろ縁起という心理を
深く学ぶために、
それにきちんと向き合って
理解しようとしたのです。
人生の厳粛な事実を理解し、
生きる条件として
素直に受け入れることは、
「愉快な生き方」
のポイントです。
ドゥッカがあっても、
いや、むしろ
あるからこそ
愉快に生きることができるという
逆説です。
なるほど~、
もちろん、
人の意志や努力によって、
変えられるものも多いと思います。
しかし、
変えられないものまで、
変えようとするために、
苦しみが生じるわけです。
過去ブログでも、
何回か紹介させていただきましたが、
精神科医エリック・バーンの有名な言葉、
「他人と過去は変えられないが、
自分と未来は変えられる」
他人と過去を変えようとするから、
苦しくなるのですね(^^;
これも、何度か紹介しましたが、
ニーバーの祈り。
「神よ、
変えることの
できるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることの
できないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
(大木英夫氏 訳)
そうですね・・・
でも、
そうはいっても、
「過去と他人は変えられない」
といっても、
仕事上、部下にやらせないと
いけないこともあるし・・・
子どもに対しても、
そうだろうし・・・
「変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、
識別する知恵」
といっても、
そもそも、その知恵がないために
苦労しているわけで・・・(^^;
う~ん・・・
あまり深刻にとらえない方が、
いいのかもしれません。
私たちは、
「生かされている」
したがって、
「すべては必然」
何らかの意味がある。
意味が分からないことは、
私たち人間レベルでは、
計り知れないこととして、
抵抗せずに、流れに身を任せる。
(そのうち分かってくることも
ありますし(^^;)
そのうえで、
生・老・病・死という制約のある中で、
ゲームやスポーツを楽しむように、
愉快に生きる。
ゲームやスポーツって、
ルールや制約、終わりがあるからこそ、
楽しめるわけですから(^^)
そんなことを考えました😊
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今回は
このあたりで終わりますね(^^;
次回は、
今回紹介しきれなかった、
「青虫が蝶になる」
という考え方を、
紹介・解説します。
最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
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おまけ
出張がてら、
京都・東寺のライトアップを鑑賞!
紅葉ピークには、
やや早かった感がありますが(^^;
五重塔、とても美しかったです😊

