ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
明治大学文学部教授で、心理療法家、
諸富祥彦さんの著作、
という新書を紹介・解説しています。
今回で、3回目です(^^;
前回から、
本書で述べられている、
「成熟した大人が持つべき
六つの人生哲学」
について、紹介・解説をしておりますが、
今回は、②の、
②人生は、思いどおりに
ならないものである
を紹介・解説します。
さっそく、引用します。
心が未熟な人というのは、
言葉を換えて言うと、
「万能感に
あふれた人」です。
万能感はどうやって生じるか。
それは、
ジークムント・フロイトが
言ったように、
母親の子宮の中に
いた時です。
母親の子宮の中に
いる時には、
安全だし、
完全に守られている
状態です。
完全なる万能感に
ひたっていられるのです。
(中略)
これを減少させていくことが
すなわち、
成熟する、大人になると
いうことです。
現実を受け入れて、
「自分は万能ではない」、
「すべては思いどおりには
いかないものだ」
ということを
受け入れていくのが、
成熟するということです。
人格の成熟というのは
「万能感の喪失」
と共に進んでいく
ものなのです。
言葉を換えて言うと、
大人になれない人というのは、
いつまでも万能感にあふれた、
未熟な人だということです。
どきっ、
万能感にあふれた人は、
いわば、母親の子宮の中にいる時と、
同じ気分でいるということですね・・・
では、
未熟な人には
どういう万能感があるのか。
代表的なのは、
「がんばっていれば
人は理解してくれるはずだ」、
「努力していれば
人は理解してくれて当然だ」
という考え方です。
この万能感は
努力家に多いものです。
努力に過剰に
価値を置いている。
勤勉な努力家の多くは、
自分のその努力する
ということに
あまりにも大きな
価値を置いているのです。
しかし、現実には、
「いくら努力しても
理解してもらえない」
時がある。
「いくら努力しても
評価してもらえない」
ことがある。
これが人生の現実です。
それがわかっていて、
なお、
「それでもくさらずに
がんばり続ける」
のが、
大人になるということです。
けれども、
なかなか
そうなれない人が多い。
痛っ・・・
私は、決して、
努力家というわけではありませんが、
やっぱり、
「自分が努力した分は、
きちんと認めてもらいたい」
「評価してもらいたい」
と、つい思ってしまいます(^^;
「評価されないことがあっても、
くさらずにがんばり続けるのが、
大人になるということ」
そうですね・・・
なかなか難しいときもありますが、
たしかに、
私もそうありたいです(^^;
この本を
手に取ってくださっている方は、
「真に成熟した大人になりたい」
というお気持ちの方が
多いと思います。
そのために、
まず、
自分はどれだけ子どもなのか、
どれだけ未熟なのかと
いうことを
知っておく必要があります。
(中略)
真に成熟した
大人というのは、
「理解を求めない人」です。
人から理解されることを
求めない。
というのも、
「理解してもらえなくても
自分には価値がある」
ということが
わかっているからです。
揺るがない
自己価値観がある。
そこに心の余裕が生まれます。
すると、
人にわかってほしい、
理解をしてほしいという
気持ちは
そんなに持たなくて
すむようになります。
同時に、
成熟した大人というのは、
自己を生きる、
自分自身を生きる、
自分らしく生きるということが
できている人でもあります。
そのためには、
やはり自己というものを
きちんと確立している
必要がある。
そうでないと、
「わかってもらえなくてもいい」、
「理解してくれなくてもいい」
とはなかなか思えない。
自己が確立されていると、
わかってほしいとか、
リスペクトしてほしい
という気持ちを
それほど強くは
持たずにすむでしょう。
なるほど~、
「自己を生きる」
「自分自身を生きる」
「自分らしく生きる」
ことができる人が、
成熟した大人なんですね・・・
私、若い頃は、
むしろ、逆、
自分(自我)を殺して、
周りの期待に答えるべく
我慢できるのが、成熟(大人)で、
自分らしく生きることは、
未熟(子ども)である。
と、思っていた節があります(^^;
そうではないのですね・・・
子どもは、
他者の期待に応えなければ
自分というものに
価値があるとは
思えない存在です。
だから、
子どもは、親の期待に
応えてなんぼ、
と自分のことを
思っています。
親に見捨てられたら大変だと
子どもは思っているのです。
それはなぜかというと、
子どもは
親からの承認なしでは
生きていけない
存在だからです。
親から承認されることなしには
生きていけない
弱い存在だからこそ、
親からの承認を
強く求めるのです。
真に成熟した大人というのは、
この真逆です。
真に成熟した大人というのは
他者から承認されなくても、
自分のことを
価値ある存在であると
感じることができるのです。
それは、
他者からの承認がなくても
自分はもう
十分に生きていけるし、
自分で自分のことを
価値ある存在だと思うことが
できるからです。
このように、
「承認欲求と自己価値観」
はワンセット、
裏表の関係にあるのです。
たしかに、
子どものときは、
親の庇護なしでは生きていけませんから、
親の承認を第一に求めるのは、
無理もないですよね・・・
しかし、
大人になった今は、
必ずしも、他者の承認がなくとも、
生きていける。
(もちろん、まったくないというのは、
かなり、しんどい生き方ですが(^.^;)
現代社会は、
特にSNSの普及によって、
「承認欲求の肥大化」
が急速に進んでいると、
述べられています。
それは、たしかに、
ありますよね・・・
もちろん、
中高年になっても
承認欲求そのものが
なくなることはありません。
いくつになっても
承認欲求が
なくなることはない。
成熟した大人でも
人から認められたいという
気持ちはあります。
ただ
成熟した大人にとっては、
それはもはや
自己価値観を保つために
必要不可欠なものでは
なくなるのです。
これはとても
重要なことです。
成熟した大人にとっては、
人から認められることが、
自己価値観を保つために
必要不可欠なものではなくなる・・・
たしかに、そうですね。
マズローの欲求5段階説
にもあるように、
私は、努力をして、認められ、
ある程度、承認欲求を満たすことも、
次の「自己実現」の段階にいくためには、
必要なステップだと思います。
しかし、
いつまでも、
承認欲求にとらわれていると、
成熟した大人にはなれない
ということですね(^^;
真に成熟した大人と、
未熟な人との一番の違いは、
承認されることが
自己価値観を保つために
マスト(不可欠)か否か
ということです。
もし人から
認められなければ
自己価値観を保つことが
できないというのであれば、
それはその人の心が
未熟な証拠です。
真に成熟した大人と言うのは、
たとえ人から承認されなくても
自己価値観を
十分に保つことができる、
そういう安定した
自己価値観が
確立されているのです。
もちろん、
何があっても
まったく揺るがない
自己価値観を持っている人など
いません。
どんなに罵倒されても
自信はまったく揺るがない。
そこまでの自信を
持っている人は
めったにいるものでは
ありません。
ほどよく安定した
自己価値観が、
成熟した大人になるためには
やはり必要です。
人から批判されただけで
すぐに自分が崩れていくような
恐怖を感じる人は、
やはり成熟した大人とは
言えないのです。
私は、
人から批判されると、
けっこう、
動揺してしまうタイプなのですが・・・(^^;
「ほどよく安定した自己価値観」
が必要なんですね。
多少のことを言われても
びくともしない
自己価値観を確立していく。
この
「ほどよく安定した
自己価値観」
も持っているということが、
成熟した大人になるために
必要な前提条件であると
私は思います。
「ほどよく安定した自己価値観」
では、
これを持つためには、
どうすればいいのでしょうか?
過去のブログでも、
いろいろと述べさせていただきましたが、
まずは、
「自己受容」
自分の感じたことを、
いい・悪いの価値判断、ジャッジをせず、
受け入れる。
特に、自分が今まで、
抑えつけてきた感情(シャドー)を、
感じて、受け入れる。
それが、
「自己実現」
につながります。
(簡単なことではなく、
一生かかるテーマですが(^^;)
一人では難しい場合は、
信頼できるカウンセラーと
一緒に取り組むことをおすすめします。
あとは、
「自分の価値観を明確にする」
自分がほんとうに
大切にしているものを、明確にする。
優先順位をつけて、
それに沿って生きる。
実際に書き出してみるのがポイントです。
(ディマティーニ・バリューファクター
という手法が有効です)
過去ブログ、
で少し紹介していますので、
よかったらご覧ください(^^)
長くなりましたので、
次回に続きますね(^^;
今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊

