ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
200万部突破!
ミリオンセラーの
の内容で、
私の印象に残ったところを、
少しずつ紹介、解説してきました。
今回で、
最終回です(^^;
この本、
哲人(岸見一郎先生)と、
悩み多き青年(古賀史健さん)
の対話形式で進みます。
前回は、
「共同体感覚」
「勇気づけ」
について触れましたが、
今回は、その
「共同体感覚」
を持てるようになるために必要なこと
を中心に、
解説していきますね(^^)
「共同体感覚」
とは、
「自己の執着」
を
「他者への関心」
に切り替えること
ですが、
それには、
3つの要素が必要になるといいます。
(1)「自己受容」
(2)「他者信頼」
(3)「他者貢献」
(1)自己受容
自己受容は、
自己肯定とは違います。
<哲人(岸見先生)>
自己肯定とは、
できもしないのに
「わたしはできる」
「わたしは強い」と、
自らに暗示をかけることです。
これは
優越コンプレックスにも
結びつく発想であり、
自らに嘘をつく生き方でも
あるといえます。
一方の自己受容とは、
仮にできないのだとしたら、
その「できない自分」を
ありのままに受け入れ、
できるようになるべく、
前に進んでいくことです。
自らに嘘をつくものでは
ありません。
もっとわかりやすくいえば、
60点の自分に
「今回はたまたま
運がわるかっただけで、
ほんとうの自分は
100点なんだ」
と言い聞かせるのが
自己肯定です。
それに対し、
60点の自分を
そのまま60点として
受け入れた上で、
「100点に近づくには
どうしたらいいか」
を考えるのが
自己受容になります。
「自己肯定」と、
「自己受容」の定義は、
いろいろありますが、
この本でいう
「自己肯定」は、
安直なプラス思考に似ていますね(^^;
それでは、
いずれ行き詰ってしまいます・・・
対して、
「自己受容」
は、地に足が着きつつも、
とても前向きな気がします(^^)
「変えられないもの」
に注目するのではなく、
「変えられるもの」
に注目するということですね。
有名な、
「ニーバーの祈り」
が引用されていますが、
過去ブログ
でも取り上げていますので、
よかったらご参照ください(^^)
(2)「他者信頼」
「信用」と「信頼」
は違うといいます。
「信用」
とは、条件付きの話ですね。
たとえば、
銀行の融資には、
担保が必要になるといったことです。
(信用調査とか、いいますよね)
対して、
「信頼」
とは、無条件に相手を信じること。
無条件?
う~ん・・・
それで、裏切られたら、
けっこうショックだし、
傷つきますよね。
<哲人(岸見先生)>
あなたはいま、
しきりに
「裏切られたとき」
のことばかり
心配している。
そこで受ける
傷の痛みばかり
注目している。
しかし、
信頼することを
怖れていたら、
結局は誰とも
深い関係を築くことは
できないのです。
たしかに・・・
裏切るかどうかは、
他者の課題であるといいます。
でも、
裏切られた時の
怒りや悲しみはどうすればいい?
<哲人(岸見先生)>
悲しいときには、
思いっきり悲しめばいいのです。
痛みや悲しみを
避けようとするからこそ、
身動きが取れず、
誰とも深い関係が
築けなくなるのですから。
・・・岸見先生は、
容赦ないですね(笑)
「信用」と「信頼」
については、
で詳しく解説していますので、
よかったらご参照ください(^^)
(3)「他者貢献」
「他者貢献」とは、
仲間である他者に対して、
なんらかの働きかけをしていくこと、
貢献しようとすること、
ですね。
しかし、
自己犠牲をしてまで、
周りに尽くすということでは
ないんです。
<哲人(岸見先生)>
他者貢献が意味するところは、
自己犠牲ではありません。
むしろアドラーは、
他者のために
自分の人生を
犠牲にしてしまう人のことを、
「社会に過度に適応した人」
であるとして、
警鐘を鳴らしている
くらいです。
そして
思い出してください。
われわれは、
自分の存在や行動が
共同体にとって
有益だと思えたときにだけ、
自らの価値を
実感することができる。
そうでしたね?
つまり
他者貢献とは、
「わたし」を捨てて
誰かに尽くすことではなく、
むしろ
「わたし」の価値を
実感するためにこそ、
なされるものなのです
「わたし」の価値を実感するため。
すなわち、
他者貢献するのは、
「自分のため」
でもあるんですね(^^)
で、他者貢献とは、
必ずしも、
目に見える貢献でなくとも、
かまわないといいます。
<哲人>
あなたの貢献が
役立っているかどうかを
判断するのは、
あなたではありません。
それは
他者の課題であって、
あなたが介入できる
問題ではない。
ほんとうに
貢献できたかどうかなど、
原理的にわかりえない。
つまり
他者貢献していくときの
われわれは、
たとえ目に見える貢献
でなくとも、
「わたしは誰かの役に
立っている」
という主観的な感覚を、
すなわち
「貢献感」を持てれば、
それでいのです。
(中略)
「幸福とは、貢献感である」
それが、
幸福の定義です。
「幸福とは、貢献感である」
う~ん、
その通りですね・・・
たしかに、
貢献感を感じられるときは、
幸福感も味わえる気がします😊
この貢献とは、
必ずしも、他者の承認は必要ない、
いわば、
自己満足でいいのです(^^)
そう考えると、
ちょっと気がラクになりますね(^^;
また、
貢献は、特に生産的でなくとも、
かまわないと思います。
たとえば、
私たちは、みな、
年老いたら、
生産的な活動はできなくなります。
しかし、
存在すること自体で、
貢献することはできます。
たとえば、
「共感」や「感謝」の言葉を、
他者に伝えることはできます。
(勇気づけ、ですね)
ちなみに、
私の老後の理想は、
他者に、
「共感」や「感謝」の言葉を
惜しみなく伝えられる
爺さんになることです(^^;




