ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
古宮昇先生の著書、
の中の、
「人間の心のなりたち」
という章が、
人のこころのしくみを理解するのに、
とても役立ちますので、
そこを、
紹介、解説しています。
今回で5回目になります。
人間、誰もが持つ、
深く強烈な心理的衝動が
4つあります。
(1)自己実現を求める衝動
(2)無条件の愛を求める欲求
(3)「自分を表現したい」と求める衝動
(4)「傷つきたくない、変化するのは怖い」と求める衝動
なのですが、
今回は、
(4)「傷つきたくない、変化するのは怖い」と求める衝動
を紹介、解説いたします。
「変わりたい」
VS
「変わるのは怖い」
自己実現を求める
強烈な衝動は、
「もっと成長したい」
「もっと良い人生を生きたい」
と求める衝動です。
それは
「変わりたい」
と求める衝動だと言えます。
ところが、
私たちの心には
それと正反対の、
「変わりたくない」
と求める
強烈な衝動もあります。
変わることへの恐怖です。
変わることによって、
傷ついたり、
大切な何かを
失ったりすることが怖いので、
現状維持のまま、
しがみつこうとします。
「変わりたい」衝動があるのに、
「変わりたくない」衝動もある。
何か、矛盾しますよね(^^;
なぜ、
変わることが怖いのか?
変化を怖れる衝動の重要な源は、まだ癒せていない心の痛みです。大切な人から愛情を得られないと感じた苦しみや、危険な思いをした恐怖などが強いので、「あんな思いはもうしたくない」と思うのです。
この本ではないですが、
古宮先生は、
「歯医者に行くことの怖れ」
で、たとえていらっしゃいました。
歯が痛くて、
早く直したいという衝動があるが、
歯医者の、あの、
「キーン」という音を思い出すと、
怖れで、つい、
歯医者に行くのを先送りしてしまう(^^;
そして、結果的に、
虫歯が悪化していくという・・・
その怖れは、
「カウンセリングに行くことの怖れ」
にも通じます。
その怖れとは、
自分の内面を見る恐怖。
(私もありました(^^;)
自分でも気づかない、
怖くて避けてきた感情が、
湧き上がってくるのではないかという
怖れですね。
また、
人への不信感や、
心を開いたら
傷つけられるのではないかという、
怖れもあるといいます。
では、
感情を抑圧してしまう
「原因」は、
何なのでしょうか。
多くの場合は、
幼少期における
親との交流にあるといいます。
お母さんは特定の価値観を持っており、赤ちゃんがお母さんの価値観に沿う行動をしたときには承認し、そうでないときには承認しません。たとえば、お母さんの作った食事を赤ちゃんがおいしそうに食べると喜び、反対に頑固に食べようとしないときにはあわてるでしょう。叱ることさえあるかもしれません。また、初めて見る火に手を入れようとすると、手をバシッと叩かれたり、きつく叱られたりするでしょう。
う~ん、
火に手を入れようとしたら、
そりゃ、きつく叱りますよね・・・
赤ちゃんはお母さんの愛情を強く求めますから、そのような経験をするうちに、自分が快と感じるか不快に感じるかということよりもお母さんの愛情を受けられるかどうかを基準にして、行動するようになります。臨床心理学者のカール・ロジャースは、お母さんから愛されるかどうかの基準のことを、「価値の条件」と呼びました。
なるほど~、
お母さんの愛情を
受けられるかどうかを
基準にして、
行動する・・・
赤ちゃんにとっては、
死活問題ですから、
やむを得ない気がします。
そして、お母さんから取り入れた価値の条件にそぐわない感情、考え、行動は、「悪いもの」として抑えつけられます。自分自身でも知らないうちに否定するのです。たとえば、赤ちゃんがお母さんに腹を立てたとします。お母さんが、それを受け容れられず、赤ちゃんが腹を立てたからといって叱りつけたり、冷たく無視したりすると、赤ちゃんは怒りの感情を「お母ちゃんの愛情を奪う悪いものだ」と感じるようになります。そして、「怒る自分は悪い子だ」と感じるようになるのです。すると、腹が立っているときに怒りを感じられなくなります。そして、親への怒りが歪められて「ぼくが悪い子だ」と、罪悪感を抱いたりすることもあります。
なるほど~、
自分の感情を
抑圧するようになるメカニズムは、
こういうことなんですね。
子どもを100%受容できる親など、
ありえませんから、
(それこそ、先ほどの例だと、
子どもが火傷してしまいます(^^;)
程度の差こそあれ、
誰もが、感情を抑圧するようになるわけです。
そして、
感情の抑圧が激しい場合は、
それが、自分自身や、
親への怒りとなって
湧き上がってくることがあり、
それが、他人への嫌悪感につながります。
他人に対して、嫌ったり、腹を立てたり、軽蔑したり、悪口を言ったりすることの多い人ほど、自分自身への無条件の愛が乏しいものです。そのままの自分のことが嫌いなのです。そのままの自分のことが受け容れられず、自分自身に対して、「ああでなければならない」「こうでなければならない」とさまざまな制限を加えています。そして、その狭く固い「べき」に合わない他人に対して、批判的、攻撃的な思いが湧くのです。
たしかに、
私自身も、
「べき」に縛られて、
自己受容が、
あまりできていなかった頃は、
他人に対して、
批判的、攻撃的だった気がします(^^;
もちろん、
今でも、完全に、
ありのままの自分を
受け容れられている訳ではないので、
他人に対して腹立つことも
多々ありますが(^^;
(でも、少しは、ましになったかな)
本当はその人が他人に対して、嫌ったり、怒ったり、軽蔑したりしている、まさにその同じ特性を、その人自身も同じ程度に持っています。
そうなんです。
見えないだけ、
自覚できていないだけなんです(^^;
そういう人ほど、自分で自分のことを縛って制限しているために、人生の豊かさが減り、重荷が増えています。また、人への不信感が強いため、人間関係が乏しくなっていますし、人間関係で問題を抱えがちです。
たとえば、
「男らしさ」や「社会的成功」
に縛られている、
頑固オヤジは、
そうかもしれませんね(^^;
(私のこと?)
反対に、「私は嫌いな人なんていません」とか、「人に腹を立てることなどない」と思っている人も少なくありません。そういう人は、怒りや攻撃心に対する恐怖や罪悪感が根深いため、怒りや攻撃心があるにもかかわらず、否認しているものです。また、否認している怒りや攻撃心を歪んだ形で放出しながら、他人に腹を立てたり攻撃したりしている事実を認めないこともあります。また、ときにその怒りと攻撃心を自分自身に向け、自分のことが好きだと思えないという感覚や罪悪感に苦しむこともあります。
う~ん、
こういうケースも、
実際、多いですよね・・・
そのように、自分の経験に無意識のうちにウソをついて、心の中に不一致な状態を作り出してしまう「悲劇的」(ロジャース)な発達過程が起こるのは、赤ちゃんが自分の自然な感情や考えを犠牲にして、親など重要な他者の期待に応えようとするからです。
「親」も「子ども」も、
よかれと思って
やっていることが多いのに・・・
そういう意味では、
誰も悪くないし、
そもそも、
人間として、生まれてきた以上は、
程度の差こそあれ、
「悲劇的」な発達過程が生じる可能性は、
誰にだってあるのだと思います。
しかし、
あまりにも、それが辛くて、
生きづらさを感じている人は、
本を読んだり、
心理学を学んで実践したり、
カウンセリンを受けたり、
学んだりするといいと思います。
(一番、効果的なのは、
カウンセリングを受けることだと思います)
行動すれば、
きっと解決の糸口は見つかります。
大人になってからでも、
解決は可能だと思います。
次回に続きます(^^;
今回も、最後までお読みくださいまして、
有り難うございました(^^)