ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回から、

内田樹さんの、

ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)

というエッセイ集を紹介します。

 

内田樹さんは、

フランス文学者、思想家。

 

レヴィナスや構造主義の

研究者としても有名です。

 

本も、ベストセラーになった、

日本辺境論 (新潮新書)

他、多くの著作があります。

 

内田樹の研究室

というブログも人気があり、

平易な言葉で語るも、鋭い批評には、

「なるほど~」

と唸らせられることが多いです(^^;

 

前回までは、

河合隼雄さんのエッセイ集、

こころの処方箋

を8回にわたって、紹介してきました。

 

その中で、前回、

「自立は依存によって裏付けられている」

というタイトルのエッセイを紹介したのですが、

その流れで、

今回は、

 

「あなたなしでは生きてゆけない」

 

というタイトルのエッセイから、

「依存」というものを、

また違った切り口から、

解説していきますね(^^)

 

以下、引用します。

 

ひとりひとり

おのれの得手については、

人の分までやってあげて、

代わりに、不得手ことは

それが得意な人にやってもらう。

 

この相互扶助こそが

共同体の基礎となるべきだと

私は思っている。

 

自己責任・自己決定という

自立主義的生活規範を

私は少しもよいものだと

思っていない。

ふむふむ・・・

 

自分で金を稼ぎ、

自分でご飯を作り、

自分で縫い物をし、

自分でPCの配線をし、

自分でバイクを修理し、

部屋にこもって

自分ひとりで遊んで、

誰にも依存せず、

誰にも依存されないで

生きているような人間を

「自立した人間」と称して

ほめたたえる傾向があるが、

そんな生き方の

どこが楽しいのか

私にはさっぱりわからない。

 

それは

「自立している」

のではなく、

「孤立している」

のである。

たしかに、

このような一見、「自立」しているようで、

実は、「孤立」しているかもしれない人が、

近年、増えてきている気がします。

 

私は自分で

生活費を稼いでいるし、

身の回りのことは

だいたい

ひとりでできるけれど、

そんなことを少しも

よいことだと

思っていない。

う~ん、

それはそれで、

いい面もあるような気がしますが・・・

できることなら

私の代わりに

誰かがお金を稼いでくれて、

ご飯も作ってくれるし、

洗濯もアイロンかけも、

ゴミ出しもトイレ掃除も

全部してくれる状態が

来ればいいなと思っている。

そりゃそうですね(^^;

だって、

そうすれば、

私はその誰かに代わって

お金を稼いだり、

ご飯を作ったり、

洗濯をしたり、

アイロンかけをしたり、

ゴミ出しやトイレ掃除を

することができるからである。

えっ・・・

 

自分のことを、

あえて、自分でやらずに、

他人に対してやる?

 

そして、

自分のことを、

他人にやってもらう?

 

自分が

しなければいけないことを

誰かがしてくれれば、

そうやって浮いたリソースで

他人の

しなければいけないことを

私が代わりに

やってあげることができる

う~ん、

そんな、まわりくどいことを、

なぜ、やるのでしょうか?

 

 

次回に続きますね(^^;

 

今回も、

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)