ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
ユング派の臨床心理学者
河合隼雄さんのエッセー集、
を紹介しています。
さすが、
河合隼雄さんの本だけあって、
平易な語り口なのに、
「う~ん、なるほど・・・」
と唸らせるエッセーがとても多く、
あれも、これも紹介したくなります(^^;
が、あまり紹介しすぎると、
出版社に怒られてしまいそうなので(笑)
気を付けますが・・・
今回紹介するのは、
「善は微に入り細にわたって
行わねばならない」
というエッセーです。
前半部分を、要約します。
人間は、好きなことをすることが、
大切だといいます。
とはいっても、
好きなことをするのは、
近所迷惑なことも多い。
近所迷惑のことも自覚しつつも、
好きなことをやっていくことが、
人生の面白味であるといえます。
しかし、困るのは、
好きなこととして、
「善行」をしたい人たちです。
なぜなら、
近所迷惑についての自覚が、
薄いからだといいます。
どういうことなのか。
一例として、
老人ホームにやってくる、
ボランティアの人が挙げられています。
やってくると、
老人にやたらと親切にする。
無償でやっているので、
たしかに「善行」です。
すばらしい行為です!
しかし、
やりすぎると、
施設の人が悪者になってしまう。
老人が、
「ボランティアの人はやさしいけど、
この施設の人は冷たい」
と言い出すかもしれない。
施設の人は、
おもしろくありません。
やがて、
ボランティアの来所を拒んだり、
老人も、板ばさみになって、
急に不愛想になってきたりする・・・
本当に善を行いたいの
だったら、
「微に入り細にわたって
行わねばならない」
のである。
施設の人の不機嫌を
感じ取ったら、
それについて
考えてみる必要がある。
老人が、
あれをして欲しい
これをして欲しいと
言ったとき、
それにすぐ応じることが、
本当に意味のあることか、
と考えてみる必要がある。
それらのことを
ひとつひとつ取りあげ、
考えてゆかないと、
善が善にならないどころか、
有害なことにさえなってくる。
う~ん、
考えさせられますね(^^;
ちなみに、
作家、遠藤周作さんも、
「善魔」(ぜんま)
という表現で、
同じようなことを述べています。
ひょっとすると
こちらの善や愛が
相手には非常な重荷に
なっている場合だって
多いのである。
向こうにとっては
有難迷惑な時だって
多いのである。
それなのに、
当人はそれに気づかず、
自分の愛や善の
感情におぼれ、
眼(まなこ)くらんで
自己満足をしているのだ。
こういう人のことを
善魔という。
そして
かく言う私も
自分がこの善魔であって
他人を知らずに
傷つけていた経験を
過去にいくつでも
持っている。
より引用)
どきっ、
私も、
カウンセリングの時に、
来談者から、
アドバイスを求められると、
よかれと思って、
つい、安易に答えたり、
変に励ましたり、
誘導しようとしたりする
衝動に駆られることがあります。
でも、それだと、
一時的には、
来談者がラクになり、
感謝されるかもしれませんが、
来談者の自発的な変容には
つながらないんですね(^^;
アドバイスどおりに
できない来談者が、
辛い思いをする可能性
だってあります。
わかっていても、
なかなか、それができなくて、
辛くて、どうしようもなくて、
カウンセリングに来られるケースも、
あるわけですから。
カウンセラーが、
来談者に、
アドバイスしたり、
励ましたり、
誘導しようとするのは、
実は、多くの場合、
カウンセラー自身が、
「よいカウンセラーだと思われたい」
「すごいカウンセラーだと思われたい」
という動機からなんです(^^;
来談者のことを、
本当に思っての、
寄り添い続ける姿勢ではないんですね。
「こころの処方箋」
に戻ります。
微に入り細にわたって
やって頂きたい。
一旦それをはじめると、
善を行うことがどんなに
難しいことであるかが
わかることであろう。
自分では善と思っていても、
本当はどうなのかは
わからないと思えてくる。
そうなってくると、
善人に共通する
不愉快な傲慢(ごうまん)さが
少しずつ消えてくる。
善とか悪とかいうことよりも、
自分の好きなことを
させていただいている、
ということが
実感されてくる。
そうですね・・・
私自身、
カウンセリングも、
コーチングも、
このブログも、
いわゆる「善魔」
に陥ることなく、
「自分の好きなことをさせていただいてる」
という気持ちを忘れずに、
取り組んでいきたいと思います(^^;
今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました。
次回に続きます(^^)