ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

2009年NHK大河ドラマ

の原作にもなった、

火坂雅志さんの歴史小説

天地人

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介しています(^^)

 

主人公は、

「愛」の兜で有名な、

直江兼続

(大河ドラマでは妻夫木聡さんが演じました)

です。

 

上杉家と真田家が同盟を結び、

のちに大阪の陣で活躍する、

若き真田幸村が、

人質として、上杉家に迎えられます。

(史実です)

 

そこで、

直江兼続

と、幸村が、

語り合うシーンがあります。

 

(前回からの続きです)

 

兼続は、

たんに幸村に語るというだけでなく、

おのれ自身の心にも

彫り刻むように語り続けた。

 

「岐(わか)れ道に立ったとき、

人は何によって動くと思う?」

 

「利のあるほうへ、

人の心はしぜんに流れていくものだと、

わが父昌幸は

口癖のように申しております」

 

幸村は言った。

 

真田家には格言がある。

 

――人は利に誘われれば、

忠義の心も、

死の危険も忘れる。

 

というものである。

 

人の心は弱い。

目の前に甘いワナを

ぶらさげられれば、

最初は拒否していても、

やがては我慢しきれずに

食らいついていく。

 

剥き出しの欲望の前では、

いっさいのきれいごとは通用しない。

 

「それが人だ」

 

と真田昌幸は息子たちに教えていた。

たしかに、そうですよね・・・

 

う~ん、

私自身も、最初は拒否しても、

実際は、

甘いワナに食らいついてしまうことが

多いかも(^^;

 

ましてや、真田家は、

大国に挟まれた弱小勢力。

 

きれいごとを言っていたら、

生き残れなかったのだと思います。

 

しかし、

兼続は、こう言います。

 

「たしかに、

人は利で動くものだ。

だが、それだけではない」

 

「と、申されますと?」

 

「人はときに、

利を超えた志のために

動くことがある」

 

「それが、義・・・」

 

「そうだ」

 

兼続はうなずき、

はるか海のかなたに目をやった。

 

「もし、あれに子供が溺れていたとする。

助けたとしても、

一文の得にもならぬ。

武名が上がるわけでもない。

 

しかし、

助けをもとめる子供を

ほうっておけるか」

 

「できませぬ」

 

「そうであろう。

心ある者ならば、

ためらわず海へ飛び込む。

 

そのとき、

その者は利によって

行動するわけではない。

 

へたをすれば、

おのれが溺れ死ぬ

危険もあるというのに、

人は子供を助けずには

いられない。

 

それが、義の心だ」

 

「・・・・・」

「義」というと、

ちょっと、

「やくざもの」

みたいなイメージを持つ方も

いらっしゃるかもしれませんが、

ここでいう「義」とは、

人間が本来持っている、

「良心」のようなものだと思います(^^)

 

「この乱世、

人は欲するものを

手に入れるためなら、

平然と主を裏切り、

朋輩を出し抜き、

親兄弟でさえも殺し合う。

暗殺、毒殺さえもいとわない。

 

しかし、

その果てに何がある。

 

人の欲望にはきりがない。

手に入れても、

手に入れても、

けっして

心が満たされることはない。

 

私利私欲を離れ、

公(おおやけ)というものを

見据えて

志に向かって突き進んだとき、

人ははじめて、

真に生きたと

実感できるのではないか」

う~ん、しびれますね。

 

一度でいいから、

私もこんなことを、

同僚や部下に語ってみたい!

 

です、が、

「ふだんやっていることと、違う・・・」

と鼻で笑われそうで怖いです(^^;

 

「われらは獣ではない。

人だ。

 

利を追いもとめながらも、

心の底では、

それだけに振り回されることを

むなしいと思っている。

 

不識庵さま(上杉謙信)は、

義の旗印をかかげることによって、

生きることの意味をみなに問いかけたのだ」

直江兼続は、

師である

上杉謙信の「義」の継承者なんですね。

 

兼続の言葉は、

十九歳の幸村の胸に、

みずみずしく沁み入った。

 

(そのような考え方が、

この世にはあるのか)

 

利を追いもとめる人間の欲望を

巧みにつきながら、

乱世を渡ってきた

真田一族には、

まったく存在しなかった

価値観である。

 

「義をとなえることは、

たしかに不利だ」

 

兼続は言い、

 

「ゆえに、

誰もが利に走る。

 

しかし、

難しいからこそ、

それは光り輝く。

 

義をおこなえば、

目先の利を追うだけでは

得られない、

まことの人の信頼を

勝ち取ることができる。

そうではないか」

そうですね、

前回も述べましたが、

上杉謙信の時代から、

脈々と続く、

上杉家の「義」の精神が、

長期的な意味で「信頼感」につながり、

それが、

大名家として、滅ぶことなく、

幕末、明治維新まで存続した、

底力になったのではないかと考えます。

 

もちろん、

「利」が不要というわけではありません。

大事です!

 

実際、上杉家は、

謙信の時代から、

北国船による「青苧」の取引や、

金山、銀山の経営で、

莫大な富を築いていました。

 

兼続は言います。

 

「義をおこなうには、

利を使わねばならぬ。

 

だが、それはけっして

卑しいことではない。

 

大事なのは、

利に目をくもらされては

ならないということだ。

 

利は手段であって、

目的ではない。

 

その信念を忘れなければ、

人として背筋をまっすぐに伸ばして

生きていくことができる」

 

「利は手段であって、目的ではない」

 

ほんとそうですね。

 

ちなみに、

新将命さんの著書、

経営の教科書

には、このように書かれています。

 

「利益は目的ではなく、手段である」

「会社が車なら、利益はガソリン」

 

たしかに、

ガソリンがないと、

車が動きませんので、困りますが、

 

そもそも、大切なのは、

 

「どこに向かうか」

すなわち、

「何を目指すか」

 

ということですね。

 

次回に続きます(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。