ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

歎異抄(たんにしょう)

という書物を紹介しています(^^)

 

今回で3回目になります。

 

歎異抄とは、

親鸞聖人の教えを、弟子の唯円がまとめた書物のことです。

 

今回は、

有名な冒頭の部分を紹介します。

 

(原文)

弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて、

往生をばとぐるなりと信じて、

念仏申さんとおもいたつこころのおこるとき、

すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまうなり。

 

弥陀の本願には、

老少・善悪のひとをえらばれず、

ただ信心を要とすとしるべし。

 

そのゆへは、

罪悪深重、煩悩熾盛の衆生を

たすけんがための願にまします。

 

(訳)

私たちを残らず救おうとする

大いなる本願に導かれ、

阿弥陀さまと同じ道を歩めるのだと確信して、

念仏を唱えようと思うとき、

たとえ煩悩を抱えたままであっても、

私たちには阿弥陀さまの無限の慈愛に包まれた、

絶対安心の生き方が与えられるのです。

 

阿弥陀さまの本願の前には、

老若善悪など、

あらゆる人間的条件による差などは

一切問題になりません。

ただ阿弥陀さまの大慈悲にそのまま応じる

信心のみが大切と、

心得ればよいのです。

 

なぜ本願を信ずる心一つだけで

救われるのかというと、

阿弥陀さまは、

日々の生活に追われ、

さまざまな欲望の虜となって苦しんでいる

私たちこそ救いたいという

大慈悲から本願を建てられたからです。

「誓願不思議」とは、

まだ阿弥陀さまが法蔵菩薩

(阿弥陀仏になる前)

の時の本願で、

 

「生きとし生けるものが、

心から阿弥陀さまの本願を信じて念仏を称えれば、

どんな悪い人でも必ず救い取る。

それができなければ、

私は仏にならないで結構です」

 

というものです。

 

その法蔵菩薩が、

すでに阿弥陀仏になっているわけですから、

本願は成就している、

すなわち、

悪人である(=欲望の虜となって苦しんでいる)

私たちは、

すでに救われているという論理ですね。

 

よかった・・・

ほっとします(^^;

 

訳者の金山秋男さんの解説が、

とてもいいです(^^)

 

人は生きているうちに、

どうしても無数の小さな罪を作らざるを得ません。

それは人間がエゴから逃れることができない限り、

避けられないものです。

 

しかし、それが蓄積され、

どこか自分は偽りの存在で、

本質的な自分を生きていないのではないか、

という感覚にさいなまれるようになったとき、

感性の鋭い人ほど、

それを自分の罪と捉えて、

ますます悩みを深めていくかもしれません。

今、お読みの皆さまも、

そういうことがあるのではないでしょうか。

 

しかし、

そういう人こそ、

太古からの因縁を断ち切って、

自分に呼びかけてこられた

阿弥陀さまの声に気づくのです。

阿弥陀さまは、

苦しんでいる私たちに

ご自分を完全に同化させて、

いつも一緒にいてくださいます。

つまり、

私たちの苦しみは、

阿弥陀さまにとって、

他人事ではないのです。

そんな窮境の愛こそが

「弥陀の誓願不思議」

といわれるものです。

ああ、ありがたや~。

 

苦しんでいる私たちに

ご自分を完全に同化させて、

いつも一緒にいてくださる。

 

受け容れてくださる。

 

遠藤周作さんの語る、

イエス・キリスト像を想起しました。

 

阿弥陀さまの声に気づき、

それを信じるということは、

「善悪の価値基準からの解放」

を意味するのだと思います。

 

ちなみに、

野口嘉則さんは、

阿弥陀さまを、

「限りない命、光の働き」

のことだと定義されています。

 

ただし、これだと抽象的なので、

人格的に名付ける必要がある。

 

その象徴が、

「阿弥陀さま」

です。

 

だから、

人に呼び掛けるように、

「阿弥陀仏さ~ん!ちょっと聞いてください」

という感じで、

呼びかけてみることを提唱されています。

 

こんな仏さまだったら、

私たちの弱音やグチ、怒りや苦しみも、

否定することなく、ジャッジすることもなく、

じっと耳を傾けてくれそうですよね(^^)

 

そういう意味では、

別に阿弥陀さまでも、お釈迦さまでも、

神さまでも、イエスさまでも、

遠藤周作さん風にいえば、

「たまねぎ」でも、

(小説深い河より)

自分の親近感が湧く存在で

呼びかければいいのだと思います。

 

そう考えると、

カウンセラーも、同じような役割ですね。

 

(阿弥陀さまと同じにするのは、

ちっと、おこがましい気もするのですが(^^;)

 

クライアントの悩み、苦しみに、

受容的に、どこまでも寄り添い続ける存在ですから・・・

 

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ちなみに、

私はカウンセラー(コーチ)

の資格をもっています(^^;

 

時間的な制約もあり、

なかなか本格的な活動はできておりませんが、

阿弥陀さまのような、

カウンセラーでありたいなあと思っています。

(ちょっと大きく出てしまいました(^^;)

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。