ご訪問くださいまして、有り難うございます。

 

過去3回にわたり、

田坂広志さん

人生の成功とは何か

という本を紹介しています。

 

今回は、

「成長の思想」

を紹介します。

 

世の中には、

「人生の成功」について、

3つの思想があるといいます。

 

「勝者の思想」

「達成の思想」

「成長の思想」

 

前回は、

「達成の思想」

を紹介しました。

 

この考え方は、

人の目を気にしたり、人と競うのではなく、

自分の価値観に基づく「目標」を、

自分で決めて、

それに向かって邁進するというものです。

 

すばらしい思想ですが、

万能ではありません。

 

どんなに才能があっても、

どんなに努力しても、

達成できないことがあるからです。

 

それが現実です。

 

あまりにも、

「達成の思想」にとらわれると、

達成できなかったときに、反動がくると思います。

 

では、

「達成の思想」の先にある、

さらに深みのある思想とは、何か。

 

それが、

「成長の思想」です。

 

この思想を特徴づけるのは、

「困難」という言葉。

 

この「成長の思想」は、

人生の「困難」と格闘することによって、

人間として「成長」すること、そして、

人間として「成長」し続けていくことを、

人生の成功と考える思想です。

う~ん、

たしかに、困難を乗り越えれば、

成長できるとは思いますが、

正直、私は、

目標達成のためには、

あまり苦しまずに、

効率よくやりたい気持ちもあります・・・(^^;

 

しかし、

「成長の思想」を抱いて歩むときには、

私たちの生き方が、三つの意味で深まっていくといいます。

 

(1)「否定的な出来事」から「可能性を拓く機会」へ

その第一は、何か。

 

人生における「困難」の意味が、逆転します。

 

この「成長の思想」を抱くとき、

人生において遭遇する、

苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失というものが、

180度、逆転した意味を持つようになります。

否定的な意味を持つと思われたこれらの体験が、

極めて肯定的な意味を持つようになるのです。

イチロー選手のエピソードが紹介されています。

 

イチロー選手が、

あるピッチャーとの対戦で、

何試合もヒットを打てず、抑え込まれていました。

 

そのことについて、あるインタビュアーが、聞きました。

 

「あのピッチャーは、苦手のピッチャーですか」

 

その問いに対して、

イチロー選手は答えました。

 

「いえ、そうではありません。

彼は、自分の可能性を引き出してくれる

素晴らしいピッチャです。

だから、自分も、力を磨いて、

彼の可能性を引き出せるバッターになりたいです。

困難は、

「否定的な出来事」ではなく、

「可能性を拓く機会」

だということです。

 

さすが、一流の人は違いますね。

私は、なかなか、ここまでの境地には達しませんが・・・

少しでも近づきたい。

 

我々が、過去を振り返り、

自分が一人の人間として

大きく成長できたときを思い起こすならば、

それは、決して順風満帆の時期ではなかった。

それは、かならず、苦労や困難の時期であった。

たしかに・・・

苦しんでいるその時にはわからずとも、

後になって振り返ると、

そう思えますね。

 

人間が成長するためには、

苦労や困難は必要なのかもしれません。

 

田坂さん自身のエピソードが紹介されています。

 

昔、若き日に、私は転職を経験しました。

 

そのとき、

私が勤めていた会社の人事部長が、

私の辞職を慰留するために語ってくれた言葉が、

いまも、心に残っています。

 

「君も、マネジャーになって、

ようやく、これから楽ができるようになったのに、

なぜ、会社を辞めるのか」

 

それは、

人事部長の私に対する

温かい思いやりから出た言葉でした。

しかし、

その言葉を聞いたとき、

私は、自分自身の本当の気持ちに気がつきました。

だから、私は、

その人事部長の配慮に感謝しながらも、

こう申し上げました。

 

「私は、まだ30代です。

30代のうちに、

もう一度、苦労がしてみたいのです」

う~ん、

私なら、人事部長の言葉にぐらっときて、

転職をやめるかもしれません(^^;

 

ただ、この気持ち、わかります。

苦労するかもしれませんが、

自分の可能性に賭けてみたい!

チャレンジしてみたい!

という気持ち、誰でもあると思います。

 

人間には、

「成長意欲」というものが、

自然と備わっているのかもしれません。

 

 

(2)「達成する強さ」から「成長する強さ」へ

 

「強さ」という言葉の定義が、変わるといいます。

 

それは、「かならず勝利する」という強さではない。

それは、「かならず達成する」という強さではない。

 

それは、「かならず成長する」という強さです。

 

人生において、

いかなる敗北がやってこようとも、

いかなる挫折を味わおうとも、

その敗北と挫折の体験の中から、

かならず何かをつかみ、

かならず成長する。

 

その強さです。

 

(中略)

 

あの痛苦な失敗の中で、自分は、

謙虚な心を身につけることができた。

 

あの惨めな敗北の中で、自分は、

他人の痛みがわかるようになった。

 

あの辛い挫折の中で、自分は、

人の親切の有難さを知った。

 

あの悲しい喪失の中で、自分は、

人との出会いのかけがえのなさを学んだ。

 

我々は、誰もが、

そうした体験を持っている。

 

そして、気がつけば、

それこそが、我々の本当の「強さ」だった。

 

あの敗北や挫折の時代においてこそ、

我々の心は、深まっていった。

そして、我々は、

一人の人間として成長することができた。

 

そして、不思議なことに、

我々が、自分自身の中にある、

その「強さ」に気がついたとき、

なぜか、静かな勇気が湧いてくるのです。

 

その敗北と挫折の中で、

そのどん底において、

なぜか、もう一度、

立ち上がってみようと思うのです。

 

もう一度立ち上がったからといって、

勝利が約束されているわけではない。

達成が約束されているわけではない。

それでもよい。

また立ち上がって、歩んでみよう。

また夢を抱き、目標を掲げて歩んでみよう。

もし、また敗北と挫折がやってきたら、

それでよい。

また敗北がやってきたら、

また何かを摑もう。

また挫折がやってきたら、

また何かを学ぼう。

そうして、歩み続け、成長していこう。

命尽きるまで、歩み続け、成長していこう。

 

なぜか、そんな思いが、湧き上がってくるのです。

すばらしいので、

思わず引用が長くなってしまいました(^^;

 

勇気が湧いてきます。

「敗北」や「挫折」にも、意味がある。

そして、それが必ず成長につながる。

 

そう考えると、

失敗を恐れずに、

チャレンジしようとする気になりますね(^^)

 

(3)「人物への成長」から「一日の成長」へ

 

「人物への成長」とは、

いわゆる、ひとかどの人物になるという意味ですが、

これは、

密やかに忍び込む「達成の思想」

だといいます。

 

人生において、

その「達成の喜び」を得られるかどうか、

約束されていないからです。

 

では、この「人物への成長」という発想が

密やかな「達成の思想」であるならば、

我々が「成長の思想」を抱いて歩むとき、

そこでめざすべき「成長」とは、何か。

 

「一日の成長」です。

 

すなわち、

 

一日を生きたとき、

一日分、成長する。

 

今日という一日を生きたとき、

今日という一日の経験だけ、

たしかな成長を遂げる。

その生き方こそが、

「成長の思想」がめざすものです。

今日という一日の経験だけ、

たしかな成長を遂げる。

 

う~ん、

一日だらだら過ごしてしまって、

成長を感じられない日も、あるのですが・・・

 

「成長の思想」においては、

何十年かの歳月をかけて「素晴らしい人物」

へと成長するということは、

「一日の成長」という生き方の

「結果」として与えられるものにすぎません。

それは、本来、

「目標」とすることのできるものではないのです。

それは、なぜか。

 

我々の人生には、

冷徹な一つの真実があるからです。

 

人生は、いつ終わるか分からない。

 

たしかに・・・

人生は、いつ終わるか分からない。

 

私たちは、ふだんは、

そこから目を背けて、考えないようにしています。

 

勝手に、平均寿命くらいは生きると思い込んでいますが、

こればっかりは、分からない。

 

我々は、人生において、

かけがえのない日々を生きている。

それにもかかわらず、このかけがえのない一日を生きたとき、

その一日、何も成長していないことに気がつくことがあります。

いや、ときに、何十年の歳月を歩んでも、

成長していないことがあるのです。

 

では、どうすればよいか。

かけがえのない一日を生き、

その一日、一日を、たしかに成長していくためには、

どうすればいか。

 

一つの心構えを身につけることです。

 

「一日を生き切る」

 

その心構えを身につけることです。

 

ここで大切なのは、

「生きる」ではなく、

「生き切る」

 

この「切る」という言葉に込められた思いがある。

それは、「悔いがない」という思い。

一日を生きたとき、

「思い残すことは無い」という思い。

その思いが、この「生き切る」という言葉の意味です。

 

ただ漫然と生きるのではなく、

与えられた一日を、生き切る。

「一日を生き切る」

重い言葉です。

 

田坂広志さんは、

若かりし頃、大病(がん)を患って、

死の淵から生還されたご経験があるそうです。

 

その経験があるからこそ、

このような境地にまで達せられたのだと思います。

 

私も、死の淵とまではいきませんが、

病気で入院した経験があり、

今も完治はしていません。

 

「メメント・モリ」

(死を想え)

 

つい、私たちは、

いつか必ず死ぬ、

そして、それはいつかわからない、

ということを忘れがちになりますが、

肝に銘じておきたいですね。

 

「人生の成功とは何か」(2)~勝者の思想~ 田坂広志

「人生の成功とは何か」(3)~達成の思想~ 田坂広志

 

で紹介してきた、

「勝者の思想」も、

「達成の思想」も、

実は、一日一日を、生き切るためにあるといいます。

 

厳しい「競争」の場に身を置き、

難しい「目標」を掲げて挑戦し、

そのために力を尽くして歩むとき、

我々は、

一日一日を、生き切ることができる。

一日一日を、成長していくことができる。

 

それが、

「競争」や「目標」という言葉の

本当の意味です。

「競争」や「目標」は、

一日一日を生き切るため。

 

なるほど、ここに行きつくのですね。

 

 

この本の最後には、

一回目の、

「人生の成功とは何か」 田坂広志

で紹介した、

ニーチェ「永劫回帰」の物語の、

あの不思議な人物が再び現れます。

 

「素晴らしい旅であったか」

 

その答えが、

深く、心打たれます。

 

是非、本を読んで、体感してください。

 

人生の成功とは何か

復刊されていて、

オンデマンド(ペーパーバック)でも購入できます。

 

また、子ども向け(というか中学生くらいから大人まで)

には、

未来を拓く君たちへ なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか

という名著もあります。

文庫版ででています。

こちらも超おすすめです。

 

田坂広志さんの本は、

志が低くなっていると感じた時に、

読み返します。

 

勇気が湧いてきます(^^)

 

長くなりましたが、

今回もお読みくださいまして、有り難うございました。